Act.38『聖女の闇』
アリエルがヘカテーによって本部の外へ連れ出された頃。
朝から執務室で一人、政務に励んでいたレイアは、ヘカテーが本部を離れたことを感知して書類から目を離した。
背後にある窓の外へ視線を向けて、遥か遠方に転移した彼女達の様子をついつい気にしてしまう。
「外へ何をしに行ったのでしょう……?」
レイアはいきなり本部の外に連れ出されてしまったアリエルの身を案じるものの、彼女の傍には常に付いているようにとヘカテーには頼んであるため、大した心配はしていなかった。
とは言え外出という突飛な提案をしたのは間違いなくヘカテーの方だろう。そう思うと、別の面で一抹の不安を感じなくもないが……
「?」
するとそんな彼女の耳に、おもむろに扉をノックする音が届いた。
気付いてデスクに向き直ったレイアは、「どうぞ」と来訪者に入室を促す。
許可を得て部屋に足を踏み入れ、悠然とした歩みで“長”の前に現れたのは、昨日クラウンヴァリーへ帝王との会談に出向いていた“副長”エド・グランドである。
そんな彼の帰還を、レイアは笑顔で迎えた。
「お帰りなさいませ、エド様。ご公務お疲れ様でした」
「ああ、ただいま。──どうだ、あいつとの久々の逢瀬は楽しめたか?」
「ぅ……」
開口一番、エドは微笑みながらレイアへ昨日の感想を問い掛けた。
まるでそれを訊ねることを楽しみにして帰って来たかのような彼の様子に、レイアは気恥ずかしさで頬を赤らめながらも“長”の態度を貫く。
「ええ、とても良い気分転換になりました。貴重な機会を作っていただき、どうもありがとうございました、“副長”」
「ふん、お前は相変わらず隠し事が下手だな。その顔の緩み様からして、相当楽しんだのだろうよ。やはりお前も女だな、レイア」
「……冗談はここまでにしておきましょう」
このまま話を続けていれば様々なボロが出てしまいかねないので、レイアはさっさと話題を変えることにした。
「“副長”、グラン帝との会談について報告をお願いします」
「ああ、そうだな」
エドは笑みを消して“副長”の顔に戻ると、眼前のソファへ腰を下ろして手にしていた封書をレイアに向けて放り投げる。
魔術によって操作された封書は放物線を描くことなくゆっくりとレイアの元まで飛行し、彼女はそれを受け取って封を切る。
そして中に収められた書状を確認すると、そこにはクラウンヴァリー帝国の王グラン・ブック・クラウンヴァリーの直筆による長文が書き込まれていた。
「クラウンヴァリーにお前の懸念を伝えたところ、あちらも同様に昨今の情勢に不穏な気配を感じ取っていた。クラウンヴァリーの領内でも、既に何人も魂を抜かれた被害者がいるらしい」
「セレスティアル、ステラルム、アレーテイアでの被害に続いて、ついにクラウンヴァリーでも……ですか」
昨今、魔界で噂となって広まりつつある事件──魔術師から魂を抜き出し、高純度の魔力を集めている仮称“魂の蒐集家達”による被害は、とうとう全国に広がってしまったようだ。
数年前からこの事件の発生を予見していたレイアだったが、それを阻むことが出来ていない現状に彼女は忸怩たる思いを抱いていた。
「グラン帝は事件についてどう考えておられるので?」
「帝王も連中については目障りに思っているようだ。たとえ被害者が全員、指名手配中の犯罪者ばかりだろうと、臣民に不安を与える賊の存在を野放しにしておくわけにはいかないとな。あとはそこに書かれてある通りだが……さて、どうする?」
グラン帝からの書状を一読したレイアは、そこに書かれてある内容を簡潔にまとめ上げる。
書状にはクラウンヴァリーが“魂の蒐集家達”に対して特別に対策班を多数動員して討伐を行う旨と、そのために総魔導連合も対策チームを編成し連携してもらいたいという協力の要請が記されていた。
「それに関しては私も異論はありません。こちらでも既に、“真実の徒”とルクス君達に動いてもらっていますからね。特務で対策チームを募るとなると、ユウヒ様のご意見も伺わなければなりませんが、グラン帝の意思には沿える結果になるでしょう」
