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「――はい、カット」
閉じられたままだったもう一つの引き戸ががらりと開く。入ってきたのは、監督役を務めていた女だ。
生で見る彼女は画面越しで見る数倍は美しかった。柔らかな金の髪は月に照らされればさぞ映えるだろうし、彼女の抜群のプロポーションと洗練された美貌は華々しい舞台で鮮やかなスポットライトを浴びるためにあると言っても過言ではない。
しかし残念な事に、すべての窓が鎧戸で塞がれたこの校舎内に月の明かりは届かない。設備も整っていないどころかそもそも電気すら通っていないので、彼女の完成された美しさが彩られる事はなかった。彼女を照らすのは、色とりどりのスポットライトではなく懐中電灯だけだ。
しかしLEDの青白い光は、まるでピンスポットライトのように彼女の存在を際立たせている。彼女とその周囲の空間だけ、外界からは切り離されているかのように異質なものに見えた。行き過ぎた美しさというのは、時に人に恐怖すらもたらすものだ。
「最高の演技だったわよ」
女が声をかける。するとハギノ役の少女はへなへなと座り込んでしまった。だが、その生気の欠片も感じられない不気味な土気色の顔には達成感が満ち溢れている。
「き、緊張しましたぁ……。校舎の中は真っ暗で動きにくいし、カメラがたくさんあると思うとどうしても……」
「ふふっ、初めてにしては上出来だったわ。このまま社長に紹介したいぐらい。……ところで、貴方はどうだった? 人生で一番の大舞台になったかしら?」
そんな少女の様子を優しげに見下ろし、女は今野瑛士役を演じていた葛原藤也に話を振ってくる。葛原藤也は首肯して、どこかに仕掛けてあるはずの暗視カメラを探すために教室を見渡した。
「これで撮影はおしまいよ。お疲れ様」
そう言って女は微笑む。しかし、それはいつもテレビで見かけるような底抜けの明るい笑みではない。知性と冷徹さを兼ね備えた、見る者を凍えさせるような冷たい笑みだ。
それは芸名であって本名ではないかもしれないが、女の名前は藤也も知っている。少なくとも、彼女は世間からこう呼ばれていた――――リリー、と。
しかし、ここにいるのはトップモデルとして名高い“リリー”ではない。この映画の監督、“せれなーど”だ。この二人は同一人物だが、テレビの向こうの“人気絶頂の芸能人”と今目の前にいる“裏社会に生きる犯罪者”は決して等式で結ばれてはならなかった。
藤也が『彼ら』に接触するにあたって、彼女は“リリー”ではなく“せれなーど”と名乗って自分の前に姿を現した。だから藤也は彼女の事を“せれなーど”と呼ぶし、テレビの向こうで能天気に笑うモデルと眼前のこの美女は別人なのだと割り切る事にしている。
これはすべて映画の撮影だ――――ただし、普通の劇場で上映されるようなホラー映画ではない。
裕福な好事家達のためにひっそりと上映されるスナッフフィルム。それがこの映画だった。
『彼ら』が裏で手を回して売りに出されたこの校舎を『彼ら』の資金力によって買い取り、藤也の憶測と“せれなーど”のアドバイスをもとに作られた小道具をセットする。血文字で落書きされた机と床に散らばる血に濡れたガラスの破片としおれた菊は、恐怖を与えるのに十分な効果を発揮してくれた。
廃校に棲みつく悪霊ハギノを演じたのは、萩乃の享年と同じ年齢の少女だ。“桜の木の下には(ry”という奇妙な名前の彼女も、『彼ら』の一人であるらしい。
“桜の木の下には(ry”は藤也よりもほんの少し年下のようだ。最初は彼女に何ができるのかと疑っていたが、当時姉のクラスメイトだった二十人の男女を順に消していった実績と、このスナッフフィルムを撮影する前に見せられた今野瑛士の殺人ショーでその考えは百八十度覆される。“桜の木の下には(ry”は、藤也の予想をはるかに上回るほどの人材だった。
