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この舞台(ステージ)に残るために、僕らは嘘をつく  作者: 卯月そい
― 夜明け前 ―

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8/23

第7話|消えなかったもの


 人混みを抜けて、ようやく(はるか)は家に帰り着いた。

 リビングのテレビから、聞き慣れた幼い声が聞こえてきた。

 遼はそっと顔を上げた。


 ——画面の中の子供は、今よりずっと幼い、子役時代の遼だった。


 遼の帰宅に気づいていない祖母は、リビングの隅に積んであった箱から遼のトロフィーを取り出し、手入れをしていた。


 今まで遼の前でトロフィーを取り出したことのなかった祖母の姿は、遼にとって相当衝撃的な光景だった。

 子役を辞めて以来、父も祖母も遼の前では子役時代のことを一切口にしなかった。

 ドラマや映画も見ないようにしていたし、話題に出すこともなかったのだ。


 ——このまま入っていけば、おばあちゃんが困ってしまうかもしれない。


 そう思った遼は気配を消して一度玄関を出た。

 そっと鍵も閉める。

 彼は少し考え込んだ後、インターホンを鳴らした。

 祖母の声が、スピーカー越しに聞こえてきた。


「はぁい。どなた?」

「おばあちゃん、遼です」


 先ほどの光景など何も見ていないふりをした。

 いつもより少しだけ、声のトーンを上げた。

 玄関の向こうで慌てる物音がし、小さく聞こえていたテレビの音も消えた。


「……鍵を、忘れてしまいました」


 ***


 去年の10月のある日。

 遼は登校の準備をしながら、リビングのテレビで朝の情報番組を見ていた。

 画面にはA.STRE(アストレ)が映っており、司会者が匠海(たくみ)にマイクを向けていた。


円道(えんどう)さんは、今回のオーディションで初めてダンスと歌に挑戦したと聞きましたが、大変ではありませんでしたか?」


 以前、遼も匠海に似たような質問をしたことがある。

 オーディション番組に出演すると告げられた時、遼が「いきなりアイドルになるの?」と聞くと、匠海は「僕はたくさんの人から愛されたいんだよ!」と叫んだことがあった。


「最初は苦労しました。でも、続けていたら本当に歌とダンスが好きになって。A.STREに入れて、素敵な仲間に出会えて、たくさんの人に愛してもらえて——全然大変じゃなかったですよ!」


