後編
「ねえ、やっぱりマズかったんじゃないの?」
「うるせえな! しょうがねえーだろ……!」
男と女が言い争う声が車中で響く。
それは、あの子供の親たちだった。
そろそろ戻ってくる頃だろうと思って待てども子供は戻ってこないし、腹が立って大声で呼んでみても何の反応もない。
それどころか家の中でなにかが動く音もしないし気配もない。
彼らはこの家でかつてどのような惨状が起こっているか知っていたし、また、興味本位で足を踏み入れた人間たちがその後、行方不明になったり原因不明の死亡をしたりなどという話も知っている。
だからこそ、使い道のない無駄飯喰らいの子供を使って映像を撮り、動画サイトでそれを流して視聴回数を稼ごうと考えたのだ。
足を踏み入れなければいいだろう、そう思ってのことだ。
戻ってこない子供のことは腹も立つが、ハンディカムは惜しい。呪いなど信じてはいないが、面倒ごとは困る。
そういう理由で男が「帰る」と言い出して車は何事もなかったかのようにこの場を去ったのである。
「でもさ、近所がなんてまた言い出すか……」
「家出しちまったとでも言っておけ。どうせなら警察にも相談すっか? そうすりゃ俺らは子供を心配していた親に早変わりだしよ、万が一あの家でハンディカムが見つかったんなら子供が悪戯であそこまで行って行方不明になっちまったってことでいいだろ」
車で行かなければ無理な距離だと女はその言葉に呆れたが、訂正する気はなかった。
元々、子供が生まれた後に安穏な生活に飽きて始めた不倫がきっかけでこの男と知り合ったのだ。そこから人生が狂ったし、今では愛情などない。
そもそも、この男との関係は遊びのつもりだったのだ。
だが女の思惑はあっさりと当時の夫にバレてしまい、一人で生きるのはイヤだったので遊び相手であったこの男と籍を入れた。
ちょっと泣いて子供と離れたくないと訴えれば、周囲は母親と子供を引き離すのは可哀想だと同情してくれたおかげで養育費が手に入った。
それでも、女は自分が望む生活ができていない。
男は見た目こそそれなりに整っているが、日雇い暮らしのギャンブル好きで自由になる金などなかった。
働きたくない女は、家事をするのもいやだった。勿論、子育てだって本音を言えばいやだったのだ。
そういう意味では前の夫は細かくて面倒であったが、家事と育児を最低限こなしていれば金も自由に使わせてくれたなと懐かしく思うくらいだ。
(なんでアタシがこんな目に)
美人に生まれついて周囲はちやほやしてくれて、人生なんてイージーモードだと思っていたのに。
ちょっとの浮気くらい遊びの範囲だって許すのが男の甲斐性だろうにと心の中で今でもぼやく。
隣に座る男に未練はないが、次の金づるが見つからない。
全てはお金がないせいだと女はため息をそっと吐いた。
この場にいない子供のことを案ずる気持ちは、欠片だけ残っている。
流石にあのボロ屋で死ぬのは哀れだなと思わなくもないが、まあ、そんなものなのだろう。
「あーあ、ハンディカム分、損しちまったぜ」
駐車場に着いて乱暴に車のドアを閉める男が、女を待たずに先にアパートの階段を上っていく。
(昔はもうちょっと良い男に見えたんだけど)
呆れたもんだと女もそれに続こうとして、足元の何かを蹴っ飛ばしてなんだろうかと思わず視線を向けた。
住宅街なのでところどころに存在する街灯の明かりが照らしたそれに、思わず女が引き連れたような声を上げれば先を行っていた男が戻ってきた。
「どうした?」
「ハ、ハンディ、カムが」
「あ?」
男も女も、ハンディカムは子供に渡したっきり触れていない。
子供は、あの呪われた家から戻ってきていないから、勿論ハンディカムだってそうだ。
それなのに、車から降りて歩き出して始めてハンディカムがあるなど、不自然極まりなかった。
「おっラッキーじゃねえか! 近所の誰かが落としたのかもしれねえな?」
「そ、……そう、かしら……」
男の楽天的な声に、女はそんなことがあるだろうかと眉を顰めた。
楽しげに笑いながら拾い上げる男の手の中にあるハンディカムは、先ほどまで子供が持っていたものとよく似ている。
少しだけ違うとすれば、そこにごくごく小さなぬいぐるみのようなものがぶら下がっていることだろうか。
