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第31話 サンドイッチの厄災(前偏)

準備期間とは思えないほど、展示ホール第5区画は活気づいていた。

箱詰めされたままの魔術具や封印済みの呪術式がずらりと並び、各国の技師たちが調整に追われている。

その隅で、エリセは《術規》の作業員リストを片手に、ふと異様な光景に目を留めた。

「……あれ、騎士団?」

声に出したわけでもないのに、隣の技師が同じ方向を見て、こっそり囁いた。

「ほら、あの人たち。ルザリオ王国騎士隊」

バーガンディ系の赤茶の外套をひるがえし、会場をそわそわと歩き回る一団がいた。

腰に帯剣、胸元にルザリオの紋章。立派な公式使節のはずだが、どうにも挙動不審だ。

「……あいつら、昨日も一昨日も来てたよな」

「うん。『お招きの使い』って言ってた。宰相閣下が、どうしてもラゼル=ネイム殿に会いたいって」

その囁きに、エリセは何気なく視線を巡らせた。

そしてふと、展示区画の支柱の陰――

脚を組んでベンチにもたれ、紙皿を片手にのんびりサンドイッチを頬張る、白衣の人物を見つける。

「……本人、そこにいるんだけど」

「え? どこどこ?」

きょろきょろと辺りを見回す隣の技師に、エリセは眉をしかめた。

目の前にいるじゃない。

白衣に淡い銀灰のシャツ、濃紺のスカーフ、手には使い込まれた墨黒の手袋。

陽を跳ね返すような金髪に、冷えた碧の瞳――肖像画のような整った容貌。

……ただし今は、完全に昼休みの学生のような気の抜けた姿でサンドイッチをもぐもぐしている。

にもかかわらず、騎士たちはそのすぐ前を何食わぬ顔で素通りし、周囲のスタッフに人探しの様子で声をかけている。

ラゼルの横を三往復して、ため息とともに立ち去った騎士すらいた。

(……見えてない?)

「え? 本当に? どこに?」

「だから、そこ――って、まさか……見えてないの?」

技師が困惑したまま、何もない空間をじっと見つめている。

「なにが? 展示台しかないけど……

ラゼルさんが魔術使うなんて話、聞いたことないし。じゃあ、魔術具……!?」

それなりに事の重大さは理解している。

他国の騎士様が“正式なお迎え”に来ている時点で、これは外交案件に近いのだ。

下手をすれば、国同士の面目に関わる。

なのに、目の前のラゼル=ネイムは――

サンドイッチ片手に完全オフモード。

昼休みの学生みたいな顔で、もぐもぐしている。

(……いや、せめて仕事しろよ。手袋はずせよ。

 この状況で、素知らぬ顔でパン食べてるやつ、初めて見たわ)

──どちらにせよ、当の本人はそんな状況を微塵も気にしていなかった。

むしろ、騎士たちが少し離れたのを見計らったかのように、

ラゼルは脚をすっと前へ伸ばした。

その足先が、絶妙な角度で通路へ突き出される。

「うわっ!? ――おっと!」

 ドンッ――!

乾いた衝撃音が、第五ホールの通路に響いた。

騎士の一人が、足を取られたように前のめりに倒れ込み、展示台の縁に肩をぶつけながら、顔から滑り込むように転倒した。

(今の……完全にわざと! 絶対わざと!!)

(なにその足トラップ。どっかの悪ガキか、あんたは)

エリセは思わず目を逸らし、無意識に半歩、距離を取った。

「……あんなのが展覧会の“顔”とか、正気を疑うんだけど」

ぼやいたエリセの隣で、技師がぽかんと口を開けていた。

「え、本当にラゼルさんいるの? うわ、すご……」

(見えているのは、あたしだけ――)

その事実が、妙に体温を下げた。



周囲の人間には、そこに“彼”がいることすら認識できていないらしい。


「……おかしいな。騎士様が見つけられないのに、君には見えてるって……」

技師が首をかしげてぽつりと呟く。

「もしかして、それ。《紅蓮の牙》が干渉をはじいてるんじゃ……?

目くらまし系の術具とかの。《煌霊炉》の精神汚染も弾いたでしょ?

……だとしたら、すごいよ。あのラゼル=ネイムさんの術具の効果をかき消すなんて、普通じゃ無理。

……っていうか、その調整したの、どこの誰?」

エリセは答えられず、そっと視線を逸らした。

(……わかんないよ、あたしにも)

だが、その静かな観察は、突然の喧騒に破られる。

転倒した騎士が取り落とした魔術具を拾い損ね、

背後から駆け寄ってきた別の騎士が、それを拾おうとして――

「どけっ!」

荒っぽく抜いた剣が、空気を裂いた。

スタッフ達の悲鳴が上がる。

「えっ、なに!?」

「やばっ、抜刀!? 嘘でしょ!」

 ズダンッ

「映像記録用の魔術具のようだが――

この区画での使用は、ウチの坊ちゃんが許可していないはずだ」

凜とした声が、騒然とした空気を貫いた。

その声の主――騎士を蹴り飛ばしたのは、ひときわ細身の女性だった。

――イリディア=フォーン。

彼女の身体は驚くほど華奢だった。

それでも――彼女は、剣に手をかけることなく、ただ一蹴。


次の瞬間には、彼女の倍はあるだろう、重装備をまとった騎士のがっしりした巨体が、音もなく宙を舞った。

吹き飛ばされたその身体は、軽く十メートル――

柱の陰まで転がっていき、ごつんと鈍い音を立てて止まった。

(うわ、綺麗に飛んだ……って、いやいや! 今の威力なに!?)


だが、イリディア=フォーンは止まらなかった。

ディープ・スカーレットの外套の裾をひるがえしながら、ゆっくりと剣の柄に手をかける。

その動きに、ためらいはない。威圧も、誇示もない。

ただ、職務を遂行する者の静けさ――

「何を探っていたのか知らないが」

静かに、けれど会場全体を射抜くような声が響く。

「――うちの坊ちゃんを覗いていいのは、

淡い色か彩度の低い髪色。肩より長めのストレート。年下で小柄。

胸の揺れより“隠そうとする仕草”と“耳の形”に魅力がある娘だけだ」

……空気が一瞬で凍りついた、違う意味で。


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