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一途である、という状態


ヤスオは隣の席に見知らぬ男がいることに気づいた。読書をしているようで、しかしどこか不自然な存在感を放っていた。

いつからそこにいたのか、思い出せない。客として存在していた男は、静かに立ち上がり、すれ違いざまにヤスオの首筋へ細い針を突き刺す。

ヤスオは顔を上げ、フランソアのドーム天井を見上げる。白い光に包まれ、蓄音機から流れるショパンの夜想曲が、別れの予感を増幅させる。


意識が遠のく中、ヤスオの脳裏に、刺した男の直前の不可解な動きがフラッシュバックした。

(あの人、さっきはトイレの場所で迷ってたのに……どうしてこんな正確な動きができるんだ?) あんなに情けなく、どこにでもある日常の「迷い」を見せていた男が、なぜこれほどまでに迷いのない正確さで、自分の命の終わりを突いたのか。そのシュールな断絶が、毒の回った思考を激しくかき乱す。トイレの場所すら分からなかった男に殺されるという不条理。その「」の抜けた事実が、ヤスオがこの世で最後に抱いた、あまりに奇妙な納得だった。


イシコは静かにヘルメットを脱ぎ、ヤスオの手を優しく握る。

「人間は生きている限り、いつか必ず私を裏切る。でも、一番愛し合っている『今』死んでくれれば、私の記憶の中のあなたは、永遠に一途なままでいられるでしょう?」

ヤスオの身体は静かに床に沈み、白いタイルの上に真っ赤なバラの花束が転がる。カフェの空間は変わらず静かで、ステンドグラスから差し込む光が、すべてを洗い流すように揺れている。

イシコは立ち上がり、優雅に会釈をして店を後にする。高瀬川のせせらぎが、彼女の後ろ姿を追うように静かに響く。

フランソア喫茶室には、事実だけが残った。

そして、誰も知らない狂気と一途の記憶が、永遠に閉じ込められたまま。


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