「持ち主のかしら」
「そうじゃねえの。ぶっさいくなネズミだなあ」
どうやらそれはハムスターを模したもののようだった。
男の小指半分にも満たない大きさのそれは、随分薄汚れている。
乱暴に紐で出来たストラップをちぎった男が、そのぬいぐるみを叩きつけるようにして投げ捨てた。
『ギィッ』
叩きつけられた瞬間、それが声を上げた気がする。
思わず女が男に縋るようにして見上げたが、その声は女にしか聞こえなかったようだ。
上機嫌の男が、肩を抱くようにしてアパートの階段を上る。
「とりあえずこれの中身見てみようぜ、使えそうならそのまま使っちまえばいいし、だめそうなら売っちまえばいい」
「……そうね」
室内に戻り、明かりを付けて座り込む。
男は上機嫌のまま、ハンディカムをテレビと接続していた。
それを横目に見ながら、女はキッチンへと向かい、ビールでも飲もうと冷蔵庫を上げて再び悲鳴を上げる。
「うるせえぞッ、隣ンちのジジイにまた文句言われるだろォが……!」
男が居間から控えめに怒鳴る声が聞こえても、女の返事はなかった。
代わりに、ごとん、と物が落ちる音がして男は眉をしかめる。
このところなにもかもが上手くいかなくてつい夫婦で怒鳴り合ったり物を投げつけてしまった結果、近隣の住民から苦情が来たばかりである。
男からして見れば、管理会社からも今後も同じような苦情が来るようであれば退去するよう言われていることもあって騒音を立てられては困るのだ。
(ったく、あんなガサツな女を引き取らなきゃいけねえなんて貧乏くじを引いちまったぜ!)
不倫の代償として慰謝料を払うか、女と再婚するかを相手の男に言われて金を払わなくていいならばと喜んで女と再婚した。
ところが見た目もそれなりだったし、家事もやっていると聞いていたのが蓋を開けてみればまともに出来ることの方が少ないではないか。
托卵していた子供が男の種であると相手の男はそこまで知っていたので、子供は引き取らざるを得なかった。
とはいえ、戸籍上の父親と言うことで養育費という義務は果たしてくれているのだから、文句を言うつもりはない。
今のところ、あの子供は便利な家政婦だったし、金づるでもあった。
少なくとも妻と名乗る女よりは便利だと男は思っていた。
(ガキが本格的にいなくなったんなら、もうあの女といる意味もねえだろ)
そう思いながら女の様子を見に行くとそこには確かに女がいた。
ただし、あの呪いの家でかつて見つかったという、手足をもがれた状態のそれでだ。
女の口には、なにかが蠢いているのが男の目にも見えた。
見たくないと思いながら、視線はそこに釘付けだった
ゆらゆらと揺れるそれは、見覚えがあった。
先ほど男が外で捨てた、ストラップによく似ていた。
それがどろりと濁った目をした音の口から、ひょこりと顔を覗かせて『ギィ』と嗤ったのだ。
「ひ」
男の喉からも声にならぬ声が出た。
どすんと尻餅をついて後ずさると、背中になにかがあたる。
居間にあるテーブルだと気がついて振り返ると、彼の人が座っているのが目に入る。
「あ。あ……」
目のない子供と、自分の娘が、まるで白黒の映画のような色合いでそこにいる。
二人が、ニタリと笑うのが男には見えた。
そして、その二人の背後にまた別の影が、見えた。
後日、不可解な死と題された週刊誌が発売された。
とあるアパートで、夫婦が惨殺された。その子供は行方不明であるという。
妻は四肢をもがれ、ネズミらしきものを口に突っ込まれて窒息していたという。
そして夫は己の手を口に突っ込むようにして、どこかを見つめたまま亡くなっていたのを近隣の住人が発見した。
日常から態度が悪く、度々近隣住民とトラブルを起こしていた夫妻を恨む人間の犯行という可能性を踏まえて警察が捜査を始めたが、情報はなにもない。
雑誌記者は最後にこう締めくくった。
『彼らはなにかのビデオを確認しようとしていたのか、テレビにハンディカムを繋いだ状態のままであったがデータは何もなかったという。ただ、警察が発表していない内容であるがそのビデオにはただ一言、『許して』という男の悲鳴のようなものが僅かに入っていたらしいのだが、それが何を示すのかは今もわかっていない』