19.新学期
四百年前、ディール王国という国があった。
領土は広く、しかし東西南と領土を狙う敵国に囲まれ、国も民もいつ侵略戦争が起こるのかと恐怖していた。
はじめは互いに牽制しあっていた国々も、一つの国の進軍によってその均衡も崩れてしまった。
じわじわと三方から侵略され、狭まっていくディール王国。
侵略する国も、される国も、悲鳴と怒号が飛び交う酷い有様だった。
魔瘴もその負の感情に感化され、増して大きく膨れ上がっていた。
聖女の存在は遥か古来より存在はしていたが、学園もなくノウハウを学ぶ機会も無い時代。
それぞれの国が独学で育成していた事もあって、強大すぎる魔瘴に対処する事ができずにいた。
人々の予想を遥かに越えた膨れ上がった魔瘴は、獣の形を作り人々を無差別に襲いかかった。
侵略戦争所ではなくなっていた。
ディール王国に、ヴィザンという小さな村があった。
そこにはとても愛らしく美しい十三歳の少女がいた。
少女が祈ると、そのまわりに蔓延る魔瘴は消滅した。
戦乱の渦中、少女は家族を失いながらも、時間をかけ国の境無く蔓延る魔瘴を浄化していった。
ディール王国を侵略しようとしていた三国は彼女に感謝し、兵や軍を引いた。
ディール王国の第四王子であったヴァラル枢機卿は、少女を擁し柱としてヴィザンに教会を建てた。
聖女の始祖との共通項が多かった事から、教皇とは別にトップとし『再来の聖女』として崇められた。
数年後、ディール王国の現王ディテルは王権王政を廃し、繋がりの深い七つの貴族へ政治を任せ王族は教会へと籍を入れた。
そして聖女の保護と育成を掲げ、これ以上の自立的な領土の拡大をしない旨を宣言した。
これを受け、囲む三つの国はヴィザンの教会を援助し、侵略行為を行わない事を誓った。
ヴィザンの教会はその聖女の行いと信仰の深さに比例して大きくなり、やがてヴィザンタニアと名を改め聖都となった。
学園も建てられ、『再来の聖女』の指導の下、力の使い方を学んだ多くの聖女達が生み出されていった。
「し、知らなかった……。ずっとどっかにお城があって王様がいるものだと」
「ノイルイー、これ随分前に授業で習った。それにノイルイーは確かこの国の出身だったはず。知らないの、変」
「そう言われても、私何も無いほんと小さな町の傍で育ったし。興味もなかったし、どうせおえらい様方とは縁もないだろうし。授業は……はい、お察しの通りです」
「……歴史の授業、面白いのに。でも、今は聖女の卵として知っておいた方がいい」
確かに、聖女としてどこに派遣されるかもわからないし。事前の申請はできるといっても、急な魔瘴の発生だったら選んでなんてられないだろうし。
しかし『再来の聖女』様か。愛らしく美しいとか、ぜひ見てみたかった。
「今はその『再来の聖女』様からは何代目なの?」
「代替わりはしていないと聞いた」
「……は?」
「代替わりはしていない」
「いやいやいや、四百年前からいる人だよね?代替わりしていないって、即身仏とか何か像が建てられてるとか?あ、空位?」
「違う、この国を救った聖女、その人。まだ生きてる」
……嘘でしょ!?四百歳って事?
驚きに目も口も見開く俺とは対照的に、プラゥは冷静に続けた。
「そう聞くけど、私も見た事ない。もうずっと、公の場には出て来て居ない」
「ああ、じゃあ事の真偽はわからないねえ」
逆にちょっと安心した。流石にそんな四百年も生き続けてる人間なんて、いないよねえ。
俺はテーブルに肘を付いた。
それにそんな凄い聖女様がいるなら、何で魔瘴がこの聖都に沸いたんだろう。
四百歳ともなると、やっぱり聖女の務めは厳しいのだろうか。
実際に存在しているならだけども。
プラゥの講義を聞きながら、俺はぼんやりと去年の事を思い出していた。
いつの間にか来ていた冬は、またいつの間にか去っていた。
俺達は学年が上がり、新学期を迎えていた。
そして愚かにも俺は、ボリエヌ嬢とチャコリン嬢に館とそこへのルートの事を聞けず仕舞いだった。
彼女達は何と三年生で、そろって卒業してしまったのだ!
確かに年上だろうとは思ってたけど……。
寒いし暖かくなったらにしようとか、楽観的な事考えてたから!俺の馬鹿!
