終楽章(二)
終楽章 (三)
絹糸でできたような乾いた手触りがライクの感覚を刺激した。左手は上腕部から赤い液体で満たされたチューブの中に入れられている。
「神経組織は複製されたようだな、だが皮下組織の培養にはもう少し時間がかかる」
昆虫の複眼と触覚をもつ男は、天井を見つめたまま無言で横になるライクに声をかけた。
「ここまで、古の技術が使われている人形は見たことがない……お前は見惚れるほどの芸術品だ」
「フウロハドコニ、イマスカ……」
「あの病にかかった少女なら、黄金の泉に行っている」
「オウゴンノイズミ……」
「昔からあるつまらぬ場所だ、それよりお前の生体電子頭脳のメモリーエラーを培養作業と平行して修正しよう、ただ他の部品は交換しないと駄目だ、すぐに機能が停止する」
「ワタシノキオクハ、ヒトツモケサナイデクダサイ……」
「人形でもそう思うのか……だが、それでは細かいエラーは直らんぞ、全て消去した上で組み直した方が……いつ、データがとぶかわからない状態だぞ」
「ワタシガワタシデイルノハ、ワタシガ『ライク・ロイド』デイラレルノハ、コノデータガアルカラ……」
「単なる二進法の数字の蓄積でもか……仕方がない、まず発声装置から手を付けよう、それなら文句はあるまい」
ライクの横たわる部屋には窓がない。
金属質の壁が入り口のドアのところだけを除き、組まれている。
(フウロハ、ワタシノツイテイタ『ウソ』ヲ、ユルシテクレルノダロウカ……)
「今、脳波にノイズが走ったな……エラー防止のために一度回路を遮断させてもらう」
男の声を最後まで聞きとるこができず、ライクの思考はまた暗闇の中へ落ちた
湖沼と森林の点在する地上とは全く異なる光景がフウロの目の前に広がっていた。
迷路のように入り組んだ先には、どこまでも続いている先の見えない地下都市空間が、不知火のように闇の中に浮かんでいる。
「フウロ、大きな音がでるので耳を押さえていなさい」
羽の生えた女性を含めた三人の青年は、もってきた筒に火を付けた。数秒後に大きな破裂音がすると、いきなり辺りが蒼白く発光した。より明るくなった世界には石造りの街ではなく、近代的な高層建築物の形をしているものもあった。
「数時間は音に驚いた発光バクテリアをもつ生物たちが足下を照らしてくれる、黄金の泉までならもう少しだ」
「何で、私がそこに行きたいことを知っているの?」
「昨日の夜、ユキザネくんが僕らに話してくれたんだ」
「ユキザネ?」
「ああ、君たちはニックと呼んでいたようだね」
「ニックが来ているの?」
「ううん、遠い空から話をしてくれただけだ」
「ニックはここに来るの?」
「今、彼は『神様』に乗っているのでどうでしょうか、でも最後まで彼はあなたのことや人形のことを心配していました」
女性の漏らした言葉にフウロは顔を強ばらせた。
その表情を見て、青年は会話を止めた。
「ライクは人形じゃないよ……ライクは私のお姉ちゃんだもん……人形なんかじゃ……」
「なら、どうして君はライクの部屋にあれから一回も行かないんだ」
「子供をからかうのはよせ」
別の青年がからかうようにフウロに話すのをリーダー格の青年はあわてて制した。
「あれは本当のライクじゃない、本当のライクは機械なんかじゃないもん……」
フウロはそう言いきり、押し黙ってしまった。
「だから子供は……」
あきれ顔の青年は自分の額から突き出た触角を小刻みに震わせた。
「さぁ、フウロちゃん、元気を出して、この階段を登ったところから泉が見えるのよ」
女性がフウロの手を引いて四階から上のない崩れた建物の階段を上がっていった。
最上階の部屋にたどり着いたフウロの視線の先に、泉が金色の光を発していた。よく見ると地上から細い蜘蛛の糸のような光の直線がその水面までのびている。
「あれが……黄金の泉……ライクやおじいちゃんの言っていたことは……本当だったんだ……」
フウロは、この場所に自分が立っていることが夢のように思えた。
ただ、できればこの荘厳な景色を祖父とライク三人で見たいと後悔に似た悲しい感情も共に抱いていた。
