第15話|『息子』のまま終われない
『雨夜玲志の息子』がデビューするという記事が公開された翌日。
Unites事務所の地下1階にある練習室は、昨日公開されたデビュー関連記事の話題で持ちきりだった。
ただ、凛だけは練習室の隅に一人しゃがみ込み、顔を伏せていた。
「凛、今日なんか機嫌悪いじゃん。どうした」
理月は練習室の隅にいる凛を見て、首を傾げた。
凛は普段、会話に加わらなくてもメンバーの近くにはいたため、今の行動は明らかに不自然だった。
「いくら凛兄さんでも、あんなコメント見てたら……傷ついてしまうと思います……」
いろはは親指でスマホをスクロールしながら言った。
画面には、5人のデビュー関連記事が並んでいる。
「それは違う」
「それは違うよ」
メイと寛人がほぼ同時に答えた。
先に口を開いたのはメイで、寛人がすぐ後に続いた。
「今の凛、本気で怒ってる。近づかない方がいいよ」
メイの言葉に、理月といろはは再び凛を見つめた。
言われてみれば、確かに凹んでいるようには見えなかった。
メイは凛の様子を見慣れているかのように、言葉を継いだ。
「今は一人で心の整理が必要なだけ。放っておいていいから」
凛は顔を上げた。
確かに、その瞳には静かな怒りが宿っていた。
昨日公開されたネット記事の中で、『雨夜玲志の息子がデビューする』という見出しの記事が、最も多くの閲覧数とコメント数を集めた。
記事本文に、凛の名前は出ていなかった。
しかし、大衆はすぐに『雨夜玲志の息子』を検索し始めた。
そして、凛がオーディション番組『STARZEN NEXT STAGE』に出演した事実が、より多くの人に知れ渡ることになった。
番組の冒頭で雨夜玲志の息子であることを証明するかのような圧倒的な実力を見せていた少年が、よりによって『雨夜玲志』のカバーラウンドで脱落していた。
そのエピソードが注目を集めた。
当時の凛の『あのステージ』がSNSのおすすめ欄に流れてきて、無残にも掘り返されたのだ。
人々は凛の『あのステージ』をネタにして、無責任な言葉をネット上に放り投げた。
未だにこうした反応に慣れていない凛は傷つきもしたが、それ以上に『あのステージ』を絶対に超えてみせるという闘志を燃やしていた。
「去年の夏、初めて会った時もああだったな」
寛人はUnitesへの初出勤の日を思い出した。
あの時も、今と同じく『あのステージ』がネット上でネタにされていた。
初めて目にするそうした反応に、凛の瞳には凄まじい毒気が満ちていた。
番組で見ていた凛と、目の前にいる凛のあまりのギャップに、寛人は1ヶ月間自分から話しかけることさえできなかった。
今も、凛の心は『あのステージ』に囚われたままだ。
ずっと何も言わずにしゃがんでいる凛を見て、メイは口を開いた。
「正直、助かった。あれだけ煽って『誰それ?』で終わるのが一番怖かった。凛が今も注目されてるのは、間違いなくプラスだから」
凛はメイを睨みながら、低い声で言った。
「……お前、あれを承諾したのか?」
「私は記事を確認して、通しただけ。本文に凛の名前は一言も入れてない。過去の動画を引っ張り出してSNSで盛り上がってるのは、全部外の人間でしょ」
メイも凛に対して申し訳ない気持ちがないわけではなかった。
雨夜玲志の息子がアイドルデビューするという記事を出せば、オーディションの話は必ず付いてくる。
そうなれば、凛の『あのステージ』が再浮上するのは目に見えていた。
ただ、新興の芸能事務所からデビューするアイドルが注目を浴びるためには、これほど刺激的な記事で話題を集めなければ、すぐ埋もれてしまう。
仕方のない選択だった。
『あのステージ』は、メイにとっても凛にとっても、超えなければならない壁だった。
しかし、おすすめ欄に流れてきた『あのステージ』が想像以上にSNSで話題になったことには、メイ自身も少し驚いていた。
「むしろ良かった。今の私たちに必要なのは無関心じゃなくて関心——形はどうであれ、注目されることが先決だから」
