表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狭間の唄  作者: 秋口峻砂
8/17

八、朽ちて尚、椿香りて

閑話

 耳にさめざめと降る雨音が聞こえた。

 ゆっくりと目を覚ますと、女が枕元で泣いている。

「どうして泣いている」と問うと女は「枕元に飾っていた椿の一輪挿しが落ちた」と答えた。

 思わず私は笑ってしまった。一つは女の純粋さに対しての賛美として、もう一つは命の輪廻を考え得ぬ阿呆具合への失笑として。

 女はただただ泣き続けた。時折「子も残せずに」やら、「喉が焼けたでしょうに」やら呟いている。

 さて私は枕元に転がっている一輪の椿を手にとってみた。

 彼女はこの椿をとても愛していたようだ。そう考えれば、なるほど私にとっても大切な花であるはずだ。紅の花弁を指で摘むと、すとんと花弁が抜け落ちた。不意に妙な哀しさが私の胸を締め付ける。彼女が愛した椿が、時を負う毎に崩れていくという摂理。

 何と哀しい摂理だろうか。

 ひとであれ椿であれ、感じる時の流れの速さは同じであるはずなのに、それぞれによってそれぞれの長さを歩む。ひとも椿も、一生の長さは同じであるはずなのに、生物としての時の流れには明確な差がある。

 ついに私までもが、その哀しみにぽろぽろと泣き始めてしまった。みっともないとは思うが、一枚の花弁が抜け落ちた椿の悲壮さには勝てぬ。

「この子は幸せだったのかしら」

 唐突に女が私の腕に縋りそう呟いた。落ちた椿の花弁を手に取り、私はその香りを嗅いだ。すると何とも言えない甘酸っぱい香りがした。

 私は女にこう言った。

「きっと、幸せだった」

「どうして」

「嗅いでごらん。甘酸っぱい香りをさせて。自身の花を誇っているじゃあないか」

 不思議そうな顔をした女は、ゆっくりと花弁の香りを嗅ぎ笑った。

「本当、何て透き通った香りでしょう」

 私は小さく微笑むと落ちた椿を手に取り、それを女の手に乗せ、手を取り女の鼻先に運んだ。

「きっと、これもこの子の幸せだ」

「弔うことがですか」

「いいや、忘れずに刻むことがだ」

 涙は時と場合を選ばぬものだ。そしてひとにとって涙とは、自虐的に流すものでも哀しみにくれる為に流すものではない。

 涙とは刻み背負う為に流すものだ。

「また私達のところに、うまれてくれるかしら」

「きっとうまれてくれる」

 私と女は、ただ朽ちた椿を両手に抱えて、ゆっくりと微笑みあった。

「ほら、明日は晴れますわ、きっと」

 視線を向ければ、いつの間にか雨はやみ、空には陽が差していた。諦観にも似た悲しみと共に、私は微笑む女を見詰めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