1話:降伏
クロムハート王国の王都に迫る黒い鎧の軍勢と鉄の馬車の群れ。軍事大国であるユーキリス帝国の兵力は二万を超える。
それに対して、王国軍に残された兵力は千五百弱。数で圧倒的に負けている上に、相手は強力な魔導兵器で武装している。
この世界の魔法は特別な才能がある者だけが使えるものだ。特に魔導師と呼ばれる一握りの実力者が使う戦略級魔法は、戦局を変える力を持つ。魔導師の実力次第で、戦争の勝敗が決まると言われていた。
だけどユーキリス帝国が開発した魔導兵器が常識を変えた。魔導兵器があれば、誰でも魔法を武器にすることができる。
かつてクロムハート王国は、偉大な魔導師たちが君臨する国で、魔法大国と呼ばれていた。だけど魔導兵器を操るユーキリス帝国との戦争で魔導師の大半が戦死。クロムハート王国の領土の半分は、すでに帝国に占領された。時代に取り残された王国の威光など、今は見る影もない。
「王都決戦なんて聞こえは良いけど、王都に侵攻された時点で敗戦は確定。一般市民を事前に避難させただけでも、過去の栄光と見栄で戦争を始めたマーシャル国王陛下にしては英断か。まあ、第二王子のカイル殿下が身体を張って説得したって話だけどね」
王都を囲む防壁の上から、迫り来る帝国軍を見渡す。僕、アレックス・ベルナルドは王都防衛隊の指揮官を任された二七歳独身だ。
そろそろ魔導砲の射程距離に入る頃だから、もう直ぐ戦闘が始まる。だけど僕に緊張感はまるでない。こういうときは、緊張したら負けだからね。
「ベルナルド中佐、またそんなことを言って……もし近衛隊に聞かれたら、打ち首にされますよ」
チョコレートブラウンの髪をショートボブにした僕の副官、セシル・ロートレック少尉が呆れた顔をする。
同じ年の彼女はベルナルド家の侍女で、どういう訳か僕と一緒に王国軍に入った。
「近衛隊はマーシャル陛下と一緒に王宮に立て籠っているから、聞かれる心配はないよ。それに、このタイミングで指揮官の僕を排除できる訳がないだろう」
僕が指揮を任されたのは、別に能力を買われた訳じゃない。貴族の大半が戦死して、魔法の才能がない僕は、無能だから生き残った。
王家を守る近衛隊を除けば、子爵である僕が一番爵位が高い。それだけの理由で、指揮官に選ばれた訳だ。
兵士たちが恐怖に怯えているのは仕方ないだろう。魔導師たちが戦死した王国に、帝国の魔導兵器に対抗する術はない。戦いが始まれば、敗北と死が待ち構えている。セシルは毅然に振舞っているけど、彼女だって我慢しているだけだろう。
ここは指揮官の僕の出番だな。外壁の一番高いところに立つと、兵士たちに向き直る。
帝国軍に対して無防備に背中を晒すことになるけど、この距離ならまだ撃って来ないだろう。
「一般市民が避難したから、もう守るものは何もないよ。マーシャル陛下には戦争を始めた責任を取って貰う必要があるけど、一兵士である君たちには関係ない話だ。今直ぐ白旗を上げて降伏しよう」
突然何を言い出すのかと、兵士たちが唖然としている。
「ベルナルド中佐……どういうつもりですか? 冗談でも言って良いことと……」
「冗談じゃなくて、君たちが無駄死にする必要はないってことだよ。もし陛下や近衛隊の貴族に糾弾されたら、僕に命令されたって言えば良い。これから僕が帝国軍と停戦交渉をして来るよ」
用意していた白旗を手にして、外壁から飛び降りる。別に自殺するつもりじゃない。
魔法の才能がない僕も、王立学院時代に出会った師匠のおかげで、身体強化だけは使えるようになった。魔力を身体に纏うことで、この高さから落ちても少し痛いだけだ。
「ベルナルド中佐……アレックス様!」
叫び声に振り向くと、セシルが泣いている。これから僕が何をするつもりか、気づいているみたいだな。
家族も友だちも戦争で死んで、セシルだけが僕に唯一残された親しい存在。だから彼女だけは絶対に死なせない。
兵士たちが防壁の上で白旗を上げる。あとは僕が交渉を纏めるだけだ。
身体強化で加速すると、帝国軍の布陣を目指して大地を駆ける。