凛はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。
「……ああいう記事、静香さんに何か言われると思うけど」
諸星静香。
メイの母であり、STARZENの代表プロデューサー。
静香が専任で担当しているアイドルこそ、雨夜玲志だ。
「お母さんには配布前に送ったよ。『勝手にしなさい』って言うから、勝手にした」
凛は思わず呟いた。
「……嘘」
嘘ではなかった。
ただ、静香は最後に一言だけ加えていたのだ。
——ただし、責任は貴方が取ること。
メイはその言葉に、返信しなかった。
凛は静かに言った。
「お父さんにとっていいことが何もない」
「だからと言って、悪いことでもないでしょ」
メイの反論に、凛は言い返せなかった。
「考えてみて。玲志おじさんがああいう記事の見出し一つで損するわけない。何の問題にもならないから、お母さんも止めなかったんでしょ」
国民的アイドル『雨夜玲志』を、『お父さん』と呼ぶ少年と、『玲志おじさん』と呼ぶ少女。
第三者から見れば、二人の会話はどこか現実味のない不思議な光景だった。
「……だろうけど」
玲志の名声は揺るがない。
——問題は、凛が『息子』で終わることだった。
玲志に悪影響はないと判断したからこそ、静香も黙認した。
メイの主張には矛盾がなかった。
凛本人も、『雨夜玲志の息子』と呼ばれること自体に抵抗感はなかった。
それは事実であり、受け入れるべき現実だからだ。
だが、『雨夜玲志の息子』というレッテルだけで消費されるのは、別の話だった。
人間としてではなく、ただの記号として評価されている気がした。
「遼くんを見習ってよ。自分の話でこれだけ盛り上がっても、全然動揺してないでしょ」
『雨夜玲志の息子』の次にヒットした見出しは、『天才子役・知念遼、アイドルとして復帰』というものだった。
遼は自分の名前が入った記事のコメントを、一つずつ声を出して読み上げていた。
——あの知念遼が、芸能界復帰?
——演技が通用しなくなったからアイドルに逃げたの丸出しで草w
——爽やかな顔して裏では平気で人刺しそう……
淡々と人の容赦のない反応を読み上げる遼を見て、一同は驚きを隠せなかった。
寛人は戸惑いを抑えながら聞いた。
「遼くん……そういうコメントを見て、傷つかない?」
「私を『悪い人』とか『狂っている』とか言うのは、すべて過去の役の話ですから。大丈夫です」
理路整然とした回答に、寛人は返す言葉を失った。
遼は続けた。
「演技をやめてから随分と時間が経ちましたが、思ったより覚えていてくださる方がいるようですね」
「それほど遼くんの演技がすごかったってことだよ。俺も、遼くんの映画は忘れられなかった」
「ありがとうございます」
遼は寛人に軽く一礼した。
「コンセプトが『恐怖』だという人もいます。『サスペンスアイドル』とも書かれています」
「4月発売なのに、そんなコンセプトで曲を出すわけないでしょ!」
メイはネットの勝手な噂話に呆れ、遼を見つめた。
遼は何の表情も変えず、ただコメントを読み続けていた。
その時、メイのスマホが振動した。
確認した途端、メイの表情がぱっと明るくなった。
そして、練習室の隅にある大きなモニターを中央まで引き寄せた。
寛人も自分のスマホを確認しながら言った。
「やっとプロフィール写真の完成版が届いたね」
「そうです!篠原さんから最終OKが出ました。これで確定します。みんなで確認しましょう——ちなみにこれ以上の修正は受け付けません」
メイはノートパソコンをモニターに繋ぎ、メールで届いたプロフィール写真を画面に映し出した。
4月のデビュー、そして『清涼感』というコンセプトに合わせ、白いシャツと明るめのデニムで統一された衣装。
自然光を浴び、透明感が際立つ写真だった。
モニターの中にいる5人の少年は、どう見ても『アイドル』そのものだった。
出来上がった写真に、メンバーたちのテンションも一気に上がった。
