プロローグ
ビーッ!ビビーッ!
パパッー!!
早朝から辺りには車のクラクションが鳴り響いている。
その中には怒号なんかも混じっており、「危ねーだろ!」や「ちんたらせずにはよ進めやコラ!」など色んな人間の声がクラクションの中に混じって聞こえてきた。
「うるさいな…朝から…」
その他、ビルに付けられているモニターには映像が流れており、これも音量は爆音。
お土産ショップ等のお店の前にもスピーカーが置いてあり、爆音で音楽を流していた。
…早朝から騒音が多すぎて耳栓が欲しくなるくらいだ。
通勤のため仕方なくこの道を利用しているのだが…正直毎朝うんざりしている。
それからようやく騒音エリアを抜けると、今度はヤクザのヤサである事務所前の道を通るのだが…ここも毎回違う意味でうんざりしている。
だってそうだろう?物騒なんだから。
違う道を通るという選択肢も考えたりはしたが…近所に俺の通う会社があるため、結局はここを避けて通る事は出来なかったのだ。
近所に暴力団が存在しているとは本当に物騒だな…。
ヤクザなんてろくな奴がいない。
もし何かあった時には最低限身を守れるよう、ここのヤクザの情報は常に耳に入れているのだが…そういえば最近は抗争中と聞いていたな。
死人も出ているとの事らしい。
まぁどこと争おうが俺たち民間人を巻き込まないのなら勝手にやってくれって感じだが…。
実際にカタギが数人巻き込まれているから笑えない。
そんな事を考えながら俺は事務所前をササッと通り過ぎ、そしてまた少し歩いてようやく会社前へと着いた。
そこで一度深呼吸をしようと大きく息を吸い、そして吐いてから呼吸を整えると小さい声で「よしっ」と言い、俺は会社内へと入った。
職場へ入るといつも通り、まずは周りの人間に挨拶を済ませてから、自分の持ち場である机の椅子に腰をかけた。
そしてまずデスクの上を確認する…と、なぜか昨日まで何も乗っていなかったデスクの上には、書類が山積みになっている。
…コイツら、また俺に仕事を押し付けて嫌がらせを…。
三日間、会社に寝泊まりしてようやく昨日終わらせてデスクの上を綺麗にしたってのに…。
脳内でそう文句を垂れつつも、与えられたのならやらねばならない。
そう考えた俺はすぐに仕事に取り掛かることにした。
それから15分くらい経っただろうか…突然、誰かが後ろから俺に声をかけてきた。
「おーい、コレ明日までにやっとけよ?それとあとこれ、全部修正しとけな?」
声をかけてきたのはこの職場の部長、いわゆる上司だ。
立場的に下っ端の俺が無視するわけにもいかないので、すぐ振り返り顔を合わせる事にした。
そして振り返った直後、俺はやはり無視しとけば良かったと心底後悔する事になる。
なぜか?
彼はとんでもない量の書類を両手で抱えており、その全てを俺の作業場である机の上に、乱暴にドサッと乗せた。
その乗せられた勢いに紙が数枚、机から吹き飛んでいく。
この書類、俺が徹夜で仕上げたやつか…?
修正するとこなどないはず…どうして…?
というかこの量、普通は会社のみんなで手分けしてやるものなんじゃないのか…?
