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ほころび庵のムギ〜縁の糸が見える猫〜  作者: ゆも
第二章 残された人たち

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18/22

第17話:赤い糸は、細くなる


 十二月に入って、商店街にクリスマスの飾りがついた。


 木村さんが今年も飾った。


 紅葉の造花の次はクリスマスのリースで、来年の正月には門松になる。


 この人の商店街への愛着は、四季を問わない。


 私はその飾りを窓から眺めながら、今日の糸の具合を確認していた。


 美咲の糸が、細くなっていた。


 最初に気づいたのは、先週だった。


 木村さんの店の前を通る美咲の足が、少し重そうで、赤い糸の色がくすんでいた。

 今日はさらに細くなっている。


 木村さんの糸も、確認した。

 こちらも、くすんでいた。


 二本の糸が、互いを向いているのは変わらない。でも、色が違った。輝いていたあの糸が、今は少しくもっていた。


 何かあった。


 私には、糸の色でわかる。


 美咲が来たのは、その日の午後だった。


 ピンクのマフラーではなく、黒いコートに白いマフラーだった。顔が少し疲れていた。


「澄江さん、いますか」


 暖簾をくぐりながら言った。相談というより、逃げ込んできた顔だった。


「いるわよ、どうしたの」


 澄江さんが立ち上がった。


「顔色が悪いわ」


「ちょっと、木村さんと」


 美咲が椅子に座った。


「喧嘩、というか」


 澄江さんがお茶を出した。


「喧嘩?」


「喧嘩じゃないんですけど」


 美咲が湯呑みを持った。


「三日くらい連絡が返ってこなくて」


 私はカウンターの端で、美咲の糸を確認した。


 赤い糸は、まだある。細くなっているが、切れていない。


 切れていない。それだけは、確かだ。



「どんなすれ違いですか?」


 澄江さんが穏やかに聞いた。


「木村さん、最近すごく忙しくて」


 美咲が言った。


「年末で仕入れが増えて、朝も夜も店にいて。会えない日が続いていて」


「それは仕方ないわね、年末だもの」


「わかってるんです。わかってるけど」


 美咲が湯呑みを置いた。


「先週、久しぶりに会えた日に、私が『最近会えなくて寂しい』って言ったら、木村さんが『仕事だから仕方ない』って言って。それだけで、終わっちゃって」


 澄江さんが「うーん」と言った。


「木村さんが間違ってるわけじゃないんです。仕事だから仕方ない、は本当のことで。でも、なんか、もう少し別の言い方があったんじゃないかなって」


 美咲が窓の外を見た。


「それからなんか、ぎこちなくて。木村さんも気まずそうで、私も気まずくて」


 私は美咲の糸を見た。


 くすんでいる原因がわかった。


 糸は、すれ違いで切れない。でも、放置すると細くなる。細くなり続けると、ある日突然、ぷつんといく。


 最初に来た日の美咲の黒い糸を思い出した。あのときとは全然違う。でも、放っておいていい状態でもない。



 その日の夕方、木村さんが来た。


 野菜の差し入れ、という名目だったが、入ってきた顔が差し入れの顔じゃなかった。


「澄江さん」


 木村さんが言った。


「美咲、来ましたか」


「昼間来たわよ」


 澄江さんが言った。


「どうしたの、木村さんも顔色が悪い」


 木村さんが椅子に座った。大きな体が、小さく見えた。


「俺、何か言い方まずかったですかね」


 澄江さんが「あら」と言った。


「寂しいって言われて嬉しかったんですけどね。なんて返したらいいかわからなくて」


 木村さんが頭をかいた。


「美咲、怒ってますかね」


「怒ってないわよ」


 澄江さんが言った。


「寂しがってるの」


「同じじゃないんですか」


「全然違うわ」澄江さんが苦笑いした。


 私は木村さんの糸を確認した。


 美咲の方向を向いていた。くすんでいるが、向きは変わっていない。この人の糸は、いつも真っ直ぐだ。


 問題は、言葉だ。


 言葉の使い方が、わからないだけだ。



 澄江さんが木村さんに、あれこれと話していた。


 私はその横で、考えていた。


 美咲は「もう少し別の言い方があったんじゃないか」と言った。

 木村さんは「何が違ったのかわからない」と言った。


 二人の糸は向き合っている。でも言葉が、うまく届いていない。


 花村朱音として生きていたとき、こういうすれ違いを何度も見てきた。糸が向き合っているのに、言葉が邪魔をするケースだ。こういうときは、言葉より先に、行動が必要なことがある。


 私はカウンターから降りた。


 澄江さんの棚を見た。


 小さなメモ帳がある。キヨさんのときに使ったものだ。


 私はメモ帳を、肉球でそっと木村さんの前へ押した。


「ムギちゃん、また出した」

澄江さんが苦笑いした。


 木村さんがメモ帳を見た。


「書けってこと?」


 私は○を作った。


「何を書けばいいんですか」


 木村さんが困った顔をした。


 私はもう一度○を作った。


 何でもいい。言えなかったことを、書けばいい。言葉にするのが難しければ、書くことから始めればいい。キヨさんがそうしたように。


 木村さんが少し考えた。


 それからペンを取って、書いた。


 何を書いたか、私には読めない。


 でも、書いている間、木村さんの糸が少しずつ、色を取り戻していくのが見えた。



 翌日の夕方、美咲が来た。


 昨日とは全然違う顔をしていた。


「澄江さん! 木村さんから手紙が来た!」


 澄江さんが「まあ」と言った。


「お店に、封筒が届いていて。手書きで、なんか、いっぱい書いてあって」


 美咲が照れた顔で言った。


「不器用な字で。言葉もなんか、ぎこちなくて。でも、それがなんか、木村さんらしくて」


 美咲の赤い糸が、昨日より太くなっていた。輝きも戻っていた。


「なんて書いてあったんですか?」


 澄江さんが聞いた。


「それは秘密です」


 美咲が笑った。


「でも、嬉しかった。すごく」


 美咲が私を見た。


「ムギちゃん、何かした? 木村さんが『ムギちゃんにメモ帳を出してもらった』って書いてあったから」


 私はそっぽを向いた。


 メモ帳を押しただけだ。


「ありがとう」


 美咲が言った。


「また助けてもらった」


 私は知らんふりをした。


 でも、美咲の赤い糸が輝いているのを見ながら、悪くない、と思っていた。



 美咲が帰った後、澄江さんが言った。


「木村さん、手紙を書いたのね」


 私は窓の外を見た。


 八百屋の方向に、二本の赤い糸が見えた。美咲の糸と、木村さんの糸が、夜の商店街の中でゆっくりと、また絡まり始めていた。


「言葉って、いろんな形があるのね」


 澄江さんが続けた。


「話し言葉じゃなくても、ちゃんと届くこともある」


 私は澄江さんを見た。


 そうだ。


 言葉は、声だけじゃない。


 手紙でも、メモ帳でも、肉球でも。


 届けようとする気持ちが、形を変えて、届くことがある。


 私は窓の外を見た。


 二本の赤い糸は、もう昨日ほど細くなかった。


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