一
ラネット王子にも姫の言葉が伝わると、今日の夜にも会いたいと話している様なので、僕が姫と話すとすれば、チャンスは今しかない。
「姫」
振り返ると、姫は柔らかく、美しい笑みを見せた。もう彼女は妃になるつもりでいるかのような、しとやかな顔つきだ。
「返事をした今、もうきっと婚儀も近いことでしょう。どうです? 一つ、僕の話でも聞いて頂けませんか?」
僕が言うと、姫は疑わしそうに眉を歪める。
「なんじゃ? そちの方から話とは」
「それを今から話すのですよ。でも、この話は二人でしたい。だから、出来れば皆には去って頂きたい」
僕が振り返って兵士や執事、メイドに言うと、全員僕を信用して王の間を出て行った。……が、信用ならないので王の間の扉を開けてみると、全員僕達のことを壁越しに見ようとしていた。
「……本当に、姫にしか話せない大事な話なのです。どうか散ってくれませんか」
睨み付けながら言うと、皆は苦笑いと共に頷き、駆け足で適当な場所に去っていった。よし、これで安全だ。
「私としかなんて勿体ぶりよって。何じゃ、告白か?」
「ある意味それも間違いではありませんね。僕の、過去の自分の告白です」
「過去……」
姫は僕の話に興味を持ったらしい。窓の方へと歩み寄ると、僕へと手招きをした。窓から、城下町の景色を見ながら、僕は話す。
「僕ね、以前は国の王子だったんですよ。タルタロスって国のね」
「何じゃと? 王子……それも、あのタルタロスのか?」
僕はコクリと頷いた。
タルタロスと言うのは、以前この世界の国々の中にあったものの一国で、中でもこの国は当時にしてはそれなりに発展した部類だったのだとか。
しかしこれが、王……僕の父の正義感ある言動がカオス王の目についてしまった。その理由が、僕の父の娘をまだ生まれてもいないラネット王子と、結婚させると言う決まりを断ったからなのだとか。確かに十代と幼いながらも、その目鼻立ちはくっきりとしており、とても美しい姉だった。だが、そんな理由で、カオス王は怒り、そして一夜にして僕の国を焼け野原にした。
まさか、此処までする人だとは思っていなかっただけに、僕はショックが強かった。何より、目の前の真っ赤な光景がね。
燃え上がる炎は勿論、カオス軍から問答無用で刺され、倒れていく人々の赤い血。胸が痛むなんてもんじゃなかった。何度も胸を貫かれ、そして抉られるような感情だった。
中には僕を狙う人々もいた。僕自身は死んでも良いと思ったのだが、この時、僕の隣には親友がいてね。唯一無二の親友を守る為、僕は三歳の頃から鍛えられていたその腕前を存分に振るい、多くの人々を転がして来た。
「お前、使えるじゃないか」
倒れる人々の間を真っ直ぐ歩いてくる男。そいつが、正に僕の憎むべきカオス王だった。
「此処で殺すには惜しい。どうだ、我が軍につかないか」
「何を……」
僕が刃を向けようとしたその手を、後ろにいた親友が握りしめて止めた。
「つく! 俺もコイツも!!」
「お前、何を言って」
「随分と聞き分けの良い親友だ。だったらついてこい」
僕は親友に手を引かれ、ついていかざるを得ない状態になってしまった。堅く握りしめる親友の手を切って逃げるのは、彼にとっての裏切り行為と変わらない気がしたから。
しかし、それからは更に苦痛の日々の連続だった。拷問のような甚振りを受けながら剣技の稽古をすることもあれば、無給で獣の退治をさせられることだってあった。そして帰れば、また拷問のような稽古が待っている。体は赤かったり青かったり。皮膚は普通の色を保ってはいなかった。
それでも頑張ろうと思えたのは、隣に同じ状態をした親友がいたからだ。
彼は、此処へ来てから格段に強くなっていった。悔しいが、力は存分に発揮されているのだ。
此処へ来て数日後、彼と約束をした。絶対に、二人で此処から抜け出そうと。
そう、約束をしていたはずだったのに。
