序.未来を担う者
新しいシリーズ、始めました!
第二章までは毎日20時更新予定です。
「――以上のことから、陛下がお疑いであった黄侍郎は黒だと思われます。御史台も掴んではいるでしょうが、黄家は長年続く士大夫の一族であるゆて……」
「……そうか」
淡々と応じた主君の様子を、元祐は平伏したまま伺っていた。玉座に身体を預けた若き皇帝は、自嘲するように息を吐き、小さく呟く。
「まったく。どいつもこいつも、好き放題してくれる。余に赤心の部下はおらぬのか」
「……早急に見極めます」
冷や汗混じりに答える元祐を見下ろし、皇帝は不満げに鼻を鳴らした。「立て」と切り口上に命じられ、恐る恐る玉座の足元に進んだ元祐の襟首を、華奢な手指が掴み上げる。もう片方の手を元祐の喉元に添え、皇帝はうっそりと微笑んだ。
「――お前もか? 姜 元祐。どうせお前も、余を裏切るのだろう?」
地を這うような声音でそう囁かれ、元祐は竦み上がった。
主君の声のあまりの冷たさ、怒りに歪んだ氷の美貌の迫力、首をへし折らんばかりの指の強さ――にではい。
苔むした岩のような湿度を宿した、どろりと濁った両の瞳が、あまりにも恐ろしかったからだ。
大亮国皇帝・汪 智晶は目の光を完全に飛ばし、虚ろな表情で言い募り始めた。
「……分かっている。余は経験も浅く頼りないし、昔からずっと生命を狙われてきた嫌われ者だ。祖父や父と共に甘い汁を吸ってきた官僚たちにとっては扱いづらい駒だし、かと言って改革を推し進めるほどの勢いも力もない。『口だけ皇帝』と噂されているのも知っているんだ。……お前だって、本当はそう思っているのだろう? どうせ俺なんて……」
「――陛下。陛下陛下陛下、お待ちください」
同い年の主君を冷や汗とともに押しとどめた元祐は、不敬罪に問われる覚悟で玉座と同じ高さに立った。力なく丸まった皇帝の背を、必死の手つきで撫でさする。じっとりとした眼差しで自分を見上げてくる智晶に、彼は宥めるように小さく微笑み掛けた。
「陛下のお慈悲のおかげで、私は今ここに在るのです。その私が、陛下を裏切るはずがないでしょう?」
「……だが、それなら職位と日々の糧を与えてくれる他の者が現れたら、そちらに乗り換えるのだろう」
「有り得ません」
じめじめと全身に茸を生やす皇帝に、元祐はきっぱりと言い切った。長身の元祐は自然、男性としては小柄な智晶を覗き込む形となり、彼は勢いで尊き龍顔に両手を添える。
「飢えるあまり、三日三晩生死の境を彷徨ったあの時に、蔡 淳は死にました。……姜 元祐は、貴方様に生かされているのです」
真摯に訴える元祐をしばし見つめ、やがて皇帝はぷいっと目線を逸らした。
「ならば良い。……さっさと行け。次の狐を狩ってこい」
元祐はほっと息をつき、急いで階を駆け下りて揖礼で応えた。
「姜殿。お話は終わられましたか?」
背中を丸めつつ退室して来た元祐に、なよやかな声が呼び掛ける。皇帝の私室近辺は人払いされているがゆえに、彼も気安く声を掛けてきたのだろう。それでも元祐は注意深く周囲を伺いながら、巧みに建物の死角に入り、小声で応じた。
「……丁公公、私のことは内密に」
「分かっております」
幼少の頃から皇帝と共に育った忠臣、宦官の丁 忠延は、自身もさりげなく身を隠しながら微笑みを浮かべた。
「……もう、九年も前のことになりますか。陛下が――殿下が外遊からのお戻りの道中で、貴方を見つけられたのは。今、貴方がこうして陛下の支えになってくださっていること、本当に嬉しく思っております」
子どもの頃に性を失った彼には、角ばったところが一切なく、その声もまるで女性のように澄んでいる。一心に主君を慕っているのが分かるその笑顔に、元祐は苦く笑った。
「陛下の首席宦官たる貴方様に、そのようにおっしゃっていただけるとは……。恐れ多い限りです。ですが、賜った官職に見合う仕事が出来ているのか」
「何をおっしゃる。貴方はこうして密やかに、陛下の御心をお支えくださっている。きっと陛下も、頼もしく思われていますよ」
丁大監は泥沼のような後宮において、奇跡と言えるほどの清らかな心の持ち主だ。腹芸には向かないため、元祐の裏の顔については知らされていない。今も、「皇帝が密かに目を掛けている同い年の官僚が、話し相手になりに来た」と信じているのだろう。世にも美しい、主従愛だと。
何故か目を潤ませてこちらを見上げてくる丁氏に、元祐は若干上体を逸らしつつ踵を返した。
「……宸襟を安んじる一助となれるよう、これからも尽力いたします。それでは私は、これで」
丁重に頭を下げ、足音を殺しつつ駆け出した元祐を、忠延はにこにこと見送っていた。
乱立するいくつもの小国をまとめあげ、一つの国を成した大陸の覇者・亮。
これまでの、血筋に依存した統治を良しとしなかった彼らは、難関・科挙をくぐり抜けた精鋭による組織作りに腐心した。もちろん、古き名門たる貴族を完全に締め出すわけにも行かず、それは一見、新旧の均衡を保った形で成功したかのように思えた。
だが、貴族に代わって特権階級となった士大夫は、あちらこちらと手を結び、そこは新たな不正の温床となる。気高い理想で国を起こした汪氏もやがて、彼らと同じ穴の狢に堕ちていった。
四年前、父帝の急死を受け二十歳で玉座に就いた第八代皇帝・智晶は、潔癖とも言える清廉さでもって、不正を排除しようとした。けれども、長年続いた慣習にはまったく歯が立たず、頭を悩ませ続けている。
若き皇帝は何よりも、自分の意で動かせる、信頼の置ける組織を欲した。その中心として白羽の矢を立てられたのが、姜家の三男を名乗る官僚、礼部郎中の元祐である。
これは、青い理想に燃える皇帝と、彼に忠誠を誓う官僚が手を取り合い、未来を切り拓く――かも知れない物語。




