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第82話 いい加減戻れ、とナトに強制送還されたオレ

目が覚めたとき、エリセはしばらく天井を見つめていた。

白い。

見慣れた自室の天井だ。


朝の光が薄く差し込み、

部屋の輪郭をぼんやりと縁取っている。


身体はだるく、頭の奥に鈍い重さが残っていた。

(……昨夜)

ユフィと、その恋人のカーク。

それから、カークの同僚のフレイ。



四人で飲んでいたところまでは覚えている。

その先が、すっぱり抜け落ちていた。


「……は?」

慌てて跳ね起きた瞬間、

身体にかかっていた重みがずるりと落ちた。

黒いローブだった。



漆黒の布地に、同色の糸で刻まれた稲妻の紋章。

装飾に見せかけた幾何学模様の中に、

ぞっとするほど精緻な魔術式が編み込まれている。


(……なに、これ)

見覚えはない。

高そう。

やたら肌ざわりがいい。


持ち上げた拍子に、ぼさりと細長いものが床に落ちた。


一拍。


次の瞬間、喉の奥が引きつった。


「――――っ」

蛇。

黒い蛇。


思考より先に体が反応する。

心臓が跳ね、視界がきゅっと狭まる。


(むり、むり、むり……!)


反射的に、腰を引いた。

背中がベッドの縁に当たり、これ以上下がれない。


近づかれるのが怖くて、目を離せないから

黒い尻尾の先だけを凝視した。

だって、正面から見る勇気なんて、

あるわけがなかった。


――だけど。

動かない。

威嚇もしない。

舌も出さない。


それどころか、情けないほど間抜けな格好で

目を回している。


「……」

よく見ると、床に転がる体勢もひどかった。

尾は半端にねじれ、

頭の後ろの辺りが不自然に盛り上がっている。


「……もしかして、頭にたんこぶ作ってる?」


黒蛇は、ぴくりとも反応しなかった。

……完全に伸びて、

今は床と仲良く一体化していた。


恐怖の波に、微かな違和感が混じった。


(……変)

蛇は、こんな倒れ方はしない。

少なくとも、エリセが知る普通の蛇は。


「……先生の」

言葉が、喉から零れた。


(ペットの黒蛇ちゃん……?)


もし、そうならこのたんこぶ……


「誰かに怒られたの?」


そう口から出た瞬間、思わず枕元に飾ってある

小さな木製の天球儀を振り返る。


安心――ではない。

安堵でもない。

ただ、勝手に芽吹いてしまう感情があった。


(まだ……

まだ、どこかで……)


喉が、ひくりと鳴った。


何も言わずに、この国を去った人。

背中しか残さなかった人。


その人と、

まだ何かが繋がっているかもしれない、という――

根拠のない、危うい期待。


それが、世界一苦手な生き物への嫌悪と、

胸の中で絡まり合う。


息を、ゆっくり吐く。

無理やり、落ち着かせる。

もう一度、蛇を見る。

やはり、ぴくりとも動かない。


「……怪我とか、してないよね?」


(……期待するな)

(でも)

(もし、これが――)


思考は、そこで止めた。

蛇は怖い。

それだけは、変わらない。


けれど、

その小さな黒い体の向こうにのぞく、

ほんの小さな、熱のようなものを感じ取った瞬間、

胸を締め付けていた恐怖は、

ただの落ち着かない感情に形を変えた。


ぴんぽーん。


間の抜けた呼び鈴の音が、部屋に響いた。

それは完全な、日常の音。


「エリセ? いる?」

聞き慣れた声。


「……ユフィ……?」

声を出す為に気持ちを切り替えた。


扉の向こうに立っていたのは、ユフィだった。


「エリセ! よかった……!

やっぱり家にいた!」


「うん……?」

きょとんとしたエリセに、

ユフィは出勤の準備を促した。



そして、ふとエリセの肩口に目を留めた。


「……あれ?」

ためらいもなく、指先でローブをつまむ。


「エリセ、こんなローブ持ってた?」


「え?」


「なにこれ……」

そのまま、頬ずりでもするみたいに布に触れて、

目を丸くした。


「触り心地、よすぎなんだけど!」


エリセが答えるより先に、

ベッドの端で眠っていた黒蛇が、もぞりと動いた。


まだ目を覚ましたばかりのように、

身体を揺らしながら、よろよろとエリセの方へ寄ってくる。


そして――


ローブの端に、頭をぐい、と押し付けた。


「……?」


「……着ていけ、ってこと?」


ユフィが、半分冗談みたいに言う。


エリセは一瞬だけ迷ってから、ローブを整えた。

理由は、分からない。


でも――


それでいい気がした。


歩きながらユフィは、エリセへ説明をする。

出勤の前に治療院へ寄る途中、

エリセの帰宅を確認しに来たという。


どうやら昨夜、四人で食事をした店が、

強盗に襲われたらしい。


カークとフレイが捕縛したらしいけど、

そのあと皆、薬が効いて眠らされたって。


朝、出勤した店員の通報で、

ようやく事件が発覚したそうだ。


「フレイもカークも怪我だらけだし、

一緒にいたはずなのにエリセはいなくなってるし!

もう、心配したんだからね!」


二人がいる治療院へ向かう道すがら、

ユフィが腕を組んで怒ったように言う。


エリセは眉をしかめて、

必死に昨夜のことを思い出そうとする。


「ごめん……。あたし、

家に帰ったの全然覚えてなくて」


どうやって家に帰ったのかも、分からない。


◆◇


早朝にもかかわらず、治療院は混んでいた。

薬草の匂いと、低く抑えた話し声。

包帯を巻く音が、途切れ途切れに響いている。


入口付近で、エリセは足を止めた。


全身に湿布を貼り、脚にまで包帯を巻いたカークと、

左腕をスリングで吊ったフレイが並んでいる。


「うわ……、ひどい」


「いや、まあ、見た目ほどでも――」


カークが軽く手を振ろうとして、顔をしかめる。


「無理しなくていいから……」


即座にそう声をかけようとした、その時。

背後で、聞き覚えのある声が耳に刺さった。



エリセは反射的に、ユフィの陰に半歩隠れかける。


けれど、相手の方が早かった。


「……エリセ?」

名前を呼ばれて、胸の奥がひやりとする。

振り返ると、そこにいたのは――


数年ぶりに見る、元恋人だった。


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