女神の子供 VS ゴブリン
匍匐前進でゴブリンとの距離を詰める。
何度もツノウサギとの戦闘でそうしてきたように、気付かれる前に斬りつけることができればそれが理想だ。
小声で叢雲が僕に話しかける。
「運が良かったの。ちょうどこちらが風下になっておる。ゴブリンは鼻が効くからの、風上からでは奇襲がかなり難しいんじゃ」
「気付かれてないみたいだね。もうちょっとだけ距離を詰めたい。ここからだと走っても斬りつける前に気付かれてしまうからね」
「気付かれたと思ったら一気に距離を詰めるんじゃぞ。気付かれてから時間が経つほどに敵は迎撃の体制を整えてしまうでな」
「了解。じゃ、もう少ししたらやるよ」
ゴブリンとの距離が近付く。
ここからなら気付かれたとしても完全に防御の体制を取られることはない……と思う。
よし、いく。
戦闘経験はツノウサギ相手にしかないが、いくと決めたら一気にいった方がいいというのは何となく分かってきていた。
全力疾走。
叢雲を上段に構える。
ゴブリンは背中をこちらに向けたままだ。
いけるか?
「な!」
正に斬りつけようとした瞬間、ゴブリンはこちらを向くでもなく防御の体制を取るでもなく、そのまま僕に背を向けたまま正面へ走り出した。
叢雲を振り下ろすこともできずに僕はその場で停止する。
10メートル程距離を取った辺りで、ゴブリンは僕に向き直る。
「いかんな。こいつはかなり戦闘経験がある。主様のタイミングは悪くなかった。あのタイミングではゴブリンが振り向いても中途半端に防御しても主様の勝ちじゃった。じゃがゴブリンは迷いもせず背を向けたまま正面に向けて走った。こういうのは考えて出来ることではなくての、場数を踏んだ者だけができるもんなんじゃ」
「不意打ち失敗ってわけだね。あまりしたくはなかったけど、正面からの正々堂々の戦いになってしまった。できれば正々堂々の戦いとかしたくなかったんだけど」
「こうなってしまっては仕方がない。やるしかないぞ主様。腹を決めるんじゃ」
「分かった」
「状況を整理するぞ。敵・ゴブリンは戦闘経験で主様を遥かに上回ることが予想される。力やスピードは、主様と大差ないじゃろうがな。主様の優位な点は、獲物が儂ということと、燕返しがあることじゃ」
「経験では負けてるけど、有利な点もある、か……それをどう活かすか……」
「今回は儂が戦い方を指示させてもらう。有利な点があってもそれを活かす経験が今の主様にはない。儂を信じてくれ」
「もちろんだよ叢雲。頼む、指示をして。僕はどうしたらいい?」
「うむ、まずは絶対に先手を取られてはいかん。主様は剣の応酬での防御ができん。今ゴブリンはこちらを伺っておる。主様の値踏みをしておる。今のうちに先手を取る。いいか、避けられていいから、走って袈裟斬りを仕掛けるのじゃ。そして、そのままの勢いで走り抜けるのじゃ。いけ、主様」
「了解。じゃいくよ!」
叢雲に言われた通り先手を取る。
ゴブリンに先手を取られたら、防御の技術の差で僕は敗北するだろう。
走り寄っての袈裟斬り。
当たれば良し。
当たらずとも、叢雲の指示通りにそのまま走り抜ければいい。
「……!やっぱりダメか!」
ゴブリンは剣で受けることもなく叢雲での一撃をヒョイっと躱す。
もしかしたら剣の性能の差を感じ取っているのかもしれない。
「休むな主様!ゴブリンに攻めさせる暇を与えてはダメじゃ!すぐに次の攻撃じゃ!今と同じでいい!袈裟斬りをしてそのまま走り抜けるんじゃ!」
「分かった!」
対峙する間もなく、次の攻撃に移る。
今と同じことを繰り返す。
