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41.国境砦 その三

「お前……!」


 爪の猛威に吹き飛ばされ、俺の体は宙を舞った。

 瞬時に地を蹴るライアールの姿が見える。伸ばされた腕は、俺の体を抱えて転がり着地した。

 すぐさま俺の体を支え起こす。

 俺は痛みに顔を歪めながら、魔瘴獣と自分の足を見た。


 魔瘴獣は一匹になっていた。槍が地面に突き刺さっているのを見るに、ザーグルが投げ放ち止めを刺したのかもしれない。

 残った魔瘴獣は、相変わらず跳ねながら騎士達の攻撃をかわしている。

 気のせいかもしれないが、少し機嫌が良さそうに見えた。


 俺の足はちょっと見るの怖かったけど、思ったよりは酷くなかった。

 どうやら飛んできた方の魔瘴獣の食いつきは空振りに終わったらしい。

 振り下ろされた爪の方は、掠ってしまった様だが。

 掠ったといっても、あの大きさである。ふくらはぎには、横一直線に太く、赤黒く走っていた。

 流れる血に、シュウシュウと黒い瘴気が煙の様に上がっている。


「すみませんが、ちょっと、そのまま背中支えててください……」


 一番の戦力をここで休ませるのは惜しいが、俺もちょっと一人じゃ立つのも無理そうだった。

 申し訳ないが、ライアールの手をしばし借りよう。


 傷口に手を当てる。力を手のひらへと送り込む。じくりじくりと、火傷に似た痛みと跳ねるようにくる大きな痛みに体が揺れる。

 足だけでもこんなに痛いのに、さっき砦で治癒した人達はこの倍以上の痛みに耐えてたのか……。

 ルバートも、そういえば酷い傷だったっけ。

 思い出したせいか偶然か、ルバートがこちらに駆け寄って来るのが見えた。


「はあはあ、……やっとあっちが終わりました。ノイルイー嬢、大丈夫でしょうか」


 俺が笑って返すと、情けない顔をした。まがりなりにも第一騎士団と一緒に大型と戦ったんだから、もっと胸張っていいと思う。

 しかし、という事はずっとあっちで戦ってたのか。こっちも必死で騎士達の顔は確認してなかったや。

 ザーグルのおっさん程存在感あれば別だけど。

 

「嬢ちゃん、すまねえ。俺達の失態だ」


 今度はザーグルが刺さった槍を引き抜きながら現れた。

 あの豪快な笑い顔の表情と打って変わって、鎮痛な面持ちだ。


「いや、別に死んだわけじゃないんだし、……大丈夫ですよ」


 一応慰めてみる。

 ルバートは困り顔をし、ザーグルははは、と苦笑した。


「お嬢ちゃんは凄いなあ。……さあ残りはこいつだ!総員最後の力だしてけよ!」


 ザーグルが槍を掲げると、騎士達が気合の声を上げる。

 ルバートも、柄を握り締めた。


「おし、大丈夫。あ、ライアール様、ありがとうございました」


 俺はライアールの膝の中から立ち上がり、頭を下げた。


「もういいのか?……もう、砦の中に戻ってもいいぞ」


 ここまできて、その選択肢はない。俺は首を横に振る。

 ライアールはそうか、と俺の頭に手を乗せた。普段なら、悪態の一つでもついてきそうだけど。

 ライアールの顔を窺い見るが、彼は横を向きさっさと魔瘴獣へ向かってしまった。

 少し様子が変に感じるのは、気のせいだろうか。俺も魔瘴獣へと向き直った。


 流石に戦力が集結され、集中攻撃されては魔瘴獣も余裕をなくしていた。

 避ける様から次々と剣の針に串刺され、どんどん体が消滅していく。


 俺はもう一度光の玉を作る。前のより、もっとでかいやつだ。

 魔瘴獣は、防戦一方で俺の邪魔をする暇はない。

 今度こそ、こいつをぶち込んでやる!

 俺は光の玉を前と同じく、ふわりと浮かべた。

 光の玉は俺の頭を越え、空に浮かんでいく。


 地を蹴った。

 さあ覚悟しろ魔瘴獣。足痛かったぞ!


