第60話 夜の帳に紛れる奇跡
この日、ユフィの提案に乗ったエリセは、夜の居酒屋で思わぬ再会を果たすことになった。
すでに飲み始めていたユフィの隣には、彼女の恋人カーク、そして――
「……!」
見覚えのある大きな体が立ち上がり、深々と頭を下げる。
「前は本当にすまなかった。一度は謝ったが……ずっと気になっていたんだ。武装した男に拘束された恐怖は、簡単に消えるものじゃないから」
「コイツ、展覧会メインホールの警護につくことになったんだ。エリセちゃんとわだかまりが残ったままだと、俺も心配でさ」
彼の名は――騎士フレイ。
茶色い髪に日焼けした肌、体格のいい長身。
《煌霊炉》事件の時、レジットの告発を受けて、街中でエリセを拘束した騎士でもあった。
(……できればそっとしておいてほしかったんだけどなぁ)
あの日以来、長身の男性は少し苦手だ。
(でもアタシは出来る女! 展覧会を円滑に回すためなら隠し通してみせる!
ただでさえネイムさんって爆弾を抱えてるんだから、不安要素は一つでも減らさないと!)
「え、ええ? あたし全然気にしてないよ。むしろ、あなたの方が大変だったんじゃない?」
にこっと笑うと、フレイは目を見開き、それから穏やかに微笑んだ。
「……ありがとう」
その短い言葉に、真っ直ぐな誠実さがにじむ。
乾杯を交わして場が和んだころ、フレイが静かに言った。
「今日は……俺に奢らせてほしい」
「えっ、そんなの悪いよ!」
「いや。俺にとっては……やっと会えた機会だから。どうか受け取ってほしい」
すかさずユフィがニヤリ。
「ねえ、最近レジットが変な目でエリセ見てるじゃない? だから新しい出会いを、って思ったの!」
「ちょ、ちょっとユフィ! あたしすぐ振られるんだから、今はまだ……」
カークが豪快に笑って、隣のフレイを軽く小突く。
「大丈夫だって。コイツは性格いいし、今までみたいな変なことには絶対ならない」
フレイは強く出ようとせず、ただ柔らかに笑った。
「……新しい友人が一人増えるくらいの気持ちで。そう思ってくれたら、嬉しい」
そのあと料理が次々と運ばれ、ユフィとカークは自然にじゃれ合い――
「ねぇユフィ、それ俺の唐揚げ……」
「え、違う違う。これはシェアだから!」
「シェアって丸ごと食うことじゃねぇだろ!」
そんな夫婦漫才みたいなやり取りに、思わずエリセも吹き出す。
フレイはそんな三人を見守りながら、さりげなく皿を取ってくれたり、飲み物を気にかけたりする。
(……優しい人だな)
エリセがフレイを見て微笑むと、彼は一瞬目を逸らし、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「いや…その…あまり注目されると恥ずかしいな」
けれど、次の瞬間には、カークの前に届いた追加の唐揚げを皿ごとしゅぱっと攫い、ニカッとエリセに笑いかける。
やがて夜も更け、一行は店を後にする。
――そして。
石畳の夜道に、唐突な足音が割り込んだ。
闇の中から数人の男たちが現れ、ナイフを抜き、道を塞ぐ。
「くそっ、なんなんだ」
カークが低く呟き、即座に前へ出た。
フレイもすかさず剣を抜く。
だが、さっきまで爽やかな笑みを浮かべていた顔は一変していた。
目つきは鋭く、口元には獰猛な笑み。
まるで獲物を前にした獣のような気配が漂う。
「二人、下がれ」
フレイは短く吐き捨てると、路上の砂を蹴り上げて敵の目に砂を浴びせた。
「うわっ!」
最初の敵がよろめいた瞬間、剣の柄で腹を強く叩きつけ、前屈みになったところに躊躇なく蹴りを入れる。
続けざまに近づき攻撃してきた別の敵の脚を払い、 足の骨を踏み砕き動きを封じる。
「ぐっ!」と呻く声が路地に響く。
さらに剣先を石畳にかすらせながら、火花と砂埃を舞い上げ、隣の敵の体を武器ごと弾き飛ばす。
片手で隣の敵の腕を掴み、背後の壁に叩きつけ、瞬時に距離を詰めて膝関節を蹴り砕く。
突進してくる二人を相手に、フレイは身を低く落として蹴りで一人を吹き飛ばし、残る一人の刃を弾いて足元に叩きつける。
周囲を警戒しつつ、フレイは次々と敵の位置を確認し、最短の動線で攻撃を重ねる。
火花と砂埃が路地を舞い、金属音が響く。
倒れた者は再び立ち上がることなく、路地のあちこちに無力な姿を晒していた。
その混乱の隙に、ユフィはさっとエリセの隣へ移動し、周囲の様子を伺う。
「……大丈夫?」
小さく声をかけるユフィに、エリセは少し驚きつつ頷く。
(は、速い……!)