「早く行かないと採光装置の効かないところに光が逃げてしまうぞ」
先程の苦虫ばしった青年が皆を促した。
フウロはその言葉を耳にし、女性の手を振り払うと、おぼつかない足取りで階段を下り、泉に向けて駆けだした。
(私の病気なんて治らなくていいんです……ライクを……ライクを助けて下さい……お願いです神様……ライクが私を……ここまで病気の私を連れて来てくれたんです)
「フウロちゃん、待って」
(もう我が儘なんて言いません、ニンジンだってピーマンだって食べて好き嫌いも言いません、お薬も毎日飲みます……ソマリにいたずらだってしません……夜もすぐに寝ます……お寝坊だってしません……)
自分の思いつく反省することをつぶやくフウロの目から涙が自然に溢れていった。
「だから……神様お願いです!ライクを助けて下さい!」
黄金の泉の輝きはさらに増し、フウロの祈りの言葉と身体を優しく包んでいった。
陥没し、朽ちた建造物や溶け落ちた金属物の間にたまった水たまりという言葉がふさわしい小さな場所、それが『黄金の泉』であった。
波一つたたない金色に光り輝く水が、頭上から差し込む太陽の光を反射させている景色は、伝説通り失われた黄金都市のようにも見えた。時折、差し込む光が地上の何かに遮られた時、まるで生きているかのように、光の粒子が鼓動した。
フウロは光の輪の中に取り込まれた岸辺に着くと、すぐにひざまずいた。石や破片が細い脚に食い込んだが、フウロは感知さえしていない。両手を胸の前で組み、泣きながら頭を垂れ、早口で何度もライクの回復を祈る言葉だけを唱えた。
「藻類の群生地がそんなに珍しいものなのか?確かにこの地は俺たちが小さい頃『レイクレイ(光の湖)』という名で呼ばれていたけどな、希望なんて叶うわけないだろう、そんなに叶うものだったら、俺はいくつも願っているよ」
「それをあの少女に言ってはだめだ、ユキザネくんが怒る……」
「でしょうね……でも、なぜ、生存を許された人間たちはこの地にそのような伝説を残したのでしょうか、あまりにも残酷です……」
「希望を与えて下さった神が初めて産声を上げた所……わずかに残った人間たちはそれを覚えていたからだろう……」
『オクロモナス』と呼ばれるある種の藻類は、自らの細胞に光を反射させ輝く特質をもつものがある。ただ、そのようなことを知る由もなく必死に祈るフウロへ、黄金の泉は何か言葉をかけであげる訳でもなく、厳かに輝き続けている。
羽の生えた三人の男女にとって、今は祈り続けるフウロの幼い背中を見守ることしかできなかった。
終楽章 (四)
「餌を何不自由なく与えられて一生を監視の中で終えるこの鳥のようになるか、わずかな希望と引き替えに蛇に呑まれる恐怖におびえ、冷たい土の上で屍をさらす野鳥になるか、お前だったらどうする……」
「はい、私は……」
エルネストに問いかけられたライクは、途中で自分の言葉を切り、立っているその位置から窓際に移動しガラス窓を大きく開け放った。
「私の答えは……」
ライクは自分の栗色の髪の毛を優しい風にそよがせつつ、鳥かごの扉を外に向けて開いた。
「フウロをいつまでも見守りたい、そして、フウロが幸せに生きていくことができるこの世界を守っていきたい、たとえ、羽根を失った鳥になったとしても……」
その言葉を聞いて、エルネストは何度もうなずき、目に涙をためた。
「神は人間以上の心を人間以外の者にも与えた、全ての科学の叡智を私に与えてくれたあの青年にも感謝しよう、私がシルバーやお前を造ったことはやはり間違いではなかった」
エルネストの言葉が闇にこだまし、ゴブの人形の甲高い声に声に変わった。
(夢ハ記憶ノ『ノイズ』ダヨ……)
ライクは、そこで目を覚ました。
青年はライクにつながれた機器の操作を止め、彼女の横たわる金属製のベッドに歩み寄った。
「もう少し、修理を進めておこうと思ったけど、ユキザネくんの話だと、ここに天使が再び降りてくるかもしれないって、一時避難しなければならない、何たってこの部屋は地上から近すぎる」
