第1話 佐藤、死す
※ウイ島編の当時人物を第28話の後書きに載せております。よろしければ参照下さい。
「ドスッ………」
腕いっぱいに抱えていた書類が、床に落ちる。
「はぁ〜、もぉお〜」
溜め息とともに「またやってしまった」という文字が頭に浮かんでくる。
「あ、佐藤さん!手伝いますよ」
私が落としたにもかかわらず、同僚が書類を一緒に拾い上げてくれる。
その光景を見ていたオフィスには、和やかな笑いが起きる。
落ちた書類を集め終えた私は、照れながら顔を上げて呟いた。
「また落としちゃって..……ハハハ ありがとねぇ」
「も〜!佐藤さん。1人で全部持つからですよ!!」
なんでもそつなくこなすスマートな銀行員になりたかったもんだ。
34歳!銀行員!!佐藤 円!!!(さとう まどか)
サラリーマンの中のサラリーマンである!!
同僚はなんとも気持ちのいい連中が多くて、働きやすい。このご時世で珍しいくらいだ。とても満足している。
お金を借りに来たお客様と接し、人生の一部に寄り添うことのできる融資の担当である。
不器用なりに、やり甲斐と感動を私に与えてくれるこの仕事が天職だとも思っている。
「はぁ〜」
……コイツ以外は.………
「おい、佐藤!あの〜ポンコツ会社の社長から連絡来てるぞ〜〜〜!!早く代われ、代われ!!!」
上司の銭山だ。
毎度の事だが、良い気のしない言い方と態度だ。
おかげさまで不愉快な気持ちがすぐ薄らぐスキルとスルーするスキルが身についた。
「かしこまりました。どうぞ〜」
私は、銭山から引き継がれた受話器を取る。
「お電話代わりました、佐藤でございます」
「佐藤くん!今回はほんまにありがとう!!
ほんまにほんまに助かったで。恩に着るわぁ〜も〜頑張るでぇー!!
それでな、佐藤くんにお礼がしたいから電話したまでや!一杯やりたい〜思うてな」
「とんでもないことでございます!お礼なんて……そんな」
コテコテの関西弁で豪快に笑い、食い気味に話し出す。
「ダッハッハ…もー、遠慮せんと。ええからええから、明日の20時やで!残業すなよ!ほな!!」
「ガチャッ!!!」
相変わらずのキャラクターに私は呆れた顔をしながらも、喜びで口角が上がり、少し目頭も熱くなる。
定時に仕事を終え、上機嫌で同僚と居酒屋へ向かった。
今日の勤務終わりの酒は、いつも以上に美味かった。
同僚達に肩を借りながら居酒屋を後にし、へべれけの私はタクシーに乗せられ、発車する。
「先輩、なんか今日嬉しそうだったね……」
「明日、担当したあの関西弁の社長と乾杯だってさ」
「あ、祝杯のか!なるほど、それで嬉しそうだったのか。こんなに飲んで。明日も飲むのかよ……大丈夫かな〜」
「ふぅ〜」
私は無事に家へ着き、ネクタイを緩め、ベッドに倒れ込んだ。
あ〜〜、もう最高にいい気分だ。
「あ〜。6時起きか〜」
まだ、5時間眠れるか…。
仕事は好きだ。
好きだが、サラリーマンの朝はまぁ、だいたい行くまでが憂鬱なもので……嫌なものは嫌である。
この現象、なんとかならんものか。
そんなことを考えながら、心地よさに身を委ね、だんだんと意識が遠のき、私はすぐ眠りについた。
——すぐに眠りについてしまった朝は、いつもより一瞬でやってくるものだ。
鳥の囀りと共に、風で揺れるカーテンの隙間から太陽の光が差し込み私の顔を照らす。
しかめっ面で目を覚ました。
「んん…眠い…」
寝ぼけたまま歯を磨き、朝食を摂ってから着替え、深く息をついた。
「ふぅ〜。よしっ」
そして、鏡に向かって気合を入れた。
いつも通りの朝だ。
…いや、違うな。
今日の勤務を終えればお客様との祝杯が!酒が!!美味い飯が待っている。
二駅電車に乗り、歩道を渡ってサラリーマンたちの流れに乗って一緒にゾロゾロと歩く。
なんだか、いつもより少しだけ足取りが軽い気がする。
どれくらいかって?
