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ガラスの聲を抱きしめて【完結済み〔全22話構成〕】  作者: 宮本Bさん
一章 ガラスの声を抱きしめて
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第19話:完璧な結果より、君の「努力」が光っている。

 医師が退室し、自動ドアが静かに閉まる音だけが残された後、病室には再び、二人きりの、張り詰めた静寂が戻った。窓の外の冬の光だけが、彼らの間を照らしていた。


 葉月は、白いシーツの中で、そっと視線だけで凪を追った。彼女の動きは最小限で、まるで深い海の底にいるかのようだった。


「……見たでしょう」と、彼女は掠れた声で尋ねた。喉の奥に、まだ手術の痕跡が残っているかのように、その声は弱々しく、透明だった。


「レントゲン。私、もう……『違う』でしょう? あの、歪んだ骨の形は、もう、ないでしょう?」


 その「違う」という言葉には、これまでの自分、すなわち「不完全」であった自分への、痛みを伴う決別と、新しい「完璧な」自分への、震えるような期待が込められていた。そして同時に、まだ腫れの下に隠された結果への、言い知れぬ不安が複雑に絡み合っていた。彼女は、自己を再構築する壮大な賭けに勝ったのか、まだその答えを恐れているようだった。


 凪は、彼女の微細な心の震えを感じ取り、葉月のベッドサイドに静かに腰を下ろした。彼は、レントゲン写真の冷たい金属の影よりも、今、目の前にある彼女の生きた体温を感じていたかった。


「ああ。見たよ」


 凪の声は深く、静かだった。まるで、雪が音もなく降り積もるかのように、優しく、しかし確かな重みを持っていた。


「驚くほど精密で、壮絶な手術だったんだな。君がどれほどの覚悟でそこに臨んだのか、あのレントゲンが全てを物語っていた」


「ね。……これから腫れが引けば、きっと『完璧』になる。笑っても、もう、誰も気づかないくらいに。私が、ずっと、ずっと求めてきた顔に」


 その言葉を口にした瞬間、葉月の瞳の奥に、微かな翳りがよぎったのを凪は見逃さなかった。それは、長い旅路の果てに、目的地に辿り着いたはずの旅人が、本当に求めていたものが何だったのか、急に分からなくなったような、淋しさと虚無感だった。


 彼女は外見的な変化を手にし、「完璧」という理想郷に近づいた。しかし、その内面は、あの屋上で、自ら顔を掻きむしり、仮面を剥がした時のように、依然として脆いままだった。外側の鎧は新しくなったが、その中の心臓は、まだ痛みに怯えている。


 凪は、自分の手でそっと、自分の口元に触れた。手術という選択肢を選ばず、傷跡をそのまま抱えて生きることを選んだ自分。彼は、葉月の腫れの向こう側にある、以前の顔の傷跡を深く想い返していた。幼い頃から見てきた、彼女の人中の細い縫合線。それは、彼女の生き様、努力、そして二人の秘密の絆の、唯一無二の証明だった。その傷が、医学的に「修正」され、世界から消えていくという現実に、凪は言葉にできない、愛惜と寂しさを感じていた。


「完璧、か」

 凪は静かに呟き、葉月の手の上にそっと自分の手を重ねた。まだ点滴の針が残る、彼女の細い手だった。


「僕は、君のその完璧な顔を見にきたんじゃない。君を待っていたのは、完璧な結果じゃない」


 葉月の瞳が、凪の言葉の意味を探すように大きく開かれた。


「僕が本当に愛したのは、君がその不完全な自分を必死に覆い隠し、完璧になろうともがいた努力だったんだ。傷があることを隠して、発音を練習して、優等生という仮面を命懸けで守り、そして、その痛みを共有するために僕に会いに来てくれた、君のその壮絶な過程だ」


 凪は、彼女の震える指先に、そっと力を込めた。


「完璧な結果なんて、脆いものだ。でも、君がその結果を得るために流した汗と涙は、永遠に変わらない、君自身の光なんだよ」


 葉月は、何も言えなかった。ただ、涙が瞳の縁に溜まり、腫れた瞼から、ゆっくりと溢れ出しそうになっていた。


「私は、不完全だから、変わらなきゃいけなかった。この手術は、私にとっての救済だった……。でも、あなたは……」



 葉月は、凪の口元を見た。彼は今、マスクをしていない。彼の口唇の傷跡は、手術を経ても、そのまま残っていた。その傷跡は、まるで彼が自分自身を受け入れたことの、誇り高き勲章のようだった。


「凪くんは、手術を受けなかった。自分の傷を、そのまま受け入れた強さがある」


 凪は、葉月の腫れた頬に、そっと触れた。彼の指の体温が、彼女の冷たくなった皮膚に伝わる。


「僕は逃げただけだよ。でも、君を見て、わかったんだ。君の完璧になろうとする姿こそが、僕が逃げずにいられる理由になった。だから、僕は、君がその傷跡も含めたありのままの自分を受け入れる、その心の強さを、何よりも尊敬する」


 二人は、白い病室の中で、互いの存在意義を再確認した。

 葉月は、外見の「完璧さ」を手に入れたが、その内面はまだ揺れていた。凪は、「不完全な自分を受け入れる強さ」を手に入れた。


 傷跡があるかないかではない。その経験をどう生きるか。その痛みをどう力に変えるか。

 二人は、その本質的な真実を、手術という極限の体験と、その後の対比を通して、深く悟ったのだった。


 病室の窓から差し込む冬の光は、二人の間に、静かに、けれど力強く満ちていた。それは、二人の魂を照らし、未来への新たな約束を刻み込む、再生の光だった。凪は、自分自身のマスクに触れた。手術という選択肢を選ばず、傷跡をそのまま抱えて生きることを選んだ自分。

 彼は、葉月の傷跡が残った顔を愛していたことに気づく。幼い頃から見てきた、彼女の人中の細い縫合線。それは、彼女の生き様、努力、そして二人の絆の証明だった。その傷が、医学的に「修正」され、消えていくという現実に、凪は言葉にできない寂しさを感じた。


 二人は、白い病室の中で、互いの存在意義を再確認した。


 葉月は、外見の「完璧さ」を手に入れたが、凪は、「不完全な自分を受け入れる強さ」を手に入れた。


 傷跡があるかないかではない。その経験をどう生きるか。その痛みをどう力に変えるか。

 二人は、その本質的な真実を、手術という極限の体験を通して、深く悟ったのだった。


 病室の窓から差し込む冬の光は、二人の間に、静かに、けれど力強く満ちていた。それは、二人の未来を照らす、希望の光だった。


よろしくお願いします。

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