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「だってあたし達、親友だよね?」
教室には夕日が射し込んでいる。沈む夕日に照らされている自分の机の上には黒の油性マジックで書かれた落書きと、白い菊の花が活けられたガラス製の花瓶があった。すべて顔のない鬼達の仕業だ。
少女はごしごしと目元をこすって無理やり笑顔を作り、自分の目の前に立つ親友に問う。しかし親友の顔は強張っていた。
「――らない」
「……え?」
親友の口から吐き出された言葉が受け入れられず、少女は目を瞬かせた。そんな彼女の様子を見た親友は不愉快そうに眉をひそめる。
「あんたの事なんか知らない。もう私に関わらないで」
親友は――――いや、親友だと思っていたのっぺらぼうは再び同じ事を口にした。もう彼女の顔が認識できない。心のよりどころだった親友は、自分をしいたげる顔のない鬼の仲間と化していた。
がらがらと足元が崩れていく。信じていた親友に裏切られたなんて信じない、これは何かの悪い冗談なんだと心が叫ぶが、伸ばした手は彼女に届かなかった。
鬼は少女から背を向け、あっという間に教室を去る。少女の手は虚しく空を切った。
突きつけられた非情な現実は、刃となって少女の華奢な身体を切りつける。少女は呆然とその場に立ち尽していた。もう鬼の姿はどこにもないが、鬼が廊下に出た途端に別の鬼達が楽しげに彼女を取り囲んでいたのは見えた。
自分の親友なら、鬼達と楽しげに喋りながら下校なんてしない。やはりもう、親友だった彼女はどこにもいないのだ。いるのは鬼の仲間になった彼女だけ。彼女はもう、自分の信じていた彼女ではない。
「……寒いよ」
どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。少女はぎゅっと両腕で身体を抱きしめる。セーラー服にしわが寄るのも構わずに強く両腕を握り、少女は唇を噛んで嗚咽を漏らした。
どれだけの間そうしていただろうか。陽はとうに落ちていて、月と星のか細い光が教室を照らしていた。
やがて少女は落書きを消すために用意した雑巾を床に投げ捨てる。涙をためた瞳が捉えたのは、自分を嘲笑うかのように置かれた花瓶だった。
少女は震えながら花瓶を持ち上げた。床に落とすとがしゃんと耳障りな音が響く。
その瞬間、携帯電話が鳴った。少女は虚ろな瞳で携帯電話を開く。表示されている番号は家の固定電話だ。帰りの遅い自分を心配して電話してきたのだろう。
口元を哀しげに歪め、少女は通話ボタンに触れる。今どこにいるんだ、何時だかわかってるのか、という旨の弟の怒声が聞こえてきた。
「……ごめんね」
いいからどこにいるか言え、今から俺が迎えに行くからと弟が騒ぐ。弟はまだ小学生だ。もう夜なのに外を出歩かせるわけにはいかない。案の定、電話の向こうから父の声が聞こえる。父と一緒に車で迎えに来てくれるのだろうか。
こんな自分にも心配してくれる人がいるのだと思うと、胸の痛みが少し和らぐ――――だが、もう限界だ。
「あたし、もう疲れちゃった」
少女は携帯電話を耳から話す。弟が何かを言うが、それを無視して通話を切った。
乾いた笑みを張りつけながら、少女は床に散らばった花瓶の破片を手に取った。透明なガラスには、自分の顔が歪んで写っている。
涙がつぅっと頬を伝った。しかしそれを拭おうともせず、少女は破片を喉元に近づける。指先は震えていたが、その動作に迷いはなかった。
これで死ねるかな。これぐらいじゃ死ねないかな。死ねなかったら破片をいくつも飲み込もう。死ぬまで首筋を、手首を切ろう。
――――闇に包まれた教室。その片隅に、ひっそりと赤い花が咲き乱れた。
* * *
英千尋はスナック菓子をつまみながらぼんやりとテレビを見ていた。かろうじて女性らしさのあるワンルームを賑やかしているのは、彼女が上京する前から放送していた人気のバラエティ番組だ。千尋自身はこの番組にさほど興味はないのだが、観ておかなければ話題に乗れない、といった実に小市民的な理由から毎週欠かさずこの番組を観ている。高校を卒業し、知り合いの一人もいない都会へ出てきた今でもその習慣は直らなかった。
お笑い芸人から今をときめくアイドルまで、ひな壇の上にはずらっとゲストが並んでいる。その中で最も輝きを放っている美しい女がいた。
『それでぇ……あれ? 何を言いたかったか忘れちゃった、あははっ!』
『何やねんお前は!』
年齢には不釣り合いな、舌足らずで間延びした口調。口から飛び出す言葉はすべてとんちんかん。空気を読まず、常にマイペース。画面の向こうでへらへらと緊張感のない笑みを浮かべる金髪の女は、いわゆるおバカ系タレントというらしい。
司会者であるお笑い芸人につっこまれてスタジオが沸く。彼女を中心に、世界がぱっと華やいだような気がした。きっと彼女は、自分のような凡庸な人間とは住む世界が違うのだ。同じ二十歳でもこうも違うという事をむざむざと見せつけられ、千尋は決して届かない世界への羨望を込めて彼女を見つめた。
彼女の名前はリリー。フランス人形のように整った容姿と抜群のスタイルをもった彼女はモデルとして活動しているが、今日のようにバラエティに出演したりさまざまなCMに起用されていたりと、その活躍の場は多岐にわたっている。テレビをつけていたなら、必ず一日に一回はリリーの顔を見るぐらいだ。その登場頻度の高さは、芸能人に大した興味を持たない千尋でさえも顔と名前を覚えるほどだった。
なんでも彼女は日本人とフランス人のハーフらしい。リリーというのは芸名だろうが、案外本名に近いのかもしれない。だからどうという事はないのだが、ハーフという言葉の響きがまた格好よく感じられた。純日本人の自分からすれば、外国の血が混じっているのはそれだけでステータスのように思えるのだ。
しばらくぼんやりとテレビを見ていると、唐突にスマートフォンが鳴り響いた。手を伸ばすと、画面にはトークアプリのポップアップが表示されている。
送信者は中学・高校と一緒だった友人で、彼女が幹事になって中学の同窓会を開くという報せだった。同窓会と言っても正式なものではなく、卒業生が自主的に企画しただけのこじんまりとしたものらしい。招待されたのも幹事と親しい者達だけのようだ。二人の幹事はどちらも学級委員だが、企画したのは幹事ではなく当時クラスの中心人物だった青年だという。どうやら会場は、すでに廃校になった母校らしかった。夏という事もあるし、肝試しでも兼ねているのだろうか。
千尋は苦笑しながら了承の返事を打ち込む。同窓会に興味はないし、仲がよかったと言っても昔の話だ。今さら集まっても、偲ぶような過去もない。それでも彼女が参加の旨を伝えたのは、わざわざ自分にまで連絡をくれた友人の面子を潰したくないという思いがあったからだ――――同窓会を企画した青年が、当時ほのかに憧れていた人だったからというのが最も大きい理由だったのだが、彼女がそれを自覚することはなかった。
それに、廃校になったという母校についても気になる。たとえ本当の心霊スポットではなくても、山奥の廃校というのは雰囲気があっていい。納涼にはぴったりだ。そんな軽い気持ちのもと、千尋は送信ボタンを押す。
――――この選択が誤りだった事に、彼女はまだ気づかない。