馬が引くのではなく、魔力で自走する鉄の馬車に載せられた魔導砲。一つ一つの威力は上級魔法並みだけど、それが一〇〇台以上もあれば、戦略魔法すら凌駕する。
帝国兵は魔銃を構えたまま、僕を撃つことはなかった。白旗を掲げる僕の前に、一人だけ白銀の鎧を纏う指揮官が進み出る。
豪奢な金髪の二〇代前半のイケメン。王国に侵攻した帝国軍の総司令であるラグナロク・リヒテンベルガー大将だ。
帝国の大貴族リヒテンベルガー公爵家の嫡男であり、一〇代の頃から戦場で数々の功績を上げて、実力で大将にまで上り詰めた。
実際に会うのは初めてだけど、戦場で何度も戦っているから、ラグナロクの性格は解っているつもりだ。
「リヒテンベルガー閣下、僕はクロムハート王国王都防衛隊の指揮官、アレックス・ベルナルド中佐です。僕たちはユーキリス帝国に対して全面降伏します。だから兵士たちの命だけは取らないでください」
「ほう……貴公が勇猛で知られる『黒き狼』か。帝国軍を散々苦戦させたその手腕、直接相まみえることを楽しみにしていたが、まさか戦わずして白旗を上げるとは……これも貴公の策略のうちか?」
『黒き狼』とは、僕の髪の色からつけられた渾名だ。帝国軍は過大評価しているみたいだけど、僕がやったことなんて、侵攻をほんの少し遅らせただけだ。
「いいえ、他意はありません。帝国軍との戦力の差を考えれば、戦おうと考えるほど馬鹿じゃありませんよ」
「マーシャル国王が戦わずして降伏するとは思えんが……王国軍ではなく、貴公が率いる王都防衛隊だけが降伏するということか?」
さすがは切れ者で知られるラグナロクだ。話が早くて助かるよ。
「はい、僕には王国軍全体の指揮権はありません。王宮に立て籠るマーシャル陛下は、最後まで戦うつもりのようですね」
「つまり貴公は王国を裏切り、命乞いに来たのか?」
ラグナロクの表情が厳しくなる。生粋の軍人である彼は、国を捨てて自分だけが生き残ろうとする僕が許せないんだろう。
「王国を裏切ったのは事実ですから、死ぬ覚悟はできています。僕一人の首では割に合わないかも知れませんが、どうか兵士たちは殺さないでください」
僕は片膝をついて頭を下げる。戦争を始めたのはクロムハート王国の方だ。無傷のまま降伏を受け入れろだなんて都合が良過ぎる。
誰かが責任を取る必要があるなら、それは指揮官の僕だろう。
「敵に頭を下げるとは、貴公には軍人としての誇りが無いのか?」
冷たい声が響く。僕は顔を上げて、ラグナロクの目を真っすぐに見る。
「僕の誇りは……自分が守りたいモノを見失わないことです。軍人としてのプライドなんて、どうでも良い!」
一瞬の沈黙の後、ラグナロクが不敵に笑う。
「なるほど……これが貴公の最後の策か。自らの死を以て、我々に降伏を受け入れさせると同時に、王国に対して裏切りの責任を取る。指揮官である貴公が死ねば、たとえマーシャル国王や貴族が生き残っても、命令に従っただけの兵士たちが罪を問われることはないか」
僕は無言で応える。ラグナロクは剣を抜くと、切っ先を僕に向ける。
「貴公の策に乗せられてやろう。だが只ではない。私と戦って『黒い狼』と呼ばれる実力を見せてみろ。
貴公の首にそれだけの価値があると判断したら、降伏を受け入れよう。だが生半可な戦いをするなら、王国軍を一人残らず殲滅する」
ラグナロクが帝国兵たちに向き直る。
「これから私は『黒き狼』と一騎打ちする。魔導兵器は使わず、武器は剣一本だ。
万が一にも、私が敗れるようなことがあれば、直ちに全軍撤退しろ。これは遠征軍総司令としての命令だ」
こいつ、何を考えているんだって発言だけど。
「閣下が負けるなどあり得ませんが、承知しました!」
「我が名に懸けて、ご命令に従うと誓います!」
帝国兵たちは当然のように受け入れる。これがラグナロクのカリスマか。帝国軍が快進撃を続けた理由は、強力な魔導兵器を持っているからだけじゃない。
僕には絶対に真似できないことだから、羨ましく思うよ――
このとき、愚かな僕は何も理解していなかった。