「フウロは?」
「あの少女か?二時間ほど前からその扉の向こうにいる、泉から帰ってきてお前の起動を待っているようだ、いや、あの子なら元気になると言うのだろうな」
ライクは自分の両手を顔の上に上げた、右手は赤みが消え、まるで真っ白な棒のようであり、左手はまだ皮膚の再生が追いついていないせいで、中の骨格が透けて見えていた。
右手で自分の頬をさすると、ウレタンゴムのふわふわとした手触りを感じた。
「顔の皮膚の再生にはまだ手を付けていない、あの子が驚いたら困ると思って、損傷部分にパッドをあてておいた、手には手袋でもはめておけ」
「ありがとう」
「それとこんなことは言いたくないのだが、破損状況がひどくて、お前の内蔵バッテリーや周辺の維持装置はもってあと半月というところだぞ、残念なことだが交換部品はここには……いや、この地球上にはない」
「そのことはフウロには黙っていてください」
「黙っていろか……こんなに手のかかるわがままな人形は初めてだ、あの子を部屋にいれるぞ、いいな」
青年が扉を開けると、三人の男女に囲まれたその真ん中に、祈るように両手を組んだままのフウロが立っていた。ライクはベッドにゆっくりと半身を起こした。
「ライク……大丈夫だよね、元気になったよね、私ね、黄金の泉でいっぱいお祈りしたから、本当に大丈夫だよね」
「ほら、もう気が付いているじゃない、よかったね、フウロちゃん」
横にいた女性が部屋に、まだ脚を踏み入れられないでいるフウロの背中を軽く押した。
「フウロ……もう大丈夫だ」
ライクが言葉を終える前に、フウロは彼女に抱きつき号泣した。
ライクは左手を毛布の中に隠したまま、右手でフウロの頭を抱きしめ、その柔らかい髪の毛を愛しそうに撫でた。
「あっ!」
二人の再会の時間は、部屋全体を揺らす振動で止められた。
「早く、安全な所へ行かなきゃ、やっぱり降りてきたよ」
「この振動は?」
ライクはフウロをしっかりと抱きしめながら、自分を修理してくれた青年に聞いた。
「攻撃の始まりの合図、君たちの乗ってきた『銀色』が戦った奴だ」
フウロは、自分を抱くライクの左手を見た。透けた肌をした腕の下に絡み合った毛細血管と透明な筋や機械が見えた。
一瞬、身体を強ばらせたフウロに気付いたライクは、左腕をそっとフウロの身体から離した。
「フウロ!フウロぉ!」
暗い廊下の向こうから猫人形のソマリが鳴きながら駆けてきた。
「ライク!もう動けるの?よかったぁ!フウロ!シルバーと一緒に待っていたけど、ずっと、ずっと誰も来ないんだもん!すごく、すごく心配だったんだよ!我慢できなくて約束破っちゃったよ」
飛び付くソマリを抱いたフウロは、自分からライクの不完全な状態の左手を握った。
「私、お祈りしたから……絶対に治るって……」
ライクはぎこちなく泣きながら微笑むフウロの前でしゃがみ、静かに彼女を抱擁した。
「ごめんなさい……フウロ……あなたを騙していて」
「早く避難しなくちゃ!」
やきもきとして二人の様子を見ていた青年らは、たまらず声を上げた。
むせび泣くような金属音が廊下の奥から断続的に響いてくる。
「シルバーが私を呼んでいます……ソマリ、私が帰ってくるまで、フウロの側にいてあげて、皆さん、フウロをお願いします」
「ライク、どこに行くの!」
「エルネストお爺さまとの約束を守りに……フウロ、お祈りをしてくれてありがとう……私はまだ戦え……あなたを守ることができる」
そう言う、ライクの瞳も涙で潤んでいた。
「待ってよ、ライク!私も連れてって!本当のライクだったら私も連れていってくれるよ!また、旅に連れて行ってくれるって、色々な世界を見せてくれるって!」
フウロの懇願にライクは黙って微笑み返し、衝撃音で揺れる暗い廊下の奥へ一人走っていった
。
「ライクの馬鹿ぁ!やっぱりライクじゃないんだ、やだ……やだよ……やっぱり人形のライクなんて壊れちゃえばいいんだ!人形のライクなんて……本当のライクはどこに行っちゃったの!返してよ!私のライクを!うわぁあん」
