表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/29

第29羽「受け継がれる旅」

挿絵(By みてみん)


エルミアの朝は、どこか懐かしい匂いがした。


草に残る夜露の香り。煙突から出る焼きたてのパンの匂い。川のせせらぎの音。風に揺れる木々の葉音。


ミッツーが生まれ育った村、エルミア。


フィーネは家の窓を開け、ゆっくりと深呼吸した。


「……ここが、父さんの故郷なんだ」


五年前なら、きっと胸を弾ませてそう言っていただろう。


けれど今のフィーネは、ただ景色を見つめながら、静かに微笑んだ。


二十三歳になろうとしている彼女の横顔には、かつての無邪気さに加えて、旅の中で育まれた優しさと強さが宿っていた。


長い灰色の髪が朝の光を受けて揺れる。

大きなうさぎ耳がぴくりと動く。


あれから五年。


フィーネとミッツーは、更に旅を続けてきた。


最初は、本当の家族を探す旅だった。


けれど今では、その旅は少し形を変えている。


旅の途中で出会った、大切な人たち。

笑い合った仲間たち。

泣きながら別れた友人たち。


その一人ひとりに「ただいま」と言うための旅。


そして「また来たよ」と笑いかける旅。


そんな、温かな旅になっていた。



アルネシア。


月猫亭の扉を開ければ、いつもルナの面影がそこにあった。


「ただいま!」


そう叫ぶと、


「おかえり!」


と、誰もが家族のように迎えてくれる。



リュミエール。


雑貨屋ノルンの扉を開ければ、レティシアの笑顔が待っている。


親友となり冒険者となった彼女とは、いろいろな街で待ち合わせをするようになった。


それでも、この街に帰ってくるたび、

フィーネは最初に出会った日のことを思い出す。



ランディア。


森の中で泣いていた小さな犬耳の少女。


キャリーは、今では立派に剣を振り、魔法を操るようになった。


「フィーネお姉ちゃんみたいな冒険者になる!」


その夢を、彼女は本気で追いかけている。



セレーナ・テラス。


レティシアと、旅人として初めて再会した街。

海風の心地よさは今でも変わらない。



セレスティア。


ドラゴン便に乗って空を駆けた街。


あの時の興奮を思い出すたび、フィーネは今でも笑ってしまう。一度、レティシアとも一緒にドラゴンに乗った。



クレストン。


ハーフエルフのエレノアが静かに微笑む街。


自分の過去をすでに知っていた彼女に、

フィーネとミッツーは心底驚いた。


「さすが長生きのハーフエルフだね!」


そう言って、三人で笑った。



そして今。


ミッツーの故郷、エルミア。


今日は、大切な人たちが集まっていた。


レティシア。

キャリー。

そして、ロケットペンダントの中には、いつものようにルナの写真。


フィーネにとって、かけがえのない仲間たち。


みんなで食卓を囲み、賑やかに笑い合う。


キャリーは元気いっぱいに話し、

レティシアは楽しそうに相槌を打ち、

フィーネはそれを見て何度も笑った。


そして、ひとしきり笑い声が落ち着いたころ。


ミッツーが、静かに口を開いた。


「……今日は、みんなに話したいことがある」


その声は穏やかだった。


けれど、どこかいつもよりゆっくりで、

少しだけ照れくさそうだった。


フィーネは箸を止める。


レティシアもキャリーも、自然と背筋を伸ばした。


ミッツーは苦笑しながら頭をかいた。


「俺……そろそろ、冒険者を引退しようと思う」


その言葉が、部屋の中に静かに落ちた。


フィーネの耳がぴくりと震える。


胸の奥が、きゅっと締めつけられた。


「……え?」


思わずこぼれた小さな声。


ミッツーは優しく笑った。


「気づけば、もう四十歳も近い。そろそろ、この村でゆっくり暮らしてもいいかなって思ってな」