「おらあ!聖女、パーンチ!!!」


 ちょっと息を吸い、拳を光の玉に目掛けて放つ。

 キラキラと、光の粒子と軌跡を残しながら、光の玉は魔瘴獣へと向かった。

 魔瘴獣は、はっと気付き目を見開いた。空高く跳ねようとするが、他の騎士達がそれを許さない。

 光の玉は直撃した。


 ヒギァァァアアアァァァ……


 断末魔が響く。いや、声帯はないのだから、空気の振動か。

 魔瘴獣の体は自身を覆う光によって霧散した、かの様に見えたが、諦め悪くも黒い霧を霧散させた。

 わずかに残っていた小型中型の魔瘴獣も、霧となって混じりあった。


「黒い霧を逃がすな!聖女達は霧の浄化を!早く!」


 ザーグルが扉前で見守っていた聖女達へと叫ぶ。

 彼女達は慌てて、上空に散る黒い霧に向けて力を放った。

 こうなっては騎士の剣はあまり役に立たない。


 俺は再び光の玉を作る。今度は投げつけたりしない。両手を掲げる。

 コフィル様やクピリナ様がしていたように、小さな光の玉を大量に放つ。

 それはまるでたんぽぽの綿毛の様に、ふわりと舞散った。


 静かに降る雪の様に辺りが光に包まれる。

 いつか見た、星空を映す池の様に幻想的だ。

 さあどんどん放たれろ、俺の光。ここにいる全ての魔瘴を、浄化し尽くそう。


 静かで幻想的な時間が流れた。

 誰もが声も出せず、ただその光景を見つめていた。

 魔瘴は、綺麗さっぱり消えていた。


「あ、傷が治ってる……」


 誰かの呟きが聞こえた。

 そこで俺の意識は途切れた。





 目を開けると、そこは見知らぬ天井だった。

 ……いや、この壁には見覚えあるぞ。この古めかしい石造りの壁は……。


「ああ、砦か」


 横に寝返りを打つ。質素だが清潔なシーツの肌触りが心地いい。

 部屋には誰もいない様だった。

 何でこんな所で横になってるんだろう。

 ぼーっと横になりながら室内を眺めていると、遠くから近付いてくる声が聞こえた。


「だあいじょうぶですわあ、あの子そんなに繊細じゃありませんもの。授業じゃ目あけたまま寝てますし、実技ではバタースコッチとか何とか叫びながらはしゃいでますし」

「はっはー、そりゃ随分愉快な聖女様だ」


 勝手に俺の個人情報が流されている。バタースコッチじゃなくて、バッターストライクアウトって言ってたんだよ!

 声はどんどんこちらに近付き、部屋の扉の前で止まった。

 キィとドアが開けられると、マリガが顔を覗かせた。


「あら、起きてたのね」

「おお、嬢ちゃん目え覚めたか。体は大丈夫か?」


 マリガの後に続いて、ザーグルが部屋へと入ってきた。


「おかげさまでぐっすり眠ってた様です。あれからどれくらい経ちました?」


 体を起こしながら尋ねる。マリガがさっと傍により、水差しから水を汲んでくれた。


「まだ一日しか経っていないわよ。ま、重傷者全員治して、なおかつ外に飛び出して魔瘴獣まで倒したのに一日休んだだけで回復しちゃうなんて、貴女やっぱ凄いわ」

「部下達が本当に世話になった。嬢ちゃんがいなかったら、あいつ等が今も五体満足にいれたかもわからねえ。本当に感謝している」


 ザーグルが深く頭を下げる。

 俺は慌ててそれをやめさせた。


「や、やめて下さい。あれは私が勝手にやった事で……。治癒は、聖女の卵だしやれる事やっただけですから」


 ザーグルは頭を上げると、その愛嬌のある太い眉を垂れ下げ、にっと笑った。そして、再度「感謝する」と口にした。

 俺も笑い返しながら、そういえばと、気になった事をたずねる。


「あのー、ライアール様の様子がちょっと変だった様に思えたんですけど……」


 ザーグルは、あーとぼやきながら頭をかいた。

 わからないけれどマリガが目を輝かせている。


「珍しく気落ちしてたなあ。ま、大丈夫だろう」

「それって私のせいだったりします?」


 学生に庇われて騎士の副団長としてのプライドが傷ついたとか。

 あ、いつも小馬鹿にしていた俺に庇われて、気まずくなったとか。


「いやいや、俺としちゃあ嬢ちゃんの安全の方が大事だから庇うのは素直に頷けねえが、ただあいつは自分の未熟さがたまらないんだろうよ」

「でも、多分あの時は魔瘴獣が何かしようとしてたの、私しか気付かなかったと思うんです。それに、あんな変則的な動き、予測も回避も無理ですよ」

「そうだな。だがあいつがもっと強かったら、どちらも斬り捨てる事ができたかもしれねえ。……なんて、そっちに逃した俺が言えた事じゃないけどよ。ま、俺もあいつも、修行不足ってやつだな」

「そんな事……」


 ザーグルも、ライアールと同じ様に自分の足りなかった強さに歯ぎしりしたのかもしれない。

 どちらも騎士団を引っ張るトップなのだし。


「だから嬢ちゃんが気に病むことは何の一つもねえ。感謝しこそすれ、迷惑な事なんて何もねえんだからな!」

「そおよお、騎士に、なおかつあんな素敵な方に悩まれるなんて聖女冥利に尽きるじゃない」


 マリガさんは黙ってて。

 ザーグルはそれに対してそうだそうだと笑っていた。俺はどっと疲れた。


「ねえマリガ、私達はこれからどうするか聞いてる?マフラスには寄らず学園に直接帰るのかな」


 オーシャはどうしたんだろう。まだ砦にいるんだろうか。それとも一足先に帰ったのだろうか。


「ここに幌馬車が来てくれるみたいよ。貴女が大丈夫そうなら、帰れると思うわ。体調はどーお?」


 俺が口を開くより先に、お腹からグー……、と勢いよい返事がされた。

 体はなんともないし、意識もはっきりしてるけど、お腹はとてつもなく減っていた。


「……というわけです」


 俺はえへへと二人に笑いかける。

 マリガは肩を竦めたが、優しく笑った。


「仕方ないわねえ、連絡ついでに何か作ってきて貰うわ。ちょっとここで待ってなさい」

「おお、じゃあ俺も見舞いもできたしそろそろ戻るわ。じゃあな、嬢ちゃん!暇な時でも、宿舎に遊び来てくれよ!」


 剣を振り回させてくれるなら毎日だって伺いますとも。

 マリガとザーグルが部屋を出ると、再び部屋に静けさがおりた。


 少しして、ドアが小さくノックされた。

 俺がどうぞと返事をすると、一人の老人が姿を見せた。

 見覚えがあるその姿に、俺は驚いた。

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