 匠海の声だけが、やけに遠くで光っていた。

 昔はエキストラばかりだとぶつぶつ言っていた匠海が、今はスポットライトを浴びる主役の位置に立っていた。

 いつも遼の隣にあった匠海の居場所が、消えてしまったような気分だった。


 また、一人になる。


 ——匠海と出会う前の自分には、戻りたくない。


 そう思った途端、遼は自室へ戻った。

 机の一番上の引き出しの奥に押し込んでいた名刺を探し出す。


 子役を辞めてからも、学校の帰り道などで何度か芸能事務所から復帰のオファーを受けたことがあった。

 そのたびに丁寧に断ると、「気が変わったら連絡するように」と名刺を渡してくれた事務所もいくつかあったのだ。

 遼はその名刺を道端に捨てるのは失礼だと思い、きちんと持ち帰って引き出しにしまっておいた。


「見つけた」


 ——篠原(しのはら)恒一郎(こういちろう) STARZEN(スタゼン) 新人開発部 部長——


 遼はつばを飲み込み、名刺に書かれた電話番号に電話をかけた。

 数回のコール音の後、男性の声が聞こえた。


「篠原です」

知念(ちねん)(はるか)です。私のことは覚えていますか?」

「……知念くん?」


 思いもよらない電話に、篠原は戸惑った。

 遼は目をそっと閉じ、口を開いた。


「テレビに出たいです。どうすればいいですか?」


 ***


 遼は放課後、篠原に改めて連絡を取り、Unites(ユナイツ)の建物の前で待ち合わせた。

 篠原がメッセージで送ってきた住所はSTARZENではなく、見覚えのない事務所のものだった。

 遼は不思議そうに首を傾げながら篠原を見た。


「ああ、この前事務所を立ち上げたんだ。俺がここの社長だよ。入ろうか」


 ようやく、ここに来た理由に納得がいった。

 遼は篠原と共に事務所の中に入った。

 そこで二人を迎えてくれたのは、メイと寛人(ひろと)だった。

 篠原は二人の顔を見て、軽く目を細めた。


「二人ともいたんだ。他の子は?」

「発声練習中です」


 寛人はタブレットでスケジュール表を確認しながら言った。

 メイは篠原の隣でそわそわしている遼を見て、顔をぱっと明るくした。


「今度は篠原さんが練習生を連れてきたんですか?」


 メイは喜びのあまり、どたどたと遼に近づいてきた。

 あまりの勢いに、遼はそろそろと身を引いた。

 メイは遼の顔を見て、首を傾げた。


「……知念遼?」

「はい。私のことを覚えていますか?」

「もちろん。アイドルに興味あるの?」


 メイの質問に、遼は視線をそらした。

 篠原は遼をメイから庇うように体を動かしながら言った。


「少し訳あって、今日は相談だけだ。寛人くん、飲み物は何があるかな?」


 寛人はタブレットから顔を上げた。


「水とコーヒーだけです。知念さん、水とコーヒー、どちらにしますか?」

「水をください。ありがとうございます」


 遼は緊張していた。

 それでも、丁寧な言葉遣いで答えた。

 一礼するのも忘れてはいない。


「会議室、使わせてくれ」


 篠原は、目を輝かせるメイの視線から遼を庇うようにして、先に会議室へと入った。


 ***


 会議室には遼と篠原の二人きり。

 会議室のドアにある小さな窓の向こうから、メイの熱い視線が遼の後ろ姿を見つめている。

 遼からは見えないが、そのような視線を背中に感じながら、あえて無視しようと努めた。


「知念くんの方から先に連絡をくれるとは思わなかったよ。しかもその名刺、ずいぶん前に渡したものだけど、捨てずにちゃんと持っていてくれたんだね」


 STARZEN時代の名刺をじっと眺めながら篠原が言った。

 遼は緊張した様子で、握りしめた拳を膝の上に置いた。


「テレビに出たいです。ただ、方法が分からないんです」

「ふむ……知念くんなら、うちと契約すれば、俺の知り合いの記者何人かに『知念遼、芸能界復帰』と伝えておくだけで、すぐ脚本が山ほど届くと思うよ」

「ただ……少し、怖いんです」


 自分の本音を明かすことは、思ったよりも難しくはなかった。

 遼も、篠原の言った方法が一番早い復帰方法であることは分かっていた。

 しかし、また『あの芝居』をやらなければならないことが怖かった。


「皆さんは、昔私がやっていたようなことしか求めていないと思います。映画祭で賞を獲れるほどの重くて、暗くて、複雑な……あのようなお芝居を、また求めているんだと思います」

「その可能性は高いね」

「それに、私は5年間、お芝居をしていません。ドラマも映画も見ていませんでした。昔のように演じることができなければ、私を信じてくださった方々に迷惑をかけてしまいます。……それが、怖いです」


 ——それが、遼が再び芝居を始める上で足かせとなっているものだった。


 篠原は、遼がそこまで追い詰められていたとは思わなかった。

 どんな言葉をかければいいのか考えあぐねていると、いきなり会議室のドアがトンと開いた。


「そういう遼くんには、アイドルをおすすめするよ!」


 メイの堂々たる声。

 メイの後ろには、困惑した寛人の顔が見える。

 篠原が苦笑いを浮かべながら言った。


「メイちゃん、盗み聞きは良くないよ」

「防音がないので、聞こえてしまいます。全部」


 篠原の言葉にも動じない。

 メイは遼の隣に座った。


「アイドルは、そんな暗いお仕事はしないよ。輝くステージで、楽しさや幸せを届ける仕事。だから、やってみる価値はある」


 メイの言葉で、遼はA.STREの円道(えんどう)匠海(たくみ)を思い出した。

 輝くステージの上で眩しかった彼の姿。

 アイドルとしてインタビューを受ける時も凛として希望に満ちた言葉を語り、見ているだけで応援したくなる気持ちにさせてくれた。

 メイは続けた。


「遼くんはアイドルをやったことがないから、最初から上手くなくていい。大丈夫。続けていれば伸びるし、ファンはそういう姿を好きになってくれる」


 オーディション番組が終わり、デビューの準備をしていた頃、最初は疲れた顔をしていた匠海が、次第に明るく凛とした顔つきに変わっていったことを思い出した。

 遼が何も言えずに考え込んでいるのを見て、メイは何かひらめいたように目を輝かせ、遼をまっすぐに見つめた。


「じゃあ、知念くんに提案。『アイドル練習生1週間体験』、やってみて」


 メイの突然の提案に、篠原と寛人が声を上げた。

 遼は状況が飲み込めないまま、おずおずと口を開いた。


「……それは、決めてしまっていいんですか?」

「大丈夫。まずやってみてから選ぶ。それでいい」


 メイは遼の手を取り、そのまま会議室から連れ出した。



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