第一話 悪党にも休日を
「知るか! 今日は休みだ!」
アレンは玉座の肘掛けを叩いた。
黒い外套が翻り、足元にひれ伏した村長が肩を震わせる。舞台の端に置かれた魔石灯が、アレンの被る仮面を赤く照らしていた。
「ですが領主様、村には魔物が! どうか兵をお貸しください!」
「明日にしろ!」
「明日には村がなくなります!」
「では明日の仕事が一つ減るな!」
客席から笑いが弾けた。前列の男が卓を叩き、隣の女に肘で小突かれている。その後ろでは、杯を口元へ運びかけた客が慌てて顔を背けた。
いい。
とてもいい。
アレンはゆっくりと背もたれへ身を沈め、村長を見下ろした。普段なら手を取って立たせるところだが、今夜は両足を組んでふんぞり返っていればいい。助けを求められたら断り、責められたら開き直る。なおも食い下がる相手には、衛兵を呼んで追い出せる。
こんな仕事があったとは。
「お慈悲を! 領主様には人の心がないのですか!」
「あるとも。だから休日には休みたい!」
今度は後ろの席までどっと沸いた。村長が泣きつくふりで外套の裾を掴んでくる。その指が二度、布を引いた。
そろそろ次へ進め、という合図だ。
「ええい、離せ! 高い服だぞ!」
「村の税で買われた服でしょう!」
「だから貴様らも大切に扱え!」
村長役の肩が一度だけ大きく揺れた。顔を伏せ、笑いを堪えながら裾を離す。
アレンは壁に吊るされた紐を引き、衛兵を呼びつけた。ほどなくして領主は、駆けつけた衛兵から村への逃亡を勧められることになる。魔物が向かっていたのは城の方だった、という落ちである。
命からがら逃げる場面で椅子に足を引っかけると、客席からこの夜いちばんの歓声が上がった。
幕が下りると、アレンは床に転がったまま大きく息を吐いた。
「……断るって最高だな」
「床で何を噛み締めてるんだい、ヴァイス」
座長のベルタが、帳面を片手に見下ろしていた。アレンは慌てて起き上がり、外套の埃を払う。
「客の受けを確かめてた」
「最後の転び方はよかったよ。昨日は転ぶ前に椅子を避けただろ」
「足が勝手に」
「明日も勝手に転んでおくれ」
ベルタは帳面に何かを書きつけると、村長役を手招きした。アレンは二人の脇を抜け、自分用の狭い着替え部屋へ向かう。
扉を閉じ、ようやく仮面を外した。
「あー。あ、あ。……うん」
声に混じっていた低い響きが消え、いつもの自分の声に戻る。仮面を棚へ置くと、鏡の中には見慣れた金髪の男がいた。吊り上げていた眉を下げ、口元に残る悪い笑みも指でほぐす。
王都の芝居小屋《宵待ち座》。ここで彼を知る者は、悪党役のヴァイスと呼ぶ。
その男が魔王を討った勇者アレンだと知る者は、一人もいない。
◆
「もちろんです。僕たちでよければ」
翌朝の王城で、アレンは爽やかに微笑んだ。
向かいに座る役人が胸を撫で下ろし、卓の上へ新しい書類を広げる。すでに三枚ある予定表の、どこへ入るのだろうと思っていると、役人は紙を横に並べた。
「では記念祝典の前に、南の療養院へもお越しいただけると。聖女様の祝福を、皆が心待ちにしております」
「ええ。ね、セシリア」
隣へ顔を向けると、セシリアは両手を膝の上で重ねていた。白い法衣の袖口から覗く指が、きちんと揃っている。
「……はい。伺います」
少し返事が遅かった。
朝から会議が続いているので、疲れているのかもしれない。アレンは彼女の前にある茶器へ目をやった。中身はほとんど減っていなかった。
「午後からでよければ、もう一件お願いがございまして」
「あ、その前に少し休憩を――」
「職人組合の代表者たちが、どうしてもお礼を申し上げたいと。討伐軍へ納めた装備の修繕についても、勇者様のお話を伺いたいそうです」
アレンは言いかけた口を閉じた。
旅の途中、欠けた剣を直してくれた職人がいた。破れた防具を受け取り、代金の話より先に鍛冶場へ駆け込んだ男の背中を思い出す。
「……分かりました。長い時間は取れませんが、それでよければ」
「ありがとうございます。皆、喜びます!」
役人は勢いよく頭を下げ、予定表へ書き込んだ。ペン先が紙を擦るあいだ、アレンは隣へ小声で尋ねる。
「大丈夫?」
「はい」
セシリアは微笑んでいた。よかった、と頷きかけたところで、その先が続く。
「次は、何人でしょうか」
「え?」