周りの人に聞こえない程度に鼻歌が出るくらいにはご機嫌だ。
「おはよ〜っ」
「佐藤さん。なんか今日元気そうだな」
「え、そお?」
会社の通用口を通って、警備員と軽く挨拶を交わした。
自分の席へ向かい、私はいつもと違うオフィスの雰囲気を感じた。
気になってすぐ同僚に声を掛けた。
「おはよ、どうしたの?皆んな焦った顔して」
「あ、先輩っ!!!」
オフィスのざわつきが静まり、皆んなが私のことを見ているのを感じた。奥にいる銭山ともすぐに目が合う。
「おい、佐藤!!!お前、あのポンコツ会社の融資の書類……金額のケタが1つ多く書き換えられてるぞ。これ、お前の担当で、お前のIDで登録されてるなあ!」
「え!!!いや………そんなはずは…」
すぐにパソコンを確認すると、確実に何度も何度も確認した金額が書き換えられている。
「やってくれたなぁ。うちの銀行に巨額の損害を与える大失態だぞ。本来なら懲戒免職ものだが〜まあ、自主退職って形にしてやるよ。明日から来なくていい!
…あ、ちなみに、お前の席、来週から高木君が使うから、私物は今日中に全部片付けとけ」
「…………そんな。私じゃありません」
身体が勝手に動き、腰が椅子に落ちる。
まるで、急に脚が無くなったようだ。
顔が冷たい。
視界はぼやけ、周りの音が遠のく。
絶望感に襲われながらも、ざわつくオフィスの声が聞こえる。
同僚達と銭山が激しく言い合う光景が視界の端に見えた。
状況は何も変わらなかった。
———食堂で味のしない昼食を摂り、同僚に仕事を引き継いだ。
渋々まとめた荷物の入ったダンボールを抱え、私はオフィスを後にしようとする。
こんな姿ドラマのワンシーンでしか見た事なかったが、まさか私が………現実でこんなことが起こり得るなんて……。
同僚達が、心配そうに私を見送ってくれようとしている。
くそ…一体どんな顔をすれば良いんだ。
「先輩……」
「佐藤さん……僕たちがなんとかしますから!!!」
「…大丈夫だよ!ありがとう!!」
気の利いた良い言葉が出てこなかった。
私は本当に大丈夫そうな顔を出来ていただろうか、分からない。多分できていなかっただろう。
私は銀行を、銭山の顔は見ずに、背中を向けて足早に出た。これは嫌な事をスルーしたのではない。私が出来る最大限の自己表現だった。
「ずいぶんと早い退勤になっちゃったな」なんちゃって……そんな詰まらない冗談を思い浮かべたりもした。
どんよりとした気持ちとは裏腹に、空は信じられないほどのピクニック日和だ。
もうすぐ蝉が鳴き出すのではないかと思わせるくらいに、ダンボールを持った丸い背中が温かい。
「ガンッ、ガンッ、ガンッ」
「チッ」
妙に建設工事の音も大きく聞こえて。慣れない舌打ちまでしておいた。
これで雨でも降ってくれれば、より悲劇のヒロインぽさが出るのに。
私は公園のベンチに荷物を置いた。
公園の側にあるコンビニへ行き、私が全部持てるのか店員に心配されるほどの量の酒を買い込んだ。
荷物のあるベンチに座り直し、涙を浮かべながら片っ端から、ちゃんぽんした。
「……あ」
ちょうど酔いが回ってきた時に、ショルダーバッグをオフィスに置いたまま来てしまった事に気づいた。
バッグが無いのだから携帯も無い。
「あ〜、もー。今日は散々だな」
銀行へショルダーバッグを取りに向かうために、重い腰を上げた。
酔いが回って来ているのもあるが、足取りが重い。
浮かれて出勤したのがバカみたいだ。
私は約15分先の自分の姿を、想像した。
またオフィスに戻って、ショルダーバッグを取り、また銀行を後にしなければいけない自分の姿が何度も浮かび、何度もため息が出た。
「はぁ〜〜」
会社に戻りたくない。重りでもついているんじゃないのかこの足は……。
そう思って。
一度歩みを止めた。
その時———
「ガコンッ!!!危ない!!!!!!」
大きな音とともに、誰かが叫ぶ声も聞こえた。
一体、何が起こったのか。
理解する暇もなく、気づけば私の身体は地面に横たわっていた。
すぐに頭への強烈な衝撃を、思い出す。
建設中のビルの鉄骨が、頭部に直撃したのだ。
つくづく今日はついてないな。
宝くじは当たらないのに頭に鉄骨が当たるのか…。
まあ、もう銀行に戻らなくていいし良かった……かな?
とか、考える必要の無いどーでもいい事を考えていた。
霞む意識の中で、私を取り囲むヘルメットを被った人達が見える。
「きゃぁあーー」
「おい、誰か。救急車だ」
私を見てるんだろう。人が叫んでいる。
それに、慌てて救急車を呼ぶ声。
いや、もう。私には分かる。
これは助からないだろう……。
育ての親と祖父母の顔が頭に浮かぶ。
あぁ〜。これが走馬灯てやつか…。
ざわざわと人が増えていくのが分かる。
その野次馬のざわめき声も少しずつ小さくなっていき……
私の意識は途切れた———




