第36話 村の聖女と、勇者の変貌【マリア視点】
【マリア視点】
わたしは小さな農村で生まれた。
豊かではない。だけど不幸でもない。朝は鶏の鳴き声で目を覚まし、お父さんとお母さんは畑へ向かう。わたしも手伝える年齢になってからは、一緒に畑仕事をするようになった。
土の匂い。風の音。実った野菜を収穫する喜び。
そんな毎日が好きだった。
そして――わたしには幼なじみがいた。
アーサー。同じ日に生まれた男の子。村で同年代はわたしたちだけだった。だから自然と一緒にいる時間が長くなった。川で魚を捕まえたり、森で木の実を探したり、一緒に怒られたり、一緒に笑ったり。いつも隣にいた。
優しくて、少し変わっていて、だけど良い子だった。
わたしはずっと思っていた。きっと大人になっても、この日々は続くのだろうと。
だけど。その考えは、たった一日で壊れてしまった。
★
その日は認証の日だった。六歳になる子供が【認証の指輪】を受け取る日。職種が決まる日。人生が決まる日。村中の大人たちが集会所へ集まっていた。
「大丈夫だよ」
アーサーは笑った。
「職種なんて何でも生きていけるさ」
そう言っていた。その時はまだ。本当にいつものアーサーだった。
★
最初に呼ばれたのはわたしだった。震える手で指輪を受け取る。そして指にはめた瞬間。光が溢れた。
【職種・聖女を取得しました】
一瞬。集会所が静まり返った。誰も声を出さない。
やがて。
「聖女だと!?」
聖教会の神官さんが叫んだ。周囲が大騒ぎになる。
「すごいぞ!」
「聖女様だ!」
「村から聖女が出た!」
お父さんとお母さんは泣いていた。嬉し涙だった。
でも。わたしは素直に喜べなかった。
聖女は特別な存在。聖教会へ行くことになる。つまり村を離れる。アーサーとも離れる。
それが少し寂しかった。否定できない喜びと、じわりと広がる寂しさが同時にあって、どちらが大きいのか自分でも分からなかった。
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そして次はアーサーの番だった。
アーサーが前へ出る。いつも通りだった。本当に。その瞬間までは。
指輪をはめた。光が溢れた。
そして――。
「ふはははははははっ!!」
突然。アーサーが高笑いした。
集会所が静まり返る。わたしも固まった。
だって。アーサーはそんな笑い方をしない。絶対にしない。六年間隣で育ってきて、一度だって聞いたことのない声だった。
「やっとだ!」
「やっと始まる!」
「長かったぜ!」
アーサーは興奮したように叫ぶ。知らない言葉。知らない表情。知らない声。まるで別人だった。
「アーサー……?」
恐る恐る声を掛ける。するとアーサーがこちらを見る。だけど。その瞳は。わたしの知っているアーサーではなかった。
「マリアか。なるほどな。こっちの記憶もちゃんと残ってるのか」
意味が分からなかった。何を言っているのかも分からない。ただ。怖かった。
昨日まで一緒に笑っていた人が、全然違う人の目をしている。そのことが、何よりも怖かった。
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そしてアーサーは両手を広げた。まるで舞台の役者のように。
「俺の職種は勇者だ!!」
誇らしげに宣言する。誰も反応できなかった。
「勇者……?」
村人たちが顔を見合わせる。聞いたことがない。少なくともこの村には知らない人しかいなかった。
だけど。一人だけ、反応した人がいた。聖教会の神官だった。
神官の顔から血の気が引いていた。青白い。震えている。まるで死神でも見たようだった。
「そんな……何故だ……何故この時代に……」
神官は後退る。勇者を見て。怯えていた。
その瞬間。わたしの背筋にも冷たいものが走った。
勇者。本来なら英雄のはずだ。でも何故だろう。その言葉を聞いただけで胸がざわつく。近付いてはいけない。そんな気がした。
★
その日の夜。お父さんに聞いてみた。
「勇者って何?」
お父さんは難しい顔をした。
「本来なら救世主だ」
「本来なら?」
「昔はな」
お父さんは静かに言う。
「今は違う」
魔王がいる。聖人がいる。世界には既に守護者が存在する。勇者が必要だった時代は終わった。
だから。今の時代に勇者が現れるということは――。
「世界が何かを間違えたのかもしれない」
お父さんはそう呟いた。
その言葉が妙に怖かった。ランプの火が小さく揺れていた。お父さんの顔が影になって、表情がよく見えなかった。それがまた怖かった。
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そしてアーサーは変わってしまった。本当に。別人のように。
「何でレベルが無いんだ! おかしいだろ! ゲームならあるはずだ!」
意味不明な言葉を叫ぶ。
「何で誰も俺の言うことを聞かない! 俺は勇者だぞ!」
大人に怒鳴る。
「村人なんだから言うこと聞けよ! イベント進まねぇじゃねぇか!」
誰も理解できないことを言う。
優しかったアーサーは居なくなった。わたしの知っているアーサーは。もうどこにも居なかった。
毎日一緒にいたのに、知らない人になってしまった。それが悲しいのか、怖いのか、自分でもよく分からなかった。ただ胸の奥がずっとざわざわしていた。
村人たちは口には出さなかった。だけどみんな同じことを考えていた。
「あれは悪魔憑きだ」
誰かがそう呟いた。否定する人はいなかった。
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数日後。中央から迎えが来た。
聖教会直属。世界最高位の存在。聖人。
白銀の髪。美しい容姿。神話から出てきたような女性だった。落ち着いた空気を持っていて、それだけで村の人たちが静かになった。
聖人様はまずわたしを見た。優しく微笑んだ。その笑顔は本物だと思った。
そして次にアーサーを見る。
一瞬だけ。本当に一瞬だけ。悲しそうな顔をした。その表情を、わたしは今も覚えている。
そして静かに告げる。
「連れて行きます」
たった一言。それだけで全てが決まった。
アーサーは喜んでいた。
「やっと始まる! 異世界無双だ! 俺の伝説が始まる!」
笑っていた。嬉しそうだった。夢を見ている子供のように。
だけど。誰も笑わなかった。村人も、神官も、聖人様も。誰一人として。
笑えなかった、という方が正しいかもしれない。
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わたしだけは最後まで願っていた。
どうか。どうか戻ってほしい。前みたいに。一緒に川で遊んだ。一緒に笑った。あのアーサーに。
だけど。馬車が村を去る最後の瞬間。アーサーはこちらを振り返り、こう叫んだ。
「待ってろ世界! 勇者アーサー様が救ってやる!」
その姿を見て。わたしは初めて理解した。
もう。あのアーサーは帰ってこないのだと。
馬車が遠ざかっていく。砂埃が残る。風が吹いて、それも消えた。
わたしはずっとその場に立っていた。
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後に。マリアは聖女として歴史に名を残し。アーサーは別の意味で世界中に名を知られることになる。
だがそれは。まだもう少し先の話だった。




