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103/103

第103話 帰ってきた少女は、掴んだ星を放さない

門の前に立つと、

その巨大さに思わず足が止まった。


白い石で組まれた、荘厳なアーチ門。

魔術刻印が静かに光っている。


(……これ

勝手に入っていいやつ?)


門番はいない。

けれど、なんとなく緊張する。


少しだけ周囲を見回してから、

エリセはそっと一歩踏み出した。


「門といい、外壁といい、

全部に魔術式とか頭おかしい…」


「効率がいいからな。

敷地内の気温調節だろう」


「ぎゃああああああ!!!!」


背後から声がして、

エリセは飛び上がった。


その悲鳴に、門の近くにいた研究員たちが

一斉に振り向く。


濃紺の制服。

袖口には水色と銀の刺繍。

ルザリオの魔術具展示会で見慣れた、

塔に所属した研究員たちの装いだった。


その中に——明らかに違う色が

混ざっていた。


黒に近い深い色の制服。

襟元と袖口を走る、

赤と金の緻密(ちみつ)な刺繍。

濃紺の制服とは、仕立ても存在感も

まるで違う。




研究員の一人が、思わず小声で呟いた。


「……顧問と主任だ」

「こんな場所にいるなんて……」

「新人の配属だぞ?」



(え……)


エリセの視線がそちらへ吸い寄せられる。


ひとりは、そのジャケットを

肩に掛けていた。


白い手袋。

細身の黒いパンツ。

黒革のブーツ。


—―胸元には……神が宿っていた。


歯車と眼を組み合わせたルクスの塔の紋章。



彼らは静かな足取りで歩く。



着崩すなんて、なんてもったいない!!

正装が一番完成形なのにっ!!

でも、でもっ、これも有り!?

ユフィがいたら、一日中議論できるのにっ!


……と、尊いっ!!!!



呆れた声が降ってくる。


「お前はオルディアの気候も調べずに来たのか」


ツィグナトだった。

彼は一瞬だけ、エリセを見下ろす。


あまりにも薄いコート。

耳も頬も指先も、寒さで真っ赤だった。



ツィグナトは何の迷いもなく

ジャケットを脱いだ。


厚手のロングジャケット。

さっきまで彼が羽織っていたものだ。

それが、エリセの肩へ掛けられる。


ふわりと落ちる重み。

まだ体温が残っていた。


エリセの思考が止まる。


(え)


(え?)


近い。

あまりにも近い。


顔を上げれば、すぐそこに

ツィグナトの顔がある。


——無理。


エリセは慌てて、視線を横へ逃がした。


その時、くすりと笑う男がいた。


ラゼル=ネイム。


「ナト」


肩からジャケットを羽織ったまま、

ラゼルは軽く肩をすくめる。


「到着三秒で、新人研究員を固めるのは

やめた方がいいと思うよ」


それからエリセを見る。


「やあエリセ、久しぶり」


その瞬間——

エリセの視線が止まった。


肩に掛けられているロングジャケット。

黒い生地。

赤と金の刺繍。

塔の研究員たちが着ている濃紺の制服とは、

まるで違う。


エリセは思わず、

肩に掛かったジャケットの刺繍を

もう一度見た。


それから視線を横へ滑らせる。


ラゼルが肩から羽織っているジャケット。

その袖口にも同じ刺繍。


(嘘でしょ)



(これ……)




(絶対、塔の偉い人の制服……)



エリセの口がぱくぱく動く。


「せ、せせせせ……」

エリセは思わずラゼルを指さした。


ラゼルは少しだけ首を傾ける。

「制服?」


「制服!

制服!!

制服!!!」


ラゼルは吹き出した。


「やっぱりそこなんだ」


「やっぱり着てるじゃないですか!!!!」


ラゼルは少し肩をすくめた。


「普段は着ないよ。今日は特別」


「特別……?」

エリセの声が、ほんの少しだけ落ち着く。



「ナトが来たからね。

一年前の事故の謝罪もあるし」


そこでラゼルは、

わざとらしくため息をつく。


「それに……」

ちらりとエリセを見る。


「制服フェチの君が来るなら、

一回くらい披露しておかないとね」


「フェチじゃないです!!!!」


だが、

その目はラゼルの袖口に釘付けだった。


白い手袋。

袖口の刺繍。

布の重なり。


「……」

「……」

「……ちょっといいですか」


「何が?」


「袖口」


「袖口?」


「袖口の刺繍の流れが

ちょっとだけ見たい」


「完全にフェチだよね?」


「観察です!!」


ラゼルは吹き出した。

「変わらないね君」


エリセは慌てて顔を上げる。

「で、でも!」


「ほんとにかっこいいですよ、これ!」

「配色も綺麗だし!」

「シルエットもすごくいいし!」

「あと肩に羽織るのずるい!」


「ずるい?」


「ずるいです!!!」


ラゼルは笑いながら、ツィグナトを見る。


「ナト、この子、

塔に連れてきて大丈夫だったかな?

