第34話 監査官ヴィステ・ゼルハイム(所属国:オルディア)
オルディアは北方に位置する冷涼な国だ。
一年のうち半分は灰雲に覆われ、空はいつも鈍色に沈んでいる。太陽が顔を出す日など、ほんのわずか。
だが、この国には確かに“光”がある。
――魔術具。
製造も研究も、オルディアでは国家の根幹を成す産業だった。
魔術具に触れるのは、子どもたちにとって遊びの延長であり、日常の一部。
「魔術具に触れずに成人する者はいない」とまで言われるほど、それは生活に根ざしていた。
この国の誰もが、一度は夢見る。
“魔術具を創る側”になることを。
マイスターという名の魔術技術者を志し、研鑽を重ね、塔を目指す――。
首都の中心にそびえ立つ、白亜の巨塔。
正式名称は「高位魔術具開発局本庁舎」。
だが国民たちは、親しみと敬意を込めて、それを《ルクスの塔》と呼んだ。
昼には陽光を反射して眩く、夜には魔力光を宿して金色に輝くその塔は、
天辺に魔術灯を掲げ、常に淡い光を揺らしていた。
ここは、世界中のマイスターたちが憧れる聖域。
魔術具に命を吹き込む者なら誰もが夢見る、至高の研究殿堂である。
――その日。
雪の気配を孕んだ 冷気が、石畳の街を静かに包んでいた。
塔の最上階にある「第五設計室」と呼ばれる一室には 、報告書の束が静かに積まれていた。
その頂に、ひときわ異質な封筒がひとつ。
差出人の名前を見たとき、誰もが「誰だ?」と眉をひそめた。
ラゼル=ネイム。
名簿の片隅にある、新規申請資格をぎりぎり満たしただけの若輩――
そう、誰もが思っていた。
……その報告書を開くまでは。
「“星界構造の理解を履き違えている”?……なんの冗談だ」
その文面を最初に読んだのは、当時この国の研究開発を牽引していた男だった。
名を、ヴィステ=ゼルハイム。
白金の髪を後ろで束ねた端正な顔に、憤りが滲む。
彼が率いたのは、国家規模で進められていた超大型魔術具プロジェクト。
その構造理論に、若造が“誤り”の指摘を投げかけてきたのだ。
五年を費やした研究。
国の威信を賭けた設計図。
それを、この論文は……まるで子どもの落書きを上書きするように、
一から塗り潰していた。
「こんな、机上の空論で……! しかも、“気になったから”……?」
書類の最後に書かれたその一文が、脳裏に焼き付いて離れない。
>『なんとなく気になって調べてみました。再設計が必要ならご自由に。』
悪びれる様子は一切なく、無邪気ですらある。
まるで、国家の屋台骨を揺るがしている自覚など、微塵もない。
だが、事態は動いた。
設計局の上層部は、最初こそ笑って流した。
だが、数人の若手研究員が気まぐれに試算を始め、すぐに“気づいた”。
ラゼルの仮説は、理論として成り立っていた。
しかも、途方もない精度で。
「再設計の必要あり」
その結論が、静かに添えられる。
――そして、国家プロジェクトは棚上げされた。
全予算は凍結。
関係者への聴取が開始され、責任の所在が追及された。
結果。
高位魔術具研究開発部のトップ、ヴィステ・ゼルハイムは更迭。
その名誉も立場も剥がされ、
以後、彼が魔術具の設計に関わることは二度となかった。
「……何が、“なんとなく”だ……」
かつて自分が夢を託した実験棟の前で、彼は拳を握りしめた。
ラゼル=ネイム。
無垢な無礼。無邪気な破壊者。
責任も恐れも持たず、ただ“気まぐれ”で、
国を揺るがす設計を、さらりと覆してのけた――
その青年の名を、
ヴィステは、決して忘れなかった。