青年たちに腕や身体を掴まれ押しとどめられたフウロは、廊下の闇に向かって泣きながら叫んだ。
「痛イ……フウロ……痛イヨ……」
猫のソマリの感情センサーは、彼女の気持ちの複雑な揺れに対応できないくらいまでに高まっていった。
天使のような姿をした巨大生物によって遙か上空から放たれた光弾は、地表の岩を吹き飛ばし、周囲の樹木を焼き払っていった。
ライフルを構えて立つシルバーを中心に爆風が渦巻き、大地の砕け散った残骸が空から降り注いだ。
「空で二、地上で三、シルバー、確認しましたね、あなたは私と同じ使命を担っている、フウロを守らなければいけません」
シルバーはライクの呼びかけに答えるように一瞬だけモニターを輝かせた。
短く切った彼女の髪の先が傷を覆う頬のパッドに触れる。
ライクは口を力強く結んだ。
地上からシルバーの撃った光弾は煙雲をかき消しながら、空に一筋の光跡となって消えた。彼女が次のライフル弾の充填を確かめた動作を行った時、おびただしい臓物と血の雨が降り注いできた。
ライクはスロットルを押し上げ、シルバーの太陽光を反射する翼を広げた。
「行きます」
シルバーの立っていた位置に巨大生物からの攻撃が集中した。
黒く大きな窪みを眼下に、立ち上るキノコ雲の途切れた空でシルバーが翼を広げる。
その翼がわずかな黒煙の隙間から差し込む光に輝き七色の光輪を描いた。
シルバーは、獲物として自分が補足されたことを告げるアラートをコクピットに響かせた。至近距離からの巨大生物の光弾は回避した機体の真横をかすめていった。
彼らから放たれたいくつもの光弾は地表で破裂し、沸騰していた湖水を底から一気に蒸発させた。
熱風はさらに深い森林を焼く。樹が焼け落ちた後には、石と同化したように見える前時代の都市建造物がいたる所に倒壊した姿をあらわにした。それは、この街の周辺が遠い過去に繁栄していたことを証明する情景であった。
狂ったように弾を撃ち続ける二体めの天使の頭は、シルバーの放ったプラズマ弾によって焼かれ蒸発した。
降下途中の二体はシルバーの姿を捉えることのできないまま、至近距離からそれぞれ胸部と頭部を打ち抜かれた。巨大生物は翼をはためかせないまま、その大きな身体を地上へ激突させた。
「抜かれた!」
地上に開いた穴の最深部に地下の遺跡群の一部が顔を覗かせた。最後の一匹は地下にもっと多くの獲物がいる匂いを嗅ぎ取った。
シルバーの攻撃をすり抜けた巨大生物は地上の穴に、自分の身体を深く潜り込ませた。
暗闇で首を目いっぱい伸ばした先に、遺跡の中を逃げる一団を認めた。
羽の生えた住人とフウロであった。腹這いになり多足類の生物が見せるようなとてつもない速さで、巨大生物は彼らに襲いかかった。
「みんなを食べるのなら私を食べて!」
皆の背に守られていたフウロは目をつぶったまま突然前に走り出た。
差し込んだ光が土埃に乱反射する。
「フウロ!だめだよ!」
ソマリの叫び声が崩壊していく音の中に消えた。
そこにいた者たちは「死」の間際の気を感じ取った。
緑色の液体が立ちすくむフウロの全身を頭から濡らしていく。静かに倒れていくフウロの足元には緑色をした水たまりが広がっていった。
巨大生物の首は、ゆっくりと地面に落ち、遺跡の一部である古いコンクリート製の建物を崩していった。両腕をフウロのすぐ目の前で構えたまま残された身体が痙攣をしている。
音が消えた世界で、光をきらめかせたシルバーの刀の尖端だけが煙の中から伸びていた。
「フウロ!」
シルバーのコクピットカバーを開け、ライクは駆け寄っていく。
地面に倒れ伏すフウロを抱き起こしたライクは、フウロの身体全体に紫の痣花が咲いているのを見た。発作が起きていることに違いはなく、何度も名前を呼びかけても苦しそうな呼吸をしているだけであった。
「フウロ、起きて、起きて!あなたが死んでしまったら私は……私はどうすればいいの!」
ソマリもフウロの周りを駆け回りながら締め付けられたような猫の鳴き声のビープ音を鳴らし続けた。




