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エピローグ

 夕暮れ時。茜色の空が部屋を優しく彩っている。頬に受ける春風が心地いい。

 何だか久しぶりに、窓を開けた気がした。

 ヒナからプレゼント──しかし鏡花は〈仕返し〉だと言った。どういう言葉遊びなのよ──された絵を見ながら、ほくそ笑む。

 ……ああ、アンタよくこういう顔してたよね。

 つくしは悪戯好きだったけど、人を傷付けたりするような悪戯はしなかった。

 あの娘の悪戯は決まって自分を傷付けるようなものだった。道端の花を食べようとしたり、ハサミで指を切ろうとしたり、画鋲を踏もうとしたり。

 もちろん本気でするつもりはないから、ほうっておいても大抵は未遂で終わる。

 でも、そうはならないときもあるから、私が内心では呆れながら表面上は慌てて止めようとすると、ねーちんはシンパイショーだな、とあの娘はへらへら笑うのだ。

 一度、つくしが裸足で外に出て行ったことがあった。

 つくしとしてはいつもの悪戯のつもりだったのだろう。

 私もそう思っていた。

 帰ってきたつくしの足は、血塗れだった。

 どこを歩いてきたんだって、当たり前のことを問い質すことすら失念してしまったくらいに、傷だらけだった。

 私はつくしの足を洗って、消毒して、包帯を巻いて──どうしてこんなことしたのとか、他の悪戯はいいけど素足で外に出るのだけは止めてとか、そんな風に叱っているうちに涙が出てきて、最後には怒ってるのか泣いてるのか自分でもよく判らなくなってしまった。

 つくしは眉を八の字をしたまま、私の頭を撫でて、うん、わかった。これはもう止める、と言った。そのあとですぐ、ねーちんかわいそーだからな。しょーがねーなー、と小さく胸を張ったつくしの頭に、ゲンコツを食らわせてやったことは今でも覚えている。


 そして三月上旬、つくしは死んでしまった。


 私の大好きな義妹は〈狸〉に殺されてしまった。

 だから復讐してやろうと思った。

 出来る限り苦しみ悶えさせて、思い付く限り残酷な手段で、あの〈狸〉をぶち殺してやろうと思った。

 寒空の下、〈あいつ〉の静止の声にも耳を貸さず、ただ怒りに身を任せて、〈狸〉のいるだろう杉林に殴り込もうとした矢先──私は、あの足音を聞いた。

 私にしか聞こえない足音。

 それだけでよかった。たったそれだけの条件で、私はそれをつくしの幽霊なんだって決め付けた。

 しばらくはそれが心の支えだった。

 一回壁を叩いたら「イエス」二回叩いたら「ノー」。

 そんなルールまで定めて他愛ない〈会話〉を楽しんだこともあった。

 でも、続けるうちに気になってしまった。

 つくしの幽霊はどうして外に出ないのだろう。生きてた頃はあんなに外で遊ぶのが好きだったのに。

 その答えは程なくして見つかった。

 まこの言葉を思い出したのだ。

 つくしの履いてた靴の片っぽが、まだ見つかっていないって。

 後悔した。私のせいだと思った。

 つくしの魂がいつまでもこの家に縛り付けられているのは、きっとつくしが幽霊になっても私の言いつけを守っているからだ。

 靴が片方見付からないから、外に遊びに行けないんだ。


 自由に──なれないんだ。


 だから私は、二つの使命を自身に課した。

 一つは、〈狸〉を仕留めること。

 一つは、つくしのスニーカーを見付けること。

 ──前者は私以外の誰か、後者は……ココが達成してしまったみたいだけど。

〈狸〉の死は〈あいつ〉から直接聞かされた。

 ただその前にも虫の知らせみたいなものはあったから、実際聞いたときも、ああ、そうなの、程度にしか思わなかった。

「……結局私、なーんもしてないわ」

 自嘲。そう、本当に何もしてない。

 ずっと同じところを、ぐるぐる回っていただけ。

 靴探しも〈狸〉退治も、正直なところ本気じゃなかった。

 もし、二つの目的──私が脳内で勝手に作り上げたつくしの〈成仏〉条件が達成されたとき、まだあの足音が聞こえたとしたら、足音の正体はつくしの幽霊じゃないということになる。