冗談めかして言うその声の奥に、少しの寂しさと、大きな安心が滲んでいた。


フィーネは黙ったまま、ミッツーを見つめた。


七歳のあの日。

森で出会った優しい人。


ずっと隣にいてくれた人。

泣いている時も、笑っている時も。

不安な時も、嬉しい時も。


いつだって、自分の手を握ってくれた人。


その父さんが、旅を終える。


嬉しいはずだった。


だって、それはミッツーがようやく自分の人生をゆっくり歩けるということだから。


それなのに、胸の奥が少しだけ寂しくて、フィーネは唇を噛んだ。


そんなフィーネを見て、ミッツーは穏やかに続けた。


「でもな、旅が終わるわけじゃない」


そう言って、レティシアとキャリーを見る。


「これからは――フィーネ、お前たちの番だ」


レティシアの目が大きく開かれる。


キャリーの尻尾がぶんぶん揺れる。


ミッツーは微笑んだ。


「フィーネ。レティシア。キャリー。……そしてルナ」


フィーネは思わずロケットペンダントに触れた。


「四人で、新しい旅をしてみたらどうだ?」


その瞬間。


フィーネの胸の奥で、寂しさと温かさが一緒に溶け合った。


父さんは離れてしまうのではない。


父さんが、自分を信じて送り出してくれるのだ。


七歳の少女だった自分に向けてくれたあの優しい手が、

今度はそっと背中を押してくれている。


フィーネの目に涙が滲んだ。


「……父さん」


ミッツーは照れくさそうに笑う。


「もう、お前は一人でも十分旅ができる。いや、一人じゃないな」


レティシアが勢いよく立ち上がった。


「行きたい! 行きたいです!」


目を輝かせながら、両手を握りしめる。


「ずっと、ずっとフィーネと旅したかったんです!」


キャリーも椅子の上で飛び跳ねた。


「わたしも! わたしも行く! フィーネお姉ちゃんと一緒に!」


その元気な声に、フィーネは思わず笑ってしまった。


涙が頬を伝いながらも、

口元には大きな笑顔が浮かぶ。


ロケットペンダントをそっと握る。


「ルナ……これから、もっと賑やかになるね」


写真の中のルナが、

今にも優しく微笑み返してくれる気がした。


フィーネは立ち上がる。


レティシアの手を取る。

キャリーの頭を撫でる。


そして、ミッツーの前に立った。


「父さん」


呼びかける声は少し震えていた。


「ありがとう」


ただ、その一言にすべてを込めた。


育ててくれて。

守ってくれて。

旅をくれて。

たくさんの出会いをくれて。

そして今、未来をくれて。


ミッツーは、いつものようにフィーネの頭を優しく撫でた。


「行ってこい」


その言葉に、フィーネは大きく頷いた。



翌朝。


エルミアの村の門。


荷物を背負った三人が並んで立っていた。


灰色の髪を揺らすうさぎ耳の女性。

赤い冒険者服を纏った女性。

犬耳を揺らして目を輝かせる少女。


胸元には、ルナの写真が入ったロケットペンダント。


門の前には、ミッツーが立っている。


いつものように穏やかな笑顔で、少しだけ目を細めて。


フィーネは駆け寄り、ぎゅっと抱きついた。


「行ってきます、父さん」


「おう。気をつけてな」


名残惜しく離れ、フィーネは仲間たちのもとへ戻る。


レティシアが笑う。

キャリーが尻尾を振る。


新しい旅の風が、三人の髪を揺らした。


フィーネは振り返る。


大好きな父さんが、そこにいる。


いつでも帰れる場所が、そこにある。


だから、安心して前を向ける。


フィーネは満面の笑みを浮かべ、

高く手を上げて叫んだ。


「みんな! 次はどこ行く?」


挿絵(By みてみん)



次回更新日から、外伝「このまだらの髪を揺らす風は」が始まります。(全5話)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