「ハリーが逃げ出したぞ!!」
信じられなかった。だが、目を覚ますと隣にハリーはいなかった。
抜け出すときは、二人だと言っていたのに。この時、僕から親友と言う概念は簡単に崩れ去ってしまった。
ハリーがあれからどうなったかは知らなかったが、まさかイリス国の牢の中にいるとは。それも、時々城下町へ顔を出させてもらっているとのことだから、全く自由な暮らしだ。しかし、これについてはまた後で触れることにする。
それより先に、それじゃあ僕はどうやって抜け出したのか。これが、案外呆気なかった。
僕は彼の国の下で強くなった。それがゆえにカオス王から気に入られ、従者としても色んな国を見て来いと言うことになったのだ。それからと言うものの、僕が甚振られることも無くなったが、僕だってずっと自国を壊した国に遣えるつもりも無く。僕は従者達に怪我を負わせ、カオス国を逃げ出した。
それからしばらくは人のいない無人島で暮らし、心を静めたが、やはり時折人恋しさを覚え、様々な国へ旅に出るようになったのだ。
カオス王が僕を追いかけて来なかったのは、恐らくそれからすぐにラネット王子が生まれたからでは……と、推測している。カオス王は、ラネット王子が生まれてからと言うものの、昔程の過激さがピタリと止んだからな。
しかしエロス様曰く、たった二つ違う事実があった。それは、カオス王が僕の国を襲った理由、そしてハリーが逃げ出した事情であった。
カオス王が襲ったのは、日々成長し続けていたタルタロス王国を恐れ、婚儀を断ったことを理由に残虐な行動に至ったのだとか。本当にそうなのだとすれば……もはや、怒りすら失せる愕然とした事実だ。
そしてハリーが逃げ出した事情。これに関しては、どうやら当時、僕かハリーのどちらかが裏切って逃げ出すんじゃないか。と言う噂が兵の間で行われていたらしい。それを耳にした王が、僕達にそれを聞き、逃げ出そうとした者を処刑しようとしたのだとか。それを他の知り合いから聞いていたハリーが、僕に疑いを向けられないようにと逃げたのだそう。
エロス様は今まで分かっているような素振りを幾度となくしてきたが、まさか本当にこれらの事実を知っていたとは。ただし、僕がそのハリーとの関係者だとは知らなかったようだが。
この事実を聞かされた時、僕は国を理不尽に壊された悔しさと、親友が実は守ってくれていたことを知らず、勝手に怒っていたことへの悔しさ、そして嬉しさに胸が苦しくなった。
これを姫に話すと、姫は悲しげな表情を僕に向けた。
「それじゃあそちの本当の名は……」
「タロス。そう申します。姫、貴方様がもしこれを受け入れても、今までの事実からして一体どうなるか……」
「そちは以前からただ者ならぬ風格があったが、まさか彼の国の王子だったとは。今までの無礼、失礼致した」
「いえ、姫! もう僕は一般市民同然ですから。それに、案外楽しかった気がしますよ。此処での生活は」
「……なら良かった」
姫はしとやかに微笑んだ。この表情を崩さないと言うことは……。
「でもなモモロン。だからこそ、これは断ってはならぬものだと思うのだ。私はこの国を守りたい。だからこそ嫁に行く。幾ら私がラネット王子を好きでなくとも、他に好きな人間がいたとしても、な」
姫はそこまで言うと、僕の顔をジッと見つめ、長い髪を照れくさそうに一度手の甲であしらった。その姿は、とても麗しい姫……否、女性の顔つきだった。
「姫でもいらっしゃるんですね。好きな人」
普段感じることのない空気に耐えられなくなり、愛想笑いをすると、姫は表情を崩して一歩下がる。
「呆れる程モモロンじゃのう」
「え?」
「いや、無視して良い。とにかく、私に決められた選択は一つなのだ。だから、私は行く」
「……そうですか。でしたら、僕は言うことは御座いません」
「モモロン。カオス国につくまで、同行頼むぞ」
姫の冷静な言葉に、僕は頷くことしか出来なかった。