無茶な仕事量の押し付けに動揺し、俺は目を見開いたまま、まともに声を出せないでいた。
するとそれは彼の機嫌を害したのか、いきなり部長は怒鳴り、オフィス内に声が響き渡った。
「何黙ってんだよ!?オイ!返事しろやァ!」
「は、はい!…わかり…ました、やります」
ちなみに後から知ったことだが、今朝なぜか俺の机の上にできていたこの書類の山…それを作った犯人はこの部長だったとのことらしい。
俺が出社する30分前くらいに他の仕事仲間のデスクから作成予定の書類を集め、そして全て俺のデスクに置いたのである。
さらにはこの時期、運悪く繁忙期なのも相まって机の上がかなり悲惨なことになっているのだ。
そしてそんな状況を見ている周りの仕事仲間も見て見ぬふりをしている。
…まぁ変に首を突っ込むと次は自分がターゲットにされてしまうんだろうから、何か思うことがあっても絶対口に出したりはしないんだろう。
そうして無茶な仕事を俺に押し付けた後、その上司は乱暴に扉を開けて部屋から出て行った。
…今日もまた、帰れそうにない…か。
自分の時間、プライベートなんてものはもはや存在しない。
実はこういった無茶振り、一度や二度なんかの話ではなく過去に何度もやられている。
その度に俺は会社で寝泊まりをし、寝る間を惜しんで働いているのだ。
あぁ…ちなみに余談だが、ここの会社は残業代が出たことなど一度もない。
———
あれから日付が変わって午前3時。
真っ暗なオフィスの中、俺は1人パソコンに向き合って仕事をしていた。
連日の疲れもあってか目の下にはかなり酷いクマができている。
眠気も酷く、集中力を無理やり保つためコーヒーとエナジードリンクをダブルで飲みながら仕事に勤しんでいた。
…なんでこんなことになってるんだっけか。
昔からマトモな人生を歩めず大人になってからはこんな会社で社畜。
一体俺は…どこで道を間違えた?
17時からロクな休憩も取らずに今の今までぶっ通し。
コーヒーとエナドリでは流石に眠気を紛らわすことはもう出来なくなってきたので、俺は一旦手と思考を止めて1時間ほど仮眠を取り休むことにした。
———
「え?父さんが病院に…?」
それはいきなり告げられた。
その日、学校から帰ってきた俺に母から受けた第一声、それは「あの人が倒れた、早く病院に行くから準備しろ!」だった。
この時12歳だった俺は、父の身に何が起きているのか理解できてはいなかったが、母親の様子が明らかに変だったのでただ事ではないのだなと感じた記憶がある。
その後は支度をする暇など一切なく、大急ぎで俺と母の2人は病院へと向かうべく家を飛び出した。
母の運転する車で15分ほど走り、件の病院に着くと同時に母はダッシュ。
そのまま看護婦の元へ突進するかの勢いで走り迫り、服を掴みかかると声を荒げながら要件を伝えた。
その様子を只事ではないと見た周りの警備員達が母の元まで行くと看護婦から無理やり引き剥がし、そして母を取り押さえて落ち着かせようと必死に宥める。
そうした状況が2〜3分ほど続き、院内がちょっとした修羅場となっていた時…奥から白衣を着た年配の医者が出てきた。
先程の看護婦が電話で先生を呼んだのだろう、この状況を理解している風だった。
そして一言。
「…着いてきてください」
そう言われ、言われるがまま医者に着いていく2人。
母は焦っているのか、額から汗をダラダラと流しながらたまに医者よりも早く歩いたりしている。
そのせいで何回か医者を抜かしてしまっては、再度後ろへ戻るといった行動を何度もやっていた。
そして少し歩いていると、たどり着いた部屋は明らかに病室とは違う部屋で、その時点で母の顔は真っ青になっていた。
医者は無言のまま扉に手をやるとゆっくりと開けていき、部屋の中の様子が少しずつ見えた。
そうして扉が完全に開かれると、部屋の奥で横になっている人間が1人…そこに居た。
「う、嘘でしょ…あなた…」
そこには父だったものが寝転がっていた。
見たところ、とにかく外傷が激しい。
左腕、左足が共に無くなっており、顔にも大きな傷…それはもはや見るに耐えない姿になっていた。
そこでようやく俺も事の事態を理解した。
この人が父で…そして父は死んでいるんだと。
すでに母は横で泣きじゃくっており、俺は肉親が死んだことによるショックで放心状態。
そんな俺たち2人に、医者は顔を曇らせながら何故こうなったのか経緯を話し始めた。