その時抱いた期待を裏切る事なく、彼女はたった一人で今野瑛士を含めた九人を殺してみせた。一番憎らしかった英千尋についてはこの手で復讐したかったために“桜の木の下には(ry”の手は借りなかったが、きっと彼女は英千尋の事も残虐に殺していただろう。
「よかった、ちゃんと撮れてるみたいです」
長い袖で隠すようにして腕に括りつけていた小型の暗視カメラを取り出し、“桜の木の下には(ry”はほっと息を吐く。記録されているのは手ブレのひどい画像だろうが、それがよりリアルなのだろう。なにせあのカメラのレンズには、血を拭った跡があるのだ。殺人者の視点で撮られた映像は、視聴者に興奮と臨場感を与えるのにうってつけだった。
この校舎の至るところに仕掛けられた暗視カメラの映像と、殺人者である“桜の木の下には(ry”が撮った映像。この二つが編集される事によって、殺人を娯楽と捉える視聴者達に至福の時間を提供できる。そんな自分の知らない世界で行われる狂った遊戯に関わったなんて今でもぞっとするが、藤也は自らの選択に後悔などしていない。
内村昴。大和田悟朗。片桐雫。紀井尚忠。今野瑛士。堺正輝。薄野京香。宗田洋祐。英千尋。水野侑奈。
姉は――――葛原萩乃はこの十人に殺された。この十人さえいなかったら、姉は今も生きていた。姉を死に追いやったこの十人を、藤也は決して赦さない。
だから藤也は『彼ら』との接触を試みたのだ。復讐を誓っておきながら、誰かに背中を押されなければ自分で罪を犯す事もできない藤也にとって、依頼すればどんな事も請け負ってくれるという『彼ら』の存在はまさに天からの福音だった。
『彼ら』なら、憎いあの十人に何らかの形で報復できる。うさんくさい都市伝説だと鼻で笑いながら、そんなものを本気で信じているわけじゃないと自分に言い訳を重ねながら、藤也は『彼ら』の影を追った。
いくつものブラウザクラッシャーや悪質なウイルスに邪魔されながらも辿り着いたのが、『彼ら』のサイトだ。自分の行為がとても馬鹿げた事だと自嘲していた藤也はついに、『彼ら』の存在が本当であった事を身をもって知らされた。
藤也が『彼ら』に依頼した二つの依頼のうち、一つ目は姉のかつてのクラスメイト達、特にあの十人に最高の恐怖と絶望を与える事だ。二つの依頼の代価として『彼ら』が望んだのが、その十人を素材にしたスナッフフィルムを撮影する事だった。こうして撮影された映画は、人が人を殺す瞬間を……あるいは人が殺される瞬間を心の底から楽しめる者達のために細々と公開される事だろう。
結局『彼ら』が何なのかは、こうして直接『彼ら』とコンタクトを取るようになった今でもわからない。『彼ら』を構成しているものも、『彼ら』の活動目的も、『彼ら』の運営方法も、すべてが謎のままだ。
だが、それはそれで構わなかった。『彼ら』の助力で復讐が達成される、藤也にとって重要なのはその一点だけなのだから。
「それじゃ、フィナーレいってみる?」
「……はい。お願いします」
“せれなーどの”問いかけに、藤也は小さく頷いた。もともと藤也は復讐のために生きていたようなものだ。それが果たされた今、この世界にしがみつく理由もなかった。
藤也が『彼ら』に依頼した二つ目の依頼は、自殺の幇助だった。“桜の木の下には(ry”に殺された今野瑛士に成り代わる形でこの復讐劇を間近で鑑賞した今、思い残す事など何もない。藤也は静かに目を閉じて膝をつく。
そんな藤也の様子を見て、“桜の木の下には(ry”は引き裂いたような笑みを浮かべた。弱冠十五歳の殺人鬼は狂的な笑みを浮かべたままよろよろと立ち上がり、藤也の頭頂めがけて鉈を振り下ろす。
――――ずちゃり。