第八話 勇者様へのお願い
「セシリア。今日、少し話せる?」
翌朝、アレンは礼拝堂から出てきたセシリアを呼び止めた。昨夜ひとりで練習した言葉なのに、彼女の姿を見ると、声をかけるまでに少し時間がかかった。
彼女は足を止め、本を胸へ寄せた。
「はい。……私も、お話ししたかったんです」
アレンは頷き、彼女について控え室へ入った。
窓際の卓に向かい合って座った。廊下で足音がすると、つい扉を見てしまう。足音が遠ざかってから、アレンはセシリアへ向き直った。
「昨日はごめん。すぐ戻るって言ったのに」
「……なかなか戻っていらっしゃらないので、心配しました」
アレンがもう一度頭を下げると、セシリアは言葉を継いだ。
「あの方のお母様に、勇者様が勲章をお届けになるのは、私も賛成です。ただ、あんなに長くなるのでしたら、ひと言知らせていただきたかったです」
「そうだね。戻るのが遅くなるって、人を寄越せばよかった」
「はい。……待っていて、寂しかったです」
セシリアは茶器のない卓を見つめた。
昨日、彼女が言いかけたままやめた言葉を、アレンは今度は最後まで聞いた。
「淹れ直すって言ってくれたのも、断ったね」
「はい」
「待たせたうえに、また何かしてもらうのは悪いと思ったんだ」
「私は、一緒に飲みたかっただけなんです」
セシリアがこちらを見た。
「自分の分も淹れるのですから、一杯も二杯も変わりません」
その言い方に、アレンは少し笑った。
「……今、お願いしてもいい?」
「お茶ですか?」
「うん。今度は、二人で飲もう」
セシリアは頷き、棚から茶葉の缶を取った。卓の脇のポットから湯を注ぐと、茶葉の香りが広がる。アレンは書類を持ってきていない手元へ目を落とし、両手を膝に置いた。
「どうぞ」
「ありがとう」
受け取った茶器へ口をつけると、まだ熱かった。すぐに戻したアレンを見て、セシリアが笑う。
「慌てて飲まなくても」
「そうだね。今日は時間を取ってきたから」
セシリアも自分のお茶へ息を吹きかけた。アレンは何度か口を開きかけ、彼女が顔を上げたところで、ようやく続けた。
「最近、少し疲れてるんだ」
セシリアの手が止まった。アレンは茶器の縁を指でなぞった。
「昨日も、同じことを二度聞いてしまって」
「お休みは取れていますか?」
「……あまり取れてない」
いつもの癖で、大丈夫だと言い添えそうになった。アレンは一度言葉を切り、彼女を見た。
「君の前では特に、できないって言いたくなかった」
セシリアはしばらく黙っていた。
「……私に、言いにくいですか」
「君が悪いんじゃないよ」
アレンは顔を上げた。
「頼りないと思われたくなくて」
アレンは茶器を持ち上げたが、口をつけずに戻した。
「……一緒に、魔王を倒したんですよ?」
顔を上げると、彼女は困ったように笑っていた。
「今さら、一日お休みになったくらいで、頼りないなんて思いません」
「うん」
「私が疲れたと申し上げたら、休ませてくださったでしょう。勇者様も、そうおっしゃってくださればよいのに」
アレンは頷いた。セシリアは少しだけ身を乗り出す。
「私も、勇者様のお役に立ちたいです。何かあったら、まず仰ってください。できなければ、できないとお答えしますから」
ありがとう、と言いかけて、アレンは思い出した。
「じゃあ、今日の午後、一緒に確認してもらいたいものがある」
「何でしょう」
「勲章を渡す方の名前なんだけど。書類ごとに綴りが違う人がいて、僕一人だと、どちらが正しいか分からないんだ」
「私の方にも名簿があります。二人で見比べましょう。昼の礼拝が終わってからでよろしいですか?」
「助かる。ありがとう」
セシリアは卓から紙を取り、その時間を書き留めた。
アレンは、お茶をもうひと口飲んだ。
「私からも、お願いしてよろしいですか」
「うん」
セシリアは紙を脇へ寄せた。すぐには続けず、一度アレンを見てから尋ねる。
「また、二人で食事に行きませんか」
「うん。僕も誘おうと思ってた」
「今度は、そのために時間を空けて」
アレンが黙ると、セシリアは慌てて言い足した。
「私も空けます。お仕事のついでではなくて、勇者様と出かけたいんです」
セシリアの視線が卓へ落ちた。耳が少し赤くなっている。
アレンも茶器を置いた。彼女が顔を上げる前に、返事をした。
「僕も、君と出かけたい」
セシリアが顔を上げた。
「仕事じゃなくても、君に会いたい。食事のあとも、すぐ帰らないで、一緒にのんびり歩いたりできたら嬉しい」
「はい。私も、もう少し一緒にいたいです」
アレンが返事を探していると、扉が叩かれた。
「聖女様。お手紙をお持ちしました」
反射的に腰が浮いた。セシリアと目が合い、アレンは動きを止める。
彼女は扉へ向き直った。
「急ぎのお返事が必要なものですか?」
「いいえ。午後までにお渡しするようにと」
「では、部屋の机に置いておいてください。あとで読みます」
「かしこまりました」
足音が遠ざかった。
アレンは椅子へ座り直し、セシリアを見た。彼女は口元を押さえている。
「……何?」
「お立ちになるのが早いなと思って」
「君も、昨日までは立ってたよ」
「そうでしたね」
二人で笑った。アレンは笑い終えてから、もう一度彼女へ尋ねた。
「祝典のあとの休みは、空いてる? 午後なら、僕は何も入ってない」
「はい。私も大丈夫です」
「じゃあ、その日に」
セシリアが紙を引き寄せ、午後の確認とは別に、食事の約束を書き加えた。
「次は、勇者様のお好きなお店でしたね」
「うん。ただ、あまり立派な店じゃなくて」
「この前のお店も、私は好きでしたよ」
「肉も美味しいんだけど、揚げた芋があるんだ。それが、故郷の味に似ていて……」
セシリアは頷き、店の名前を尋ねた。アレンが答えると、それも紙へ書き足す。
「お芋ですね。楽しみにしています」
「君は肉も頼んでいいからね」
「もちろん、そのつもりです」
あまりに迷いのない返事だったので、アレンはまた笑ってしまった。
今度はセシリアも笑い、そのまま茶器へ手を伸ばす。アレンも自分のお茶を飲んだ。
少しぬるくなっていたが、もう急いで飲み干す必要はなかった。
控え室を出るころには、二つの茶器が空になっていた。
アレンが午後の時間をもう一度確かめると、セシリアは頷き、扉まで送ってくれた。
「勇者様」
「うん?」
「昨日のお菓子、美味しかったです。……次は、一緒にいただきましょうね」
「うん。次は一緒に食べよう」
セシリアが笑い、アレンも頷いた。
廊下の角を曲がると、ようやく息が出た。
話せた。
会う約束までしてしまった。
昨夜のロゼを思い出した。あいつは散々言い返すくせに、大切な相手には言えないと俯いていた。
あいつも、うまく話せただろうか。
今夜、顔を合わせたら聞いてみようと思った。




