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第51話 魔改造の魔術師とギョワる歯車

――喧騒のただ中から今まで、

イリディア・フォーンは静かに佇んでいた。

混乱の光景を無視し、

必要な座標情報を淡々とラゼルへ送信していた。


そして今、彼女は静かに床から剣を抜いた。


(帰還確認。座標固定解除……異常なし)

――床に描かれた星の刻印が解けていく。


彼女にとって目の前の騒動も、

ラゼルがはしゃぐ姿もただの背景でしかなかった。


「護衛任務に復帰」


チンと腰の鞘に剣を収める。


「ネイムさ~ん、ひどいですよ、

夕方には出してくれるって言ってたのに、腹減った」


「ネイムさん、この方すごいです! 

あっさりネイムさんの空間解除してくれました!!」


「ルクスの塔で見たことないですけど、

お知り合いですか!?」


長時間閉じ込められていたにもかかわらず、

オルディアの技術陣はまだ声に張りがあった。


閉所に慣れているのだろう、

疲労の色を浮かべつつも、安堵の笑みをこぼす者までいる。


対してヴァレクシアの技師たちは皆ぐったりと座り込み、

医師を呼んで慌ただしく介抱が始まった。


怒号と安堵の声が入り混じり、

ヴァレクシアの魔術具保管庫前はさらに騒然となる。


「もう助けにいってくれたんだ、ありがとう!

さすがナトだ!」

両手を広げ、ラゼルが勢いよくツィグナトに抱きついた。


そこへ、息を弾ませながらターバリ支部長が声を

かけてきた。

「ネイムさん、ご無事でなによりです!

それに……うちの職員まで連れ戻していただき、

本当にありがとうございます!」


礼を言い終えるや否や、

支部長は額の汗をぬぐいながら声を潜める。


「で、ですが……あのエンリルの歯車が……!

どうにも手がつけられんのです。

止めることも、仕舞い込むこともできず……

ネイムさん、どうかお知恵を!」


「先生!」


エリセは叫ぶや否や駆け出した。


ごちゃごちゃした騒ぎも、

うなる歯車の音も耳に入らない。


「ひどいよ、こんなカオスに放り込むなんて!」


手を伸ばしたその先に、横から伸びてきた腕が遮る。

レジットだった。

彼の顔は怒りと安堵が入り交じっている。


「お前……! いきなり目の前で消えた時、

心臓が止まるかと思ったんだぞ!」


一歩踏み出して、怒鳴るように吐き出す。


「仕事中に気を抜くからこんなことになるんだ!

しかも他国の人間まで巻き込んで……!」


憤りに眉を吊り上げながらも、

その表情の奥には安堵がにじむ。


少し言葉を詰まらせたあと、小さく息を吐き――


「……とにかく、無事でよかった」

それだけはどうしても隠せずに零れ落ちた。


すぐに表情を作り直し、職務口調に切り替える。


「後で必ず詳細な報告書を提出しろよ。

経過も、感じた違和感も、逐一だ。三部な!」


エリセの肩を掴んで説教を始めるレジットに、

エリセは思わず顔をしかめた。


レジットの体をなんとか押し戻したエリセが

ツィグナトに駆け寄ると――、

ルザリオの面々はその呼び名に瞠目する。


「先生?」


「「「エリセ(君)の先生!?

魔改造の魔術師!!!」」」


「ぶはっっ、なにその通り名!!

