第70話 すがった相手がそもそも間違い。宰相案件。
仕方なく視線を巡らせると、オルディアの展示台の前に人だかりができていた。
濃紺の詰襟式制服に銀糸の刺繍を施した若い研究員たちが、整然と立ち、にこやかな声で説明している。
袖口から覗く魔術式の刺繍が、息づくたびに光を帯び——
(……眩い。衣装の完成度が国家戦略レベルだ……)
理知と冷気の漂う布地、銀のライン、光に応じて淡く揺れる紋章。
エリセは無意識に胸の前で手を組んでいた。
(詰襟ってほんと卑怯……。誇りと知性と面倒くささが全部詰まってる……)
彼らが紹介していたのは、
「血環の鏡」——魔力の根源波を解析し、血縁や契約の絆を可視化する魔術具だった。
透き通るような銀の鏡面に術式回路が刻まれ、手をかざすと魔力の樹形図が淡く浮かび上がる。
「ご家族や研究仲間との“血の絆”を確認できます!
研究室での予期せぬ魔力干渉の防止にも有用です!」
若い研究員が胸を張る。
が、その直後——。
「ねぇ、あの人……ルザリオの宰相じゃない?」
「えっ、あの一般服の? 子供連れのご家族……」
エリセの背筋に冷たいものが走った。
(え、宰相閣下……?
まさか庶民に紛れて体験コーナー……なんで!?)
次の瞬間、鏡がまばゆく光った。
“宰相らしい男”と“少年”の間に、魔力の線が——繋がらない。
「……どういうことだ?」
「な、なんで光が……消える?」
ざわめく会場。
「再演算……再演算してみますね。……いや、正常動作……です、よ?」
研究員たちの顔が引きつる。
鏡は正直だった。
血の繋がりがあれば青白い環が結ばれるはず。
だが鏡面は沈黙し、父と子の血のつながりを拒んでいた。
「——違う……? まさか、そんな……!」
“宰相らしい男”の隣にいた女性が蒼ざめ、子供を抱き寄せる。
「欠陥よ! 誤作動に決まってるわ!
大体、そんなこと解るわけないじゃない!」
「奥さん、言葉が過ぎるな! 我々が心血を注いだ——ぐぇっ」
研究員の言葉は、“宰相らしい男”に襟をつかまれ途中で途切れた。
「俺はあの夜の記憶が! いや、待てよ、この子の顔に似た男を俺は知って——!」
男の怒りの魔力が暴発し、光結界がばちんと波打つ。
怒鳴り声とすすり泣きが入り混じり、研究員が絶叫した。
「鏡を覆え! いや、まだ観測値が! 誰か観測値だけでも——!」
「バカ! 今それ言うな! 訴訟案件だぞ!」
結界が弾け、展示会場はあっという間に学術的修羅場へと変貌した。
逃げ惑う見物人。
鏡の前では夫婦が叫び、子供が泣き、飛び交う数式と魔力式。
研究員が青ざめながらも、
「理論的には! これはあなた方の魔力構造が——」と説明を試みるが、
「理論とかどうでもいいのよぉ!!」という絶叫にかき消された。
悲鳴、怒号、光の爆ぜる音。
あちらの机では何かが燃え、こちらでは「親子関係データ保存中」の浮遊ウィンドウが止まらない。
「これ、削除ボタン効かないんだけど!?」
「そりゃダミーだ、始めから作ってねぇ!
倫理委員会申請が必要だったから面倒で省いた!」
叫びながら走る助手たち。
ラゼル=ネイムの部下は頭を抱え、
「……だから、断るにしても宰相案件は慎重に立ち回れって言ったのに!!」と遠くで嘆いていた。
そして数分後。
“宰相らしき男”が真っ赤な顔で「報道管轄禁止だッ!! 誤作動だッ!!」と叫び、
半泣きの夫人と呆然とした少年を連れて退場していった。
残されたのは、焦げた展示机と、ゆらゆら煙る鏡面。
エリセは額を押さえた。
(……え、展示事故っていうか……国家的家庭崩壊イベント?)
ふと、準備期間中のラゼルへのしつこい“宰相からの招へい”を思い出す。
(ああ、あれ全部……このため、だったのか)
ラゼル=ネイムに内密に親子鑑定を頼んだものの、
「そんな暇はない」と断られ続けた結果——。
宰相閣下は、“一般家庭”を装ってでも、真実を確かめようとしたのだろうと、
隣にいた気のいいラゼルの部下の一人がエリセに教えてくれた。
納得とともに、じわりと襲いくる虚無。
(いや、切実だったんだろうけど……それでも、これはない……!)
(……よその家庭の真実とか、国の上層部の夜の話とか、国民として本当に知りたくなかった……)
オルディアの雪のように冷たい沈黙が、展示区画を包んでいた。
その中で、制服の裾を焦がした若い研究員が、焼けた鏡片を見つめて呟いた。
「……理論的には、完璧だったのに……」
エリセは肩をすくめ、ひとこと。
「理論は、家庭の平和を保証しないからね……」
そしてそっと、その騒然とした区画を後にした。
背後では、「再演算は完了してました!」という場違いな声が響いていた。