ゴブリンとしては、今難なく躱したのと同じ攻撃が繰り返されることになる。
当然、同じように対処する。
同じことを、5回繰り返した。
傍から見れば、剣の素人が繰り出す攻撃を格上の剣士があしらっているようにも見えるかもしれない。
「いいぞ主様。順調じゃ」
「はぁ……はぁ……でも、全然当たらない。ゴブリンは余裕を持って躱しているよ。僕は息が上がってきているってのに……このままじゃ、僕の動きが鈍ったところをやられてしまうよ」
「いいんじゃ。主様、今ゴブリンが何を考えておるか分かるか?走り寄っての袈裟斬りを繰り返す主様を見てゴブリンはどう考えておるか。完全に侮っておるよ。なにせ主様の剣技はほとんど素人のそれじゃからの。恐らくは、次に主様が攻撃をした後に決めようと考えておる」
「はぁ……はぁ……確かに、そろそろゴブリンも攻撃してくるだろうね……僕が疲れてきているのはゴブリンから見ても丸分かりだろうし」
「いいんじゃ。ゴブリンが主様を見て『疲れてきているな。次決めよう』と思ってくれれば大成功じゃ。次に決めるのは主様じゃ」
「次に決める……?もしかして、次の攻撃で燕返しを?……正直、決められるか自信がないよ。僕にもなんとなく今までの攻撃は、勝負のための『布石』だってことは分かる。だけど叢雲が言っていた通り、僕の燕返しはちょっと速い二連撃程度のものだよ。賭けとしては分が悪い」
「次の攻撃で燕返しをするのはその通りじゃ。今までのが布石だということもな。じゃから、そこに一味加える。主様、魔法は使えるな?」
「魔法……?ここで魔法?それは悪手かもしれないよ叢雲。僕の魔法はとてもゴブリンを仕留められるレベルのものじゃない」
「魔法で仕留めるのではない。ほんの少しゴブリンに動揺が生まれればそれでいい。まずこの距離から火の魔法をゴブリンを狙うのじゃ。そして間髪入れずに走り寄って燕返しじゃ」
「叢雲がそう言うならもちろんそうする。けど……」
「不安に思うのは分かるがな、ゴブリンは主様が魔法を撃った時点で『魔法は本命ではない、魔法の後にまたあの袈裟斬りがきてそれが本命だ』と考えるはずじゃ。ゴブリンの中での主様は、走り寄っての袈裟斬りしかできない初心者剣士になっておるからの。そこを突く」
「分かった。僕の命、叢雲に預けるよ」
「預かったぞ主様」
魔力を掌に集中させる。
想像するのはゴブリンに向けて直進する円状の炎の塊。
僕の魔力量では直撃したとしても大ダメージにはならない。
だがゴブリンに動揺を与えられればそれでいい。
「いけ!」
炎がゴブリンに迫る。
ゴブリンは一瞬怯んだが、致命傷にならないものだと瞬時に判断したのか顔を手で覆い防ぐ。
避けようとして体勢を崩してくれるのが理想だったが、仕方がない。
ゴブリンの戦闘経験からくる勘が働いたのだろう。
「いくよ叢雲!」
「二の太刀をしっかりと手首を返して放つのじゃぞ!」
さっきまでしていたのと同じ様に走って近寄り、袈裟斬りを放つ。
ゴブリンにしてみれば数回躱した経験のある、単純な攻撃。
ゴブリンにとってはこの袈裟斬りが僕の本命に攻撃に見え、こう考えているだろう。
『なるほど、魔法で怯ませてからの攻撃か。先程までの単純な攻撃はこのための布石か』
と。
ゴブリンが袈裟斬りを躱し、攻撃体勢になる。
「主様!」
分かっている。
本命はここから。
中級者になれば一の太刀と二の太刀がほぼ同時に飛んでくるという回避不能技、燕返し。
その境地には程遠いが、今はこれが僕の精一杯。
手首を返し、肘の方向を敵に向け、ありったけの力で振り抜く。
ゴブリンの攻撃よりもこちらが早い!いけるか?