実はまだあの寂れた館での出来事を、教会に報告していない。
どう報告しようか、また誰に言おうか悩んでいたら今日まで日が経ってしまっていた。
ナナリエーヌ様達のことは伏せたいし、じゃああの青い宝石はどっからってなっちゃうし。
そこは上手くごまかしの効く相手か、全て話しても上手いことやってくれる相手じゃないと。
かと言って個人的な教会関係者の知り合いなんていないし……。
ライアール、ローシオンにエヴィ。
知り合いといっていいのかって位しか話した事ないけど、パラデリオン司祭様か。
人柄と地位的に、パラデリオン司祭様か?でも、本当に挨拶程度しかしてないしなあ。
そもそも、あの人の大聖堂での立場とか把握もしていないし。
司祭と呼ばれているから、それなりなんだろうとは思うけど。本堂勤めだし。
「ノイルイー、また聞いてない」
はっとして前を向くと、プラゥがじと目で俺を見ていた。
「ご、ごめん。ちょっと考え事しちゃって」
座学の成績の悪い俺に、こうしてプラゥはたまに講師をしてくれている。
するのかわからないが、万が一にも落第したら目も当てられないからだろう。
申し訳ないと思ったが、プラゥは自分の復習にもなるからと言ってくれた。
教鞭をとるのも、いいかもしれないと将来の候補にいれた様だった。
プラゥ先生か、かわいくて厳しい少し幼い顔立ちの真面目な教師。いいじゃない。
プラゥは少し背も伸び、肉付きも前よりだいぶ良くなってきた。
それでもまだ痩せてはいるけど。
肉はもうちょっとついて欲しいけど、身長は俺よりは伸びないで欲しいと思ってしまうのは俺の我がままだろうか。
「何か心配事、あるの?」
「いや、誰か信用できる騎士か司祭様いないかなって。できれば司祭様、……がいいかな?」
「いつもの礼拝堂の司祭様しか、知らない」
それは俺も知っている。というか、お祈りの時間で組の生徒皆で祈りに行っている。
だが個人では話した事など一度も無い。
朝の挨拶程度はするけど、それは誰でも同じだ。
「あの司祭様とは話した事ないし、それに大抵あそこは学園の生徒がいるからなあ」
「ノイルイー、騎士様の知り合い、いるじゃない」
やっぱそこに戻っちゃうか。
信用、できるのだろうか。ご飯は奢ってくれたけど……。
いやその前に、どうやって会えばいいんだろう。
「よくよく考えたら、第一騎士団の副隊長ってだけは聞いたけど、どこ行けば会えるのか知らない」
「そこまでわかってるなら、普通に本堂に行けばいい」
「そんな簡単に会えるものなの?」
「わからない。けど、学園の生徒ならもしかして、会えるかもしれない。駄目かもしれない」
「まー駄目元で行ってみようかあ」
「ノイルイーなら、会えるかも」
え?、とプラゥを見やるが、相変わらずの無表情だ。
俺が本堂に行くのだろうと、プラゥは本を鞄にしまい始めていた。
「プラゥはこれからどうするの?お母さんの所?」
「学園の事務いって、お仕事探す」
二学年になり、バイトもいくつか斡旋して貰えるようになった。
別館にある調理室や裁縫室や木工室などの、技能習得の為の教室の一つに符呪室がある。
そこに希望者が集まって、用意された石に聖なる文字を書き込んでいくのだ。
石は北の方にある鉱石を丸く削った物で、手のひらにすっぽり収まる程度の大きさだ。
聖なる文字は、魔よけの意味する文字を書き込む。
テンプレが用意されているので、覚えの悪い俺でも見ながら書けば間違う事もない。
宛名書きのバイトならぬ魔よけ書きのバイトだ。
この石は綺麗な布の袋に入れられ、お守りとして売られるそうだ。
あ、いや、お布施と交換されるそうだ。
授業が終わったらすぐ来れるし、簡単だから俺は喜んでこれに応募した。
聖女……の卵だけど、にしかできない仕事でもある。
それと、魔よけの効果がでないと意味が無いので、ある程度聖なる力の保有量が多い者しか受けられない。
残念ながらプラゥは駄目だった。
しかしプラゥはへこたれず、もっといい報酬の仕事を紹介して貰うと意気込んでいた。
心でエールを送りながらプラゥと別れた俺は、一度『花冠の館』へと戻った。
大聖堂へ行くので、身だしなみくらいはチェックしとこう。
髪を梳かし、埃をぱんぱんと払い、毛玉がついていないか確認する。
制服だし、そこまで気にしなくてもいいかもしれないけど……。
姿見に映った自分を見る。
十四歳になり、背も少し伸びた。肉付きもちょっと良くなったかな。
あいかわらず胸はつつましやかだけど。
映し出される柔らかい曲線。
「あああああ、どんどん女性らしくなっていく気がするう~……」
盛大なため息を吐きながら、頭を抱える。
あれ、俺去年も同じ様な事してなかったっけ。
……落ち込んでいても仕方が無い。行こう。
すっくと立ち上がり、俺は部屋を後にした。