メイは大きな画面に映る写真を見つめながら、撮影日のことを思い出していた。
***
デビュープロフィール撮影日。
撮影は極めて順調だった。
遼は事前に共有されたリファレンスのニュアンスを完璧に再現し、カメラマンも「注文をつける必要がない」と絶賛するほどだった。
凛は撮影の合間にこまめに写真をチェックし、カメラマンと意見を交わしながら作業を進めた。
理月は最初こそ緊張して肩に力が入っていたが、メイが現場のBGMを変えると、すぐいつもの調子を取り戻した。
いろははカメラのレンズが怖いと怯えていたが、カメラマンになだめられ、なんとかカメラ目線のカットを撮ることができた。
そして最後、寛人の個人撮影の番になった時、寛人が眼鏡をかけたまま現場に現れた。
それを見たメイは、はじかれたようにすぐ寛人の元へ駆け寄った。
「プロフィール撮影で眼鏡はダメです。外してきてください!」
「これは伊達メガネだよ。これがないと、どうにも落ち着かないんだよ」
寛人の眼鏡をめぐって、メイと寛人は言い争いを始めた。
少し離れた場所で、理月はその様子を面白がってスマホで撮影していた。
隣にいた凛が声をかけた。
「……なぜ撮ってるんですか」
「メイさんも撮ってたじゃん。だから俺も撮ってみようかなって思っただけだよ」
メイはデビュー後に公式チャンネルへ投稿するため、撮影の合間にメイキング映像を撮っていた。
それを知っている凛は、軽くため息をついた。
「撮っても使えませんよ」
「使えないって?あとで二人に送るだけだよ」
その時、理月の隣にいろはがすっと現れた。
「ぼ、ぼくも、二人のこと、撮ってあげます」
いろはは理月と同じようにメイと寛人を撮り始めた。
凛は遼までもこの流れに乗るのではないかと危機感を覚え、周囲を見渡した。
遼は現場の隅で、静かに本を読んでいた。
凛はこの修羅場を、ただ見守るしかなかった。
結局、カメラマンが「眼鏡をかけている愛川くんも知的でかっこいいよ」とメイを説得し、30分に及ぶ押し問答は終了した。
***
メイはまだ拗ねたような顔で、寛人の写真を見つめている。
寛人もメイの機嫌が斜めなことに気づいていたが、あえて何も言わなかった。
その時、再びメイのスマホが震えた。
今度は長く、重々しい振動だった。
メイは画面を確認すると、すぐに電話に出た。
「Unitesの諸星です」
いつもの口調とは違う、完全に仕事モードに入った声。
メイは相手の言葉を聞きながら、少し困惑した表情を浮かべた。
「写真ですか?はい、今最終確認を終えて送ろうとしていたところです」
『今日中にグループ名とプロフィール、写真をいただけないと、明日の記事から落ちます』
「資料をまとめてすぐ送ります。少々お待ちください。……はい、失礼いたします」
メイは相手が電話を切るのを待っていた。
電話が切れると、メイは長いため息をついた。
「私はこれから、マスコミ各所に資料を回しに行きます」
その声に応えるように、凛が立ち上がった。
「俺たちもショーケースの練習、始めますか」
先ほどまで一人で怒りを溜め込んでいた面影は、もう全然感じられない。
メイは思わず呟いた。
「……思ったより立ち直りが早いね」
少なくとも今日一日は落ち込んでいるだろうと思っていたのに、当の凛はもうストレッチを始め、体をほぐしている。
その姿に刺激を受け、他のメンバーたちも次々と立ち上がって体を動かし始めた。
「別に……写真を見たら、実感が出てきただけだ」
凛はモニターに映る自分の写真を指さした。
写真の中の凛は、太陽の光を浴びて眩しく輝いていた。
「……腹は、まだ立っている」
凛は拳をぐっと握りしめた。
そして、何かを決意したようにメイをまっすぐに見つめた。
ネイビーを帯びた黒い瞳には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
「今回のショーケースで『雨夜凛』としての本当の実力を証明してみせる」