しかしゴブリンは、僕の二の太刀の動きを目で追っていた。
僕に向けられていた剣の振りを途中で軌道修正し、叢雲の一撃を受け止めようとする。
まずい。
ここで二の太刀を剣で受け止められたら僕が圧倒的に不利になる。
0距離での剣の攻防ではゴブリンに一日の長があるのは明白だ。
「心配いらん。終わりじゃ、主様」
叢雲が宣言する。
考えてみれば、それは当たり前のこと。
ゴブリンが持つ剣などで、叢雲の攻撃を防げるはずがないのだ。
木でできた細い棒を斬るよりも容易く、叢雲はゴブリンの剣を斬り裂く。
そのままの勢いでゴブリンを真っ二つにする。
ズルリとゴブリンの身体が斜めに滑り落ちる。
「か、勝った……?」
「うむ、主様の勝利じゃ」
「はぁーーーー…………」
僕は脱力感からその場に座り込んでしまう。
「言ったろう。主様の優位な点は、獲物が儂ということと燕返しがあるということ。両方とも上手く使えたの。ゴブリンが剣でもって主様の攻撃を防ごうとした瞬間に、もう勝負は決まっておった。ゴブリンにすればああするしかなかったわけじゃが、主様の二の太刀もなかなかに見事じゃったぞ」
「ありがとう……本当にありがとう叢雲」
「うむ、儂に命を預けてくれて感謝しておるぞ」
「感謝とか何言ってるの。叢雲が作戦を考えてくれなかったら、真っ二つになっていたのは僕かもしれない。でもよく分かったよ。叢雲っていう圧倒的な武器を持っていても、作戦をきちんと考えないと勝てないんだね」
「相手にレベルにもよるがの。できれば主様には、ゴブリン程度なら作戦など立てなくとも儂をただ振るうだけで倒せるようになってもらわんと困るわい。儂の主様なのじゃからな」
「……僕なんかが叢雲の所有者ってのも、考えてみれば凄い話だよ。ツノウサギやゴブリンに苦戦する人間が叢雲みたいな名刀を持てるなんてさ」
「儂を欲しがる剣士はいくらでもおろうがの……儂が主様の守り刀であることはもうとうの昔に決められておることじゃ。ゆっくりでいいから強くなっていこう、なあ主様」
「うん。ありがとう」
「それにの主様。こうして命懸けの経験を共にすることによって、儂らの絆も深まってゆくのう。 あの3女神よりも濃密な時間を過ごしておると、そう思わんか? 儂はの、最初から強い剣士なんかに持たれるよりも、主様と一緒に0から歩いていけることに喜びを感じておるよ。大切に育てていく。主様の剣技も心も曲がらんように、大切に、ゆっくりとな」
「なんか僕の周りは過保護が多いね」
「むしろ過保護しかおらんな。3女神は猫可愛がりじゃが」
「これから世間の荒波に揉まれて耐えられるかなぁ。過保護漬けの僕が」
「場馴れしてスレ切った女なんぞに捕まったら主様なんぞあっという間にボロ雑巾のようにされてポイじゃぞ、ポイじゃ」
「ポイって……それにスレ切った女って凄い表現だね」
「ポイされるならまだいいが一生チューチューされるかもしれんの。過保護漬けの主様はなーんも抵抗なんぞできんぞ」
「えー何それ怖いんだけど」
「儂がおるからそんなことにはさせんが、主様は自分が過保護の世間知らずということは忘れんようにせんといかんな。チューチューされたくなければの。外の世界に出て女に恋もしてみたい……とか考えておったなよな主様は。全く……全く、全くじゃ」
「大丈夫だよ。今はゴブリン相手にも苦戦するような状態だからね。恋とかそういうのはもっとずっと後だよ。まずは足場を固めていこう」
「いずれはするつもりなのじゃな」
「さ、行こう。なんとか人の住む街を見つけないと」
「……その辺の話は今度じっくりせんといかんようじゃな」
僕は生まれてからミューズにハーモニー、フォルテと叢雲しか知らない。
話したことがない。
恋をしてみたいとか思ってはいるけれど、実は恋とは何かもよくは分かっていない。
女の人がみんなミューズ達や叢雲みたいに優しければいいのだけど。