研究どころじゃなくなる気がする」


ツィグナトは一瞬だけ、エリセを見る。

その目に、わずかな笑みが浮かんだ。


「問題ない」

短く言う。


「そう?」

「観察力は高い」


「いや絶対違う方向の観察力だよ」


ラゼルは肩をすくめた。

そして改めてエリセを見る。

「ともあれ、ようこそルクスの塔へ」


エリセは一瞬きょとんとして、

それから小さく笑った。


ツィグナトの隣に立つ。


「よろしくお願いします」


塔の奥では、新しい研究の音が鳴っている。


魔術式の光、紙の擦れる音、

誰かの議論の声。


エリセは胸の奥で小さく思った。


(ここから始まるんだ)


五百年と一年を越えて、

ようやく辿り着いた場所。


その隣には、

変わらない黒色の魔術師がいる。


(いつか

ちゃんと告白する)


心の中でそう決めて、

エリセは歩き出そうとして——


エリセはまだ動かない。


ただ、震える声で言った。


「……先生」


「なんだ」


「その制服」


「貸与された。

——しばらく塔に所属することにした。

研究顧問だ」


「ネイムさん!」


「うん?」


「なんで二人とも着てるんですか」


ラゼルは少しだけ肩をすくめた。


「せっかくだからね。

塔の歓迎らしくしようと思って」


沈黙。


三秒後、エリセはその場にしゃがみこんだ。


「萌えが多すぎる……」


白い中庭に、小さなうめき声が落ちる。


ラゼルはまた吹き出した。

ツィグナトはその隣で、

静かに彼女を見下ろしていた。


赤い髪。

しゃがみこんで、

頭を抱えている姿は少しだけ滑稽で、

そしてどこか——懐かしい。



五百年前。

帰れと言っても、動かなかった子供。

迎えが来て、強引に連れて行かれた小さな背中。


今は——

自分の足でここへ来ている。


ツィグナトは、わずかに目を細めた。


その時。

エリセの肩に掛かった鞄の奥で、

小さな灯が、ほんの一度だけ揺れた。

誰も気づかないほどの、

淡い灯り。


けれど——ツィグナトだけが、

わずかに視線を落とした。



その腰のあたりで、

革袋がもぞりと揺れる。

袋の口から、二つの小さな頭がのぞいた。

黒い蛇と

白い蛇。



「……一年待った」


誰の耳にも届かない呟き。


「今度は——自分で来たな」



けれど——黒蛇の瞳だけが、

静かに細められた。


(へぇ)

小さく舌を鳴らす。


(そんな顔もえぇな)


その隣で、白蛇の瞳がすっと細くなった。


「余は気に入らぬ」


低い囁き。

「ナトの視線が、あの小娘に向いておる」


黒蛇が面倒くさそうに返す。

「今さらやろ」

「今さらではない!」


白蛇の尾がばたんばたんと揺れた。

革袋が小さく揺れる。


「余はナトの守護神ぞ!」


「へぇへぇ、さよか」


黒蛇がため息をつき、白蛇の身体をぐいっと押さえつけた。


「暴れんな。袋から落ちるで」


「離せ! ネクレオス!」


「ナトに見つかったら、また出禁喰らうで」


びくり。


白蛇が固まる。

黒蛇はそのまま、

白い尾を袋の奥へ押し込んだ。


「静かにしとき」


しゃがみこんでいたエリセが、ようやく顔を上げる。


まだ頬が少し赤い。

けれど、その目はまっすぐ塔を見上げていた。


白亜の巨塔。

ルクスの塔。


エリセは立ち上がる。

そして、塔へ足を踏み入れた。


ここから——私の新しい日々が始まる。



胸の奥でそう思いながら、

エリセはツィグナトの隣に歩幅を合わせた。




黒衣の魔術師は、

相変わらず不愛想な顔で歩いている。

共感力の欠片も感じさせないまま。


それでも——

エリセは、隣を歩いた。


(……よし)

小さく拳を握る。


(いつか絶対、好きってちゃんと伝える)


恋愛に向いてない女でも、

それくらいは頑張れる気がした。



「君ねぇ」


突然、隣から声がした。


「君、ここに就職して、

その目標はどうなのかな?

もっと壮大な夢を追いかけてよ!」


エリセの肩が跳ねた。

勢いよく振り向く。


「え」


「え?」


「ネイムさん、なんで!?」


ラゼルが笑っている。


「ははっ、顔に出すぎだから」

「嘘ぉ―――っ」


塔の奥から、

研究者たちの議論の声が聞こえてくる。

魔術式の光、紙の擦れる音、

古い石の廊下に響く足音。


ルクスの塔。

世界で最も魔術が集まる場所。


そして今、その入口に立っている。


恋愛に向いてない女が、

世界一面倒な魔術師に恋をして。

それでも——きっと、ここから全部始まる。


エリセはもう一度だけ、

ツィグナトの隣へ歩幅を合わせた。


黒衣の魔術師は、何も言わない。

けれど、その歩みは止まらない。


その隣で、エリセも歩き出した。


ルクスの塔の扉が、静かに閉じる。




新しい研究と、そして——

たぶん、世界一ややこしい恋の始まり。


……それでも、きっと楽しい。

ここまでお付き合いくださり、

ありがとうございました。

本作はこれにて完結です。

不愛想で冷徹で、ドライで、共感力ゼロ。

そんな魔法使いの隣にいると、

なぜか案外心地よい――


そんな話を書きたくて始めた物語でした。


……なお、作者としては。


二人がちゃんとくっつくところまで

見届けるつもりだったのですが。

気づいたら先生が、

そこまで歩いてくれませんでした。


たぶん、あの人はあの人のペースで、

もう少し遠回りをするつもりらしいです。


それでもきっと、あの二人はこれからも

隣で歩いていくのだと思います。


読者の皆さまのおかげで、

最後まで書き切ることができました。

本当にありがとうございました。


またどこかの物語でお会いできたら嬉しいです。

※完結にあたり、本文を少し読みやすく整えました。

ダウンロードしてくださっている方がいらっしゃいましたら、

お手すきのときに差し替えていただけると嬉しいです。


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