もはや何を言ってるか分からなかったが、仕事で事故による…と言っていたので事故死なのだろう。
———
それから2ヶ月の月日が流れた。
あの後のことはよく覚えていないが、父の葬式をして墓を作り、そして葬った。
しんどい気持ちのままでもやらねばならない事を母と済ませ、ようやく一段落ついた時だった。
「…え、は…?母さん…何してる…の…?」
学校から帰り、家の扉を開けるとそこには首を吊って力無く浮いている母の姿があった。
ショック過ぎて夢と現実の区別がつかずに数分の間、母だったソレを見ていた。
全く揺れていないのを見るにもう吊ってからだいぶ時間が経っているのだろう。
「あ…ぁ…ッ!…母さん…母さあぁぁん!」
数分後、ショックで固まっていた俺はようやく我に帰り、大声を出しながら母を吊るしている縄を急いで解いた。
縄を解くと浮いていた母はドサッと床に落ちる。
が、そのままピクリとも動かなかった。
首には縄が食い込んでいて跡が酷く、舌と眼球は飛び出し、顔も唇もすでに青紫色に変色していた。
幼い俺でもすぐにわかる。
これは…もう助からない。
「なんで…なんでだよ…母さん…クソ…!」
元々この人は俺でなく父に、かなり底根だった。
何をするにも父を優先していたのだ。
母に外で遊びに行きたいと言えば断られるが、父が行こうといえば行く。
…そういえば過去にはお前を産んだのは間違いだったなどと言われたこともあった。
それでも…それでも親だったこの人の事を俺は好きだった。
しかし父が死んでからはかなり不安な状態になっていた。
それも毎日酒と睡眠薬に溺れ、日に日に痩せ細っていき、俺とは会話せず目も一切合わせようとしない。
まるで俺なんて見えてなかった様子だった。
それだけ父のことを想っていたのだろう…俺を置いて後を追ったのだから。
…
———
それから母親の死後、2年が経ち俺は親戚の家に住まわせてもらっていた。
だが一言で表すならここは最悪だ。
俺はここの家族からは忌み嫌われており、飯を食う時や寝るときなんかは外の物置きに押し込められ、その他風邪やインフルエンザなどの病気にかかったときなんかは1ヶ月ほど物置きに放置されたりもした。
当然お風呂にも入れさせて貰えないため、俺は近くの用水路で体を流したりもしていた。
ちなみになぜ俺がこんなに嫌われていたのかは俺の母が昔いろいろとやらかしていたからだとか…ワケは聞かせて貰えなかったが。
そうして地獄みたいな時間を過ごし、最後は結局親戚の家を追い出され児童養護施設へぶち込まれることとなる。
施設では職員やいろんな児童が俺を気にかけ、声をたくさんかけてくれていたのだが…ここまで劣悪な環境を生きてきた俺はもはや人とコミュニケーションを取ることすら出来なくなっており、どんなに声をかけても無言だったのである。
まぁ、社会人になってからは多少マシにはなったが。
…そんな俺を施設の人間らは気に食わなかったのだろう、児童からは私物を隠されたりなどの虐めにあい、職員からは暴力を受けることも多々あった。
殴られる痛みに泣き、私物を隠されたことに対する怒り、笑うことすらできない自分の状況に声をあげて嗤う施設の人間らに対する恐れ。
———
「児相上がりで対人恐怖症を持つ人間が面接でうまく行くはずもないよな…それで最後は面接無しで謎に受かったブラック企業に就職し、無事社畜か…」
いつのまにかぐっすり寝ていてどうやら夢を見ていたみたいだった。
全部実話なのだが。
俺はパソコンの横に置かれている冷えた缶コーヒーをグイッと一気飲みすると、立ち上がってスマホで時間確認しながら窓付近まで移動した。
時間は4時20分、1時間近くは寝ていたらしい。
時間を確認した後、スマホをポケットにしまうと窓の鍵を解錠し、開けた。
ここは6階、窓を開ければそれなりにいい風が入ってくる。
俺は無言のまま窓から顔を出し、下を見た。
この高さ、落ちれば確実に死ねるだろう。
飛び降りたら今より少しは楽になれるだろうか?
正直、俺はもう疲れたのだ。
ここで一生安月給でしんどい思いをするくらいなら…いっそ楽になってしまいたい。
その場で5分ほど今までの事やこれからの事を考えると、案外スッと死を受け入れられるもので、俺は迷いなく体の半分以上を窓から出していた。
生まれ変わりなど無くていい。……だがまぁ、もし次があれば今より少しだけ…マシな人生を歩んでみたいものだな。