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39,何もないことを祈ろうか

「迷子が多い、ねぇ……」


 ガルゴレ殿との商談を終えて宿に戻ってきたチグサは、カタリナからの報告を聞いて静かに首を傾げた。

 国の中を移動していて特に不審なものは見えなかったが、本当に何もなかったのだろうか。

 ただ何となく迷子が多いだけであればいいが、そうではなくチグサが見逃す程度の何かがあった可能性もあるのだ。


 一番嫌なのは、意図的に隠されたが故に気付けなかった時である。

 その土地で面倒ごとが起こったとしても、アジサシは最悪そこから離れれば被害に巻き込まれることはない。けれど、放置した結果そこでの取引が出来なくなるのは避けたい。

 なので多少面倒であっても、何か原因があるのならその対処に手を貸すことはあるのだけれど……


「何か不審なものは?」

「おれからは特に」

「猫も不思議はないって」

「ギーネ」

「特に不審な人も物もなかったと思うけど……絡まれることも、今日は少なかったくらいだし」


 ふむ、と目を閉じて首を傾げ、チグサは手だけでカタリナを呼んだ。

 目の前に来たカタリナの頭をフード越しに撫でながら、閉じていた目をゆっくりと開ける。


「カタリナ、明日一日、外を見てきてくれるかい?」

「あい」

「それから、アンドレイとコリンも。それぞれ話を聞いてきておくれ」

「はーい!」

「了解。迷子の件だけでいいのか?」

「基本的にはね。他に何か気になることがあったら、追加で調べてきてくれると嬉しいかな」


 アジサシの馬車に全員が揃っていないことは特に珍しいことでもないので、それで目立ったり変な憶測が飛ぶことはないだろう。

 珍しい物を求める旅商人としてそういう物の噂を調べていることもあるので、何人かが馬車から離れて町の中で話を聞いて回っているのも珍しいことではないのだ。


「もしこれが人為的なものなら、これで多少動きがあれば……分かりやすいんだけどねぇ」

「団長の目の事知ってたらアジサシには寄ってこないんじゃない?」

「そんなに重要でもないと思うけれどね、ボクの目の事なんて」


 一部ではまことしやかな噂として広まっているらしいけれど、その程度なので特に気にもしていなかった。鑑定眼はそれほど珍しいスキルでもないから、持っているからどうした、という程度の話なのだ。

 なので、それだけで警戒されるというのは、少しばかり違和感がある。


「まぁ、言っても仕方ないね。何もないならそれが一番だ」

「そうだな」


 パン、と手を一つ叩いて話を終えて、宿で寝ないで馬車に戻る二人を見送る。

 その後も少し考え事をしていたら、アンドレイが頭を押しに来た。チグサの身長はおそらくこれ以上伸びることはないけれど、それでも上から押すのはやめてほしい。

 ただでさえ、成長速度が通常の十分の一なのだから。


「なんだい」

「今考えても意味はないだろう」

「……そうだね、何もないことを祈ろうか」


 つまりさっさと寝ろということらしいので、素直に従って考えるのをやめてシャワーを浴びに行く。

 他に調査を頼んだので、チグサは明日一日馬車で接客に励むことになるだろう。

 考え事はその時の暇な時間にでもすればいいので、今日はさっさと寝て明日に備えよう。



 と、いう事でさっさと寝てさっさと起きて身支度を整え、朝早くからアジサシ開店の支度を進めていたら、それを眺めている猫が居ることに気が付いた。

 チグサがその存在に気付いても逃げたり警戒したりする様子はない。

 その場にしゃがみこんで手を差し出してみたら、近付いてはきたけれど触れられない距離で座られた。


「おはよう、カタリナはまだ上で寝ているよ」

「……んなぁ」


 うちの茶トラ猫に用事かな、と思ったけれど、違うらしい。

 それ以外でうちに猫が寄ってくる理由があっただろうか、と考えていたら、猫はその場から立ち上がって数歩進み、こちらを振り返った。


「……ついて来いって?」

「にゃん」

「なるほど、少し待ってね」


 どうやらあの猫の用事はチグサだったようだ。身内に猫が居るのと、様々な場所に繋がりを持っているのとで、動物にどこかへ誘導されることはそこそこある。

 けれど、これが罠だとも限らないので、しっかりアンドレイに連絡を入れた。

 ついでにエリオットにも入れておくか、と普段から持ち歩いている魔道具を起動させて、猫の後を追う。


 あの二人はそろそろ起き始める頃だろうし、何かあったら対処してくれるだろう。

 なんて考えながら、まだ人の少ない早朝の町の中をのんびり歩いてく。猫には明確な目的地があるようで、時々こちらを振り返りながら進んでいく。

 思ったよりも遠くに誘導されている。これは、アンドレイに後から一人で行くなと怒られそうだ。


「……まだ先かい」

「にゃん」


 猫の返事に小さく笑って、ゆっくりと目に意識を集中させる。

 最初にあの猫を見たときは、特別なにか目に付く違和感はなかった。

 だから素直に、誰が呼んでいるんだかと考えながらついてきたわけだけれど、これ以上馬車から離されるのは少し面倒だ。


 常から勝手に発動する「鑑定眼」は、それだけで多少疲れるものだけれど、自分の意志で使おうとして使う目はそれ以上に疲れる。

 なのであまりやりたくはないのだが、仕方がない。


 耳の奥で何か、甲高い金属音のようなものが響いて、チグサの視界には一気に増えた情報が浮かび上がる。そして、目の前を進む猫からはどこかへ続く線が現れた。

 それを目で追って足を止めると、猫も足を止めてこちらをじっと見てくる。


「……まぁ、君に罪はないからね、何もしないさ」


 呟きつつ、猫から目を離さずにそのまま後ろへ三歩。

 外套の中に手を入れて、指先の感覚だけで目的の物を引っ張り出し、さらに後ろへ二歩。

 握り込んだ物を軽く弧を描くようにして放り投げると、猫は驚いたように走り去る。それと同時に、チグサの目の前には魔方陣が展開された。

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