エリセ、君、彼らにどんな話したんだよ」


あんまりな二つ名に遠慮なく大口開けて笑うラゼル。


しかし、当のツィグナトは彼らに一瞥も与えず、

ラゼルを体に貼り付けたまま、

宙に浮かぶエンリルの歯車へ向かい、

顔の前でエンリルを指さし、語り掛けるように囁いた。


「――アクセス開始。

 制限解除。プロトコルE-7、

 双極の魔術師ツィグナト 特権キー認証。


 構文展開――神話位相接続、

 双極回路、静と動の 調和展開――」


その声は、人の言葉の域を超えていながら、

ラゼルのような奔放さはなく、

均衡と秩序の響きを帯びていた。


エリセの目の前で、空気は微かに震え、

保管庫の宙で静かに回っていた――


《エンリルの歯車》が台座の上へと静かに移動する。

微細な振動すら、完璧に制御されている。


灰銀の壁面を走る封印術式が白から赤へ戻り、

歯車が纏った透明の式環は風に溶け、

漂っていた魔力が散っていく。


さらにツィグナトは冷ややかな視線を歯車に向ける。


周囲の温度が一気に低くなる。

パキリと小さな音がひとつ響いた。


台座に薄く霜が張り付き始め――


『いいか、二度と余計なことをするな……

粉々にするぞ』


低く凍える声で言い放ち、

ツィグナトは顔の前で拳をゆっくりと軋ませながら握った。


その仕草は、

歯車を握り潰す未来を予告するかのように冷酷で、

無言の圧力を帯びていた。


歯車はギョワ……、と微かに悲鳴めいた音を上げ、

強制的に回転を止める。


深紅の雷光も真白の輝きも、

空間を切り裂くことなく鎮まり、

ただ台上に凍りついたように沈黙した。


レジットは思わず拳を握りしめ、

ターバリは喉を鳴らした。


ツィグナトにひっついたラゼルさえ、

一瞬だけ目を丸くした。


「……ギョワって言った」


次の瞬間、けらけらと笑い出す。


「ははっ、いい声じゃないか! 

もっと鳴かせてやれよ、ナト!」


周囲の誰一人として笑えないのに、

ラゼルだけが心底楽しそうだった。


エリセはツィグナトがしたことが何かわかりはしないものの、

鋭敏に何かを感じ取っていた。


(えー……この人、本当に何をしたの……)


周囲の人々は息を詰め、目を見開くだけ――


音も光も狂気も消えた空間に、

ただ冷徹な力だけが支配していた。


「……あれ? 前に見たときより、色が……」


エリセは歯車を凝視し、目を細める。


灰銀に輝いていたはずの歯車は、

今や血の気を失ったように蒼白に褪せていた。


そのとき――


「ナト様! あぁっ、私の麗しい方!!

お久しぶりですっ」


鉄塊のような衝撃とともに、

イリディア・フォーンがツィグナトの首へ飛びついた。


――直後、ラゼルにべりっと剝がされる。


ツィグナトは無言のままラゼルを押し退け、

白味を帯びた《エンリルの歯車》へと足を向ける。


残されたイリディアは、

ラゼルを鋭く睨み据えた。


「……坊ちゃん、私と麗しい方との再会を邪魔するな 」


「やれやれ、相変わらずだな。

次こそ星座ごと粉砕されるぞ?

ほどほどにしろよ 」


ラゼルは肩を竦め、

しかし口元には余裕の笑みを浮かべている。


「冷酷で、容赦がない――

だからこそ愛しくてたまらないんだ!

自重は無理だ!」


イリディアの目は狂気にも似た熱を帯び、

ツィグナトの背中を追いかけんばかりに輝いていた。


「あ~~、そぉ。

まぁほどほどにな」


気の抜けた調子で応じるラゼルに、

一呼吸置いて、イリディアは報告を上げる。


「それはそうと、

坊ちゃんが不在にしていた時間は――十七時間三十五分二秒。

案外早かったな」


「おっと、確かに。

あのままじゃ全員餓死ありきだったな――」


ラゼルは大げさに手を振ってみせる。


「いやぁ、運のいい連中だ。

エリセに感謝させないと」


「坊ちゃんに、ではないのか?

エリセに?」


怪訝そうに首を傾げるイリディア。


「あぁ。

彼女が引き寄せたんだよ、ナトの工房への道をね。

だからこそ最短の帰還が叶った」


ラゼルは肩をすくめて見せる。


その背後では、遮蔽空間から解放された技術者たちが、

隅で携行食をかじりながら作業へ戻ろうとしていた。


「さて、僕もそろそろ仕事に戻るか」

軽い調子で手を打ち合わせ、ラゼルは言った。


「ナトに仕込みを頼んである。

だから五分だけ、あの歯車から連中の目を逸らしておけ」


踵を返すラゼルの腕を、

イリディアがガシリっと掴んだ。


「――何だ? いま、声が聞き取れなかったぞ」


「えー。お前もか。

まいったな、使用者権限の譲渡ってやつは本当に厄介だな」


ラゼルは大げさに肩を竦め、

イリディアの手を振り払うとぞんざいに告げた。


「まぁ、テキトーにやってろ。

でもナトに近づきすぎるのは禁止」


ひらひらと手を振りながら、

ヴァレクシアとルザリオの責任者たちの方へ歩いていく。


取り残されたイリディアは、

その背を見送ったまま微かに唇を噛む。


――彼女の視線は、

ラゼルではなく無言のツィグナトへとすぐ戻った。


<ルクスの塔>ラゼル=ネイムが所属しているオルディア(国名)首都の中心にそびえ立つ、白亜の巨塔の俗称。正式名称は「高位魔術具開発局本庁舎」。(第34話 監査官ヴィステ=ゼルハイム(所属国:オルディア)より)

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