「祝福をお受けになる方です。南の療養院には、何人いらっしゃるのでしょう」
「ああ、そうだね。確認しないと」
アレンが役人へ尋ねると、百二十人ほどだという答えが返ってきた。
思っていたより多い。慌ててセシリアを見ると、彼女は静かに頷いた。
「承知しました」
自分の分の菓子を、皿ごと彼女へ寄せた。朝から何も食べていないはずだ。セシリアは菓子を見つめ、それからアレンの顔を見た。
「……ありがとうございます」
「午後は僕が話すから。君は休んでいて」
今度こそ彼女の負担を減らせると思ったのだが、セシリアはなぜか目を伏せた。役人のペンが止まり、二人の間を遠慮がちに行き来する。
「では、職人組合の皆様には、勇者様お一人でいらっしゃるとお伝えしても?」
「はい、それでお願いします」
「……私も伺います」
セシリアが顔を上げた。
「ですが」
「支援へのお礼ですから。私からも申し上げたいので」
それはもっともで、アレンには止める言葉が見つからなかった。二人分の予定がまた埋まっていくのを眺めながら、せめて訪問先への移動は自分が手配しようと考える。
隣では、セシリアが小さく菓子を割っていた。
◆
その夜、アレンはいつもより早く劇場へ来た。
午後の職人たちとの話は有意義だった。防具の留め金について伝えた意見は熱心に聞いてもらえたし、職人の一人が療養中の弟子へ土産にすると、握手した自分の手を大切そうに眺めていた。
行ってよかった。
ただ、帰りの馬車で眠ってしまったセシリアを思い出すと、胸のあたりが落ち着かなかった。
「座長。今日の役、もっと嫌な奴にできないか」
「今の領主をこれ以上どうするんだい」
「人の話を最後まで聞かずに扉を閉めるとか」
「分かった。何があったかは聞かないよ」
ベルタは持っていた紙束で、舞台の方を指した。
「ちょうどいい。次はこっちをやってもらう。伯爵の役だ」
「また領主か」
「次の芝居じゃ、奥方がいる」
仮面を着けて着替えを済ませ、舞台へ出ると、紫のドレスを纏った女が立っていた。黒い髪を高く結い、細い扇を片手に持っている。目元から頬を覆う仮面には、薔薇の蔓が絡むような金の装飾があった。
アレンを見るなり、扇がぱちんと閉じられる。
「あなたがヴァイス?」
「そうだが」
「ロゼですわ。お名前は存じております」
アレンもその芸名を知っていた。令嬢役で客の罵声を浴びながら、平然と高笑いしてみせる女優だという。以前、彼女を見た客が帰り際に「あの女は絶対に人をいびり殺したことがある」と言っていた。
「よろしく頼む」
「ええ。台詞は覚えていらっしゃる?」
「さっき紙をもらった」
「では、そこからですのね」
言い方が少し引っかかったが、事実なので反論はしなかった。アレンは紙へ目を落とす。伯爵夫妻が見栄を張って宴を開き、費用を領民へ押しつけた末に失脚する喜劇らしい。
「じゃあ、まず宴の支度を言いつけるところから。ヴァイス、奥方を呼んで」
ベルタの声に従い、アレンは紙を下げた。片手を広げ、伯爵らしく胸を張る。
「案ずるな。客人にはすべて承知したと伝えてある。我が妻よ、あとはお前が取り計らえ」
ロゼの扇が、手の中でぴたりと止まった。
◇
セシリアは、仮面の奥で目を細めた。
朝、王城で聞いたばかりだ。もう決まった予定を前にして、勇者様は優しくこちらを振り向かれた。断れば彼の顔を潰すことになると、考える余地もないようだった。
菓子はおいしかった。帰りの馬車で肩を貸してくれたことも、ちゃんと覚えている。
だから余計に、腹が立つ。
少しくらい悪い人なら、こちらも怒れるのに。
「……どなたが?」
声を変える魔法を通しても、自分の声が甘く響いたのが分かった。
「何?」
「どなたが、承知したとおっしゃったのでしょう」
目の前の仮面の男が、一瞬だけベルタを見る。台詞が違う、と言いたいらしい。座長は顎をしゃくって続きを促した。
「私だ。それがどうした」
セシリアは扇を開き、口元へ添えた。
「では、ご自分でなされば?」
「次も、この方にお付き合いくださるの?」
ロゼが客席へ顔を向け、扇を開いた。
「でしたら、しおりを……ここではブクマと申しますのね」
「俺の台本にも挟んでくれ。責められて、どこまで読んだか分からなくなった」
「まだ序盤ですわ」