 それが怖くて、真相を知るのが嫌で仕方なくて、私はどちらも中途半端にしかこなせなかった。

 結局、自分手製の出口の分かり切った迷路の中で、私は一ヶ月もの間迷っている振りを続けていた。

 そしたら、家族に壁を壊されてしまった。

 ショックで呆然としているところを捕まえられて、外の世界に半ば強引に連れ出された。

 これじゃあまるで、塔の中のお姫様だ。

「将来は──ちょっとくらい強引な男と付き合ったほうがいいかもね」

 どう思う、と背後にいるだろうそいつに訊くと、とん、と一回壁を打つ音。

 ……やれやれ。

 振り向いた。で、驚いた。

 私のよく知る〈あいつら〉の類にしては、かなり普通だったから。

 イタチかフェレットか──特別動物好きってわけじゃない私から見てもそれなりに愛らしい姿。そして頭の毛には一筋の白。赤いビー玉みたいな瞳には少しばかりの警戒心。こっちの出方を窺ってるような雰囲気。

「安心して。危害を加えるつもりなんてないわ」

 反応はない。まあ、何もないならないで助かる。

 今から口にする言葉には、まだかなり抵抗がある。

 私は、肩の力を抜いた。意を、決した。


「──ありがとう。今まで私の〈ままごと〉に付き合ってくれて」


 それは、私にかかっている魔法を解く言葉。

「アンタがあの日──私が〈狸〉を殺してやろうって、外に飛び出そうとしたあの日、もし家鳴を起こしてくれなかったら、きっと今の私は、いなかったと思う。良くて同士討ちか、最悪殺されてた。だから、本当に──ありがとう」

 一言々々区切りながら、噛み締めるように言う。言いながら、助けられたのは「あの日」だけじゃないわね、と思う。正確にはあの日から──毎日だ。

 そいつは陽炎みたいに揺れると、ふっ、とかき消えてしまった。最後に名乗ったわけでも、こっちに背を向けたわけでもない。本当に、嘘みたいにあっさりと。

 私がその瞬間を見ていなかっただけで、いつもあんな感じで消えていたのかもしれない。

 でも私には、あいつが二度とここに姿を現さないことがわかった。

「怖がる相手がいないんじゃ、お化けとしてはやってられないものね」

〈狸〉が死んだ。

 つくしのスニーカーが見付かった。

 そして、眼の前でつくしの幽霊──じゃなくて、〈家鳴〉が消えた。

 二つの使命と、心の拠り所が消えてなくなった。


 私が私にかけた魔法は、解けた。


「ははっ……」

 乾いた笑いが漏れる。昨日、リビングで言った自分の発言を思い出す。

 何が、死を受け止めているだ。偉そうに。

 私は──今になって初めて、死を理解したんだ。

 つくしがいないってのがどういうことか、判ったんだ。

 すでに目頭に溜まりつつあった涙を拭う。昨日のココとの件で、恥ずかしながら学んだ。我慢できる涙は我慢すべきだが、自然と溢れて仕方がないものはそのままにするべきだ。そして今のこの涙は、きっと前者だ。

 階段から私を呼ぶ声がする。どこか間延びした、けれど優しいまこの声。

 昨日あんな悪態を吐いたのに、まだ謝ってもいないのに、あいつは平気な面をして、ささめちゃん、ご飯よ―っなんて言ってる。

 いくら私が〈大人〉になったって、あんな眩しい人間には到底なれそうもない。

 社会復帰ならぬ家族復帰への第一歩は、家事手伝いからか?

 窓を閉めてドアを開けた。振り返る。

 机の上には、ココが見つけてくれたつくしのスニーカー。

 今日はあれでいいにしても、やっぱり靴は靴箱に入れておくべきだろう。

 ……言っとくけど、私も幽霊なんて信じちゃいない。

 でも、幽霊がいないからってそれが死者を蔑ろにしていい理由にはならない。

 それがわかった上で、明日からはあのスニーカーを靴箱にでも仕舞おうと思う。


 ──つくしが直ぐにでもそれを履いて、外に遊びに行けるように。


幽霊がいないのに妖怪っぽいモノはいる──そんなちょっと不思議な世界から少女たちの現代ホラー活劇を御送りしましたヒメノムラサキです。作中で幽霊なんてのは幻想に過ぎない、と誰かさんが言ってはいますが結局のとこどうなんでしょうね。ただ幽霊という存在が仮にいたとしても、それが現実にまで干渉してくるってのは些か都合良過ぎな気はします。死んでんのに生きてる人間呪い殺せるって何だよそりゃ、と(笑)。そういえば京極夏彦先生の某作品で知りましたが仏教って霊魂否定主義だったんですね。ちょっとビックリだぜ。最後に「シロスジ」なんですが結局こいつは何の妖怪だったのか? 一応作中のどこかに名前は書いたのですが、はてさて。

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