「対策チームか……例の少女はどうする。お前の予見では、彼女が今回の事件における銀の弾丸になるのだろう? 昨日こちらに来たばかりの新人だが、早速参加させる気か?」
「……いいえ、彼女にはまだ事件に関わらせるつもりはありません。ですが彼女はいずれ、否応なく事件の渦中に関わることになる筈……私はその時を待ちます」
「ふむ。随分と慎重だな」
「……今回の事件は、私の未来視があまり役に立ちませんからね。なので彼女の扱いについては、どうしても慎重にならざるを得ません」
自身、あるいは誰かに関わる未来を垣間見ることの出来る異能、未来視。好き未来が視えればそこへ到るための道標の力となり、悪しき未来が視えればそれを回避するための抵抗の力となる。
レイアはこれまでその力を使って、自身が見守る魔界を揺るがすような大事件を最小限に抑止出来るよう導いて来た。
だが今回の事件は、魔界全土を脅かすほどの危機になり得ることが解っていても、その未来は断片的にしか読み取れずにいた。今回、総魔導連合が先手を打てずに後手に回り続け、未だに犯人達を追い切れていないのはそんな事情が関係しているのだった。
「お前の未来視が通用しない原因は分かっているのか?」
「……はい、イデア様から教えていただきました。未来をも自在に創り出せるが故に、未来を不確かにしてしまう存在──“創造”の権能が敵方に関わっているからだろう、と」
「なに……?」
レイアの言葉に、エドは耳を疑うように彼女を見据える。しかしレイアの様子から察するに、それはどうやら事実であるようだ。
「本当に“創造”が……? そんなモノが敵にいるとなると、キョウやアウルが不在の今の魔連では、セン・ルクス・ウォーノルンしか対抗出来る存在がいないぞ。あるいはステラルムの姉妹の力を借りるしかないが……どうするつもりだ?」
「今は……事件をまともに対処していく他ありませんね。相手が何を企んでいるのかまだ解らない以上、そうするしかないと思います」
「……あの二人がこちらにいてくれれば話は早いのだがな。キョウはともあれ、アウルの奴め……娘が困っている時くらい、父親として力を貸してやれば良いものを。あいつは今、一体どこにいるのやら──」
「──エド様。彼は私の父親などではありませんよ」
エドの言葉を遮るように、聖女の口から冷ややかな声がこぼれ落ちた。
それは一切の感情がない、ただただ冷たい声色だった。そんな声がレイアの口から放たれたとは思えず、エドは口を噤んでしまう。
「私を愛し、育ててくれたのはお母様とイデア様だけです。彼とは血縁関係であっても、親子では断じてありません。……顔も知らないような人を父と呼べるほど、私は善人ではないですよ」
「……ああ、悪かったな。どうやら会談で疲れたらしい、つい妙なことを口走ってしまった。すまない、少し休ませてくれるか」
「……ええ、本当にお疲れ様でした。あとは私がすべて引き継ぎますので、ゆっくりとお休みください。エド様」
彼女の言葉に頷いたエドは、青い魔力を身に纏うと、瞬く間に霧となって執務室から姿を消した。
レイアはそれを見届けると、恩人に八つ当たりしてしまった自分の未熟さを愧じて、大きく溜め息を吐き出す。
──あの人への感情はもうすべて切り捨てたと思っていたのに。
父祖アウル・アインに向けるべき感情は何もないと、遥か昔に彼への感情を捨て去った筈のレイア。だが彼女の心の底には、未だに彼への憎悪にも似た黒い感情が澱のように積もっていたらしい。
そんなものすら彼に向ける必要はないというのに、そういった感情は簡単には捨て切れないようだ。
「……ごめんなさい、お母様。私は……嫌な女です」
そう、彼は父親と呼ぶには値しない。レイアが生まれた時には自分と母の元から姿を消していた男のことを、父親だと思えるわけがない。
レイアにとっての親とは、あの優しかった母一人だけなのだから──