先ほどまでの爽やかな笑顔とは別人、荒々しく、しかし合理的で確実な戦い方だった。
夜の静けさは破られ、息詰まる緊張が路地を覆う――。
しかし――その混乱の中に、ひときわ異質な影があった。
外套に身を包んだ男が、魔術の光を凝縮させる。
次の瞬間、石弾が放たれ、一直線にエリセの背中を狙った。
当たる――はずだった。
だが音も衝撃もなく、弾丸は空気に溶け込むように掻き消え、
次の瞬間には逆方向へと弾き返されていた。
鋭さを増した石弾は、狙いを違えず男自身の胸を貫く。
呻き声を上げる間もなく、魔術師は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
――戦いがひと段落し、路地に静寂が戻る。
倒れた敵を見下ろすフレイの顔は、まだ戦闘モードの獰猛さを帯びていた。
突然、ユフィが小走りで駆け寄る。
「カーク、怪我してない!?大丈夫なの!?」
慌てて肩に手を置いた瞬間、よろけてフレイにぶつかりそうになるが、フレイが軽く腕を添えて支える。
「わ、わぁっ! あ、あぶない!……でも助かった……」
ユフィは思わず赤面しながらも、カークの顔を覗き込む。
「大丈夫、だよね!?」
カークは息を整えつつ笑顔で頷く。
「大丈夫だ、心配すんな」
短く荒い呼吸を整えつつも、フレイの目にはさっきまでの柔らかな笑みは影もない。
「……はぁ、はぁ……や、やりすぎだぞ、フレイ」
カークが慌ててフレイの腕を軽く叩き、肩越しにエリセに目を向ける。
「……エリセ、ユフィ、 勘違いするなよな。
こいつ、普段は照れ屋で爽やかで、めっちゃいい奴だからな!
戦い方がちょっと、こう、アレなだけで!」
「……アレじゃない! 戦術的だ!」
フレイは肩越しにカークへ小さく睨みを返す。
カークは慌てた様子で両手を広げて釈明する。
「そうだそうだ、戦術的! そういうことにしとけ!」
エリセは、まだ少し心臓を速めながらも、目の前の二人のやり取りに思わず吹き出した。
フレイの獰猛な戦闘ぶりと、普段の柔らかい性格のギャップに、少し安心と、少しドキドキが混ざる。
ユフィは小さくため息をつき、カークの肩をポンと叩く。
「……ふぅ、助かった……やっぱりあんたたち、頼れるんだから」
思わず顔を覗き込む仕草に、カークも思わず笑みを返す。
「おぅ!だから展覧会の会場でも安心だからなっ。普段は最高にいい奴だからな。
……ただ、剣を向けたら鬼になるってだけで」
フレイはその場で軽く頭をかき、少し恥ずかしそうに言う。
「……その、変な誤解をするなよ」
「うん、ありがとう」
小さな吐息で呟くエリセに、カークは笑顔で頷く。
その夜の路地には、再び穏やかな空気が流れ始めた。
戦いは終わり、しかし四人の絆は、ちょっとだけ深まったように見えた。
カークとフレイは荒い息を整えつつ、周囲を警戒する。
「……ん? これは……」
フレイが倒れている一人に目を留めた。
黒衣の男。
その手には焦げた魔術触媒が握られている。
「魔術師だ。一体、誰が……」
カークが眉をひそめ、剣先で男を突き動かすが、反応はない。
「一緒に襲撃されていたら厄介だったな。……とにかく、巡回中の奴に引き渡そう」
結局、その場に残って後処理を請け負ったのはフレイで、カークはユフィとエリセを送っていくことになった。
安心した空気の中でも、エリセの胸には妙なざわめきが残っていた。
◇◇◆◇
翌日。
ルザリオの展示場――メインホール。
静かな午前、まだ誰も来ていない時間帯に、ツィグナトが姿を現す。
透明な展示ケースに指先をかざし、無駄のない動作で魔術式を描き足していく。
淡い光が走り、保護結界が一層強固に張り直された。
彼の横顔は相変わらず冷ややかで、誰に誇示するでもない。
ただ静かに、当然のように。
足元では、黒と白の二匹の蛇がチョロチョロと這い回り、小さな声で口論していた。
「余からすれば、あの葉を持ち帰らせたのは過分ぞ」
「まあまあ。葉っぱの一枚くらい別にえぇやろ」
「……葉を軽んじるでない! たとえ一片とて、悪意を引き寄せる禍根ぞ。 」
「せやけど――”綺羅の境に立った” から手が届いた、それだけや」
二匹のやり取りをよそに、ツィグナトはただ術式を書き終える。
その庇護は昨夜も、そして今も――エリセを確かに守っていた。
ツィグナトにとっては、呼吸と同じように当たり前のこと。
だが、その始まりは、あの忘却の庭での一瞬に遡る。




