一
姫がラネット王子に告白されてから、早一週間が経過していた。幾ら待つと言っても、もうそろそろ答えを聞きたい頃合いだろう。そしてきっと姫の方も。
最近の姫は、何時も以上におかしかった。頭がおかしいのは何時ものことだが、そう言うおかしさではなく。多分、本当はおかしくないとでも言うような。むしろ、しっかりとしすぎたおかしさだ。
それは、普段彼女が見せているようで見せていない部分であったり、見せても良いものを、敢えて見せていない部分でもあった。それだったはずなのに、彼女の表情はどこか冷静で、知的さを覚える。
それ自体は、本来姫として必要なものだし、民としても安心するだろう。しかし、今の彼女には、何かが足りない。きっとそれは、彼女が望んで捨てたものなのだろう。
「モモロン」
彼女はくるりと半回転して僕に向き直る。僕は何も知らないかのように、「何でしょう」なんて聞いてみるが、本当は何を言われるか悟っていた。
「結婚するよ。ラネット王子と」
分かっていたはずだった。はずだったのだ。けれど、僕は目を大きく見開いて呆然と彼女を見る。
僕の表情を見た彼女は、優しく微笑んだ。だが、その表情があまりにも穏やかで美しく、痛々しささえ覚えてしまう。
「それで、良いのですか?」
僕が尋ねると、姫は一瞬だけ目を閉じ、眉間にしわを寄せたが、再び穏やかな顔つきに戻り、小さく頷いた。
「それが私の答えだ」
彼女の全てをかけた答えに、僕は言葉を返すことが出来なかった。
黙って突っ立っている僕の隣を素通りし、姫は自ら扉を開けると、扉の向こうで待っていた従者達にこのことを伝えた。従者達は驚いているようだったが、姫が何時ものようにニカッと笑うと、「ハッ!!」と敬礼をし、城を出て行った。
… … …
この返事が国中に広まるのは、ラネット王子に伝わるよりも早かった。何せ、姫が僕に命令したからな。市民の見る掲示板に、この事実を書いて貼って来て欲しいと。
民自身は素直に姫の結婚に喜ぶものもいたのだが、それ以上に多かったのは、見知らぬ国の王子との結婚と言うこと。いや、以前は結構やんちゃだった国だ。カオス国がどんな国か知っている者も多いはず。それらを知る人々は、ふるふると怯え、姫を心配の目で見た。
これには、普段は各国を旅するスパイ二人も帰省して姫の下を尋ねたのだった。
「イリス姫、どうしてこのようなことを!」
「アズキ、アラン久方ぶりじゃのう」
「そんなことは今はどうでも良いんです!」
「良いか……?」
「それより姫様、何であの宜しくない評判ばかり聞くカオス国に寝返ったんすか?」
アズキを上手くはぐらかそうとした姫だが、二人がかりではやはりこうなるだろう。僕も口を挟むつもりは無いので、三人の様子をじっと見つめる。
「……寝返ったのではない。これが、一番良い結果だと考え、ラネット王子を愛すと決めたのだ」
「そいつを寝返ったって言うんですぜ姫様。アンタがあの王子を心から愛するなんて、無理な話なんだからさ」
「ええ、そうよ。モモロンも何か言ってやりなさいよ」
急に僕に振るあたりが、一度狙った獲物は逃がさないアズキっぽい。しかし、僕に今言える言葉なんてものは……腕を組んで考えると、三人の視線が集まる。ヤバい、余計に言いづらい。
「……特には」
「何でよ!!」
珍しくアズキが頭から煙を出して怒っていた。
「貴方、姫を一番近くで見てきたはずでしょう!? それなのに、何も言うことが無いっていうの!?」
「……そ、そうは言われても……これは国がかかった話とも言えますし」
「呆れた」
アランは腕を組み、ため息。これにつられてか、アズキもため息をつく。
「いや、モモロンの言う通りなのじゃよ? これで私が結婚すれば、この国だってきっと潤うはずじゃ」
「おいおい姫様、それは考えがちと浅はかすぎるってモンだぜ。あの国に寝返ったら、もし別の国を襲えと言われたら、この国の民達も結局危険にさらされるんだぞ」
アランの言葉に、姫は一瞬表情を曇らせた。
「……う、うるさい! あの国は最近大人しいし、私が妃になれば、そんなことだってさせやしない!! モモロン、その二人をつまみ出せ」
「姫……」
僕が振り返ると、姫は目をつぶり、手をしっしと払いのける仕草をする。
「なぁに、言われなくともこっちから出て行くさ」
「ええ、心配には及ばないわ。行きましょう、モモロン」
アズキは僕の手を引き、アランと共に城を出た。一瞬振り返る。扉の隙間から見る彼女の姿は、とても追い詰められているように見えた。
「モモロン、本当は言いたいことがあるんじゃないの?」
城の外壁にもたれかかり、アズキは僕に尋ねる。
「と、言われましても。今の彼女に何を言えばいいのか」
「俺達が言ったようなこと、十分言えただろうが」
「しかし、彼女も国を背負っている身。仮にこれを断り、何か起ころうものならば……」
「お前は何時も国クニだな。彼女自身のことを考えないのか? あれ程近くにいて、あれ程彼女の笑顔を見てきたはずなのに」
アランの問いに、僕は返事を返すことが出来ない。きっと僕が同じ身に置かれているとしても、同じ選択をする気がするから。
「……話にならんな」
「おっす、モモロン!」
呆れるアランの後ろから、馴染みのある声が聞こえてきた。カレブか。
「あ、ゴミ拾い大会優勝した人だ! おめでとうございます」
カレブはアランとアズキを指差して言った。不意打ちを食らったかのような二人は、あながちでも無さそうに喜んだ。
「ところでモモロン、良いのかよー姫様結婚しちゃうらしいじゃんかあ。前の様子からして、絶対本心じゃないぞ?」
「ああ、分かってる。だけど、僕に出来ることなんて一つも無いし」
「何言ってるのよ、あるに決まってるじゃないの!!」
「何故僕なんだ?」
僕が問うと、三人が声を揃えて、「はぁ!?」と言った。……何でそんなしかめっ面を僕が受けなければならん。
「それは姫が貴方のこと――」
アズキが何か言いかけた瞬間、カレブが慌てて、「あー!!」と大声を出し、その隙にアランが後ろからアズキの口を塞ぐ。
「そ、そいつはお前が若大臣だからだ! 分かるか? 大臣は国を背負うと同時に、姫を守るって大切な役回りなんだよ」
「……」
カレブが珍しく尤もなことを言っているので、返す言葉が見当たらなくなった。……強いていうならば、僕は若大臣になったつもりは無いのだが。これを言ったところで、今更皆は僕を若大臣と言ってきかないだろう。
「まだ踏ん切りがつかないなら、もっと色んな人の話を聞いてみたらどうよ? きっと、どっちつかずなお前の中の答えが見つかると思うぜ」
カレブの言葉に、スパイ二人もコクコクと頷く。色んな人の話と言っても、僕が話すような相手……。
困惑する僕の下へ、おーいと兵士が駆け寄ってくる。そして僕の手を引くと、「クロノ王子がいらっしゃってるぞ!!」と僕を城の中へと促した。




