二
突如僕達の攻撃を止めたかと思えば、一人でヒュドラの前に立つ姫。一体何をやろうと言うのだ? 姫を守るべきか迷っていると、アランが懐から薄いハンカチを数枚取り出した。ウサギや草花などの可愛らしい刺繍が入っている辺り、全部彼の言う”カミさん”が作ったものなのだろう。それをアズキに手渡すと、アズキが僕の服の袖を捲り上げて傷口に巻き付ける。
「姫にも、何か考えがあるのよ。見守りましょう」
アズキの言葉に頷き、僕は姫の方を見た。姫はその大食いな体を素早く動かした。僕達よりかは遅いものの、学生とのかけっこならば一位を取ってもおかしくは無い速さだ。そして怒り狂うヒュドラの一番右端に移動すると、そこから高く飛び、そして即座にその体を丸め、地面に平伏す。
「大変! 申し訳ない!!」
「え?」
姫の謝罪、そして土下座に、僕は低い声で言った。
その後、姫はすぐさま隣の首の下へ移動し、土下座をして謝罪。そして次の首に土下座をして謝罪。それを最後の左端の首にまで繰り返した。一国の姫が、何てことをしているんだ。
しかし驚くことに、姫が土下座をして謝罪すると、ヒュドラは顔を姫の方へと向け、黙って聞いていたのだ。
そして一つの頭が姫の頭へ顔を持って行くと、鼻先で姫の頭を撫でた。姫はゆっくりと顔を上げると、「宜しいのか?」と尋ねた。ヒュドラは鋭かった目つきを閉じると、姫に頬ずりする。これには僕達も目を見開く。
「可愛い奴め~みんな、来い!!」
姫が言うと、その言葉通りに九つの首が姫の下へやって来て、姫に頬ずりをした。姫も首を振って嬉しそうに頬ずりする。本当に、人の言葉が分かると言うのか?
呆然と見つめていると、ヒュドラの後ろで横たわっていたリュウタがむくりと起き上がった。そして多くの人がいることに気付くと、此方へと駆け寄ってくる。
「めずらしい! ヒュドラがひとをすきになるなんて」
「竜太! お前はヒュドラにさらわれたんじゃ無いのか?」
ギンがリュウタに近寄って聞く。何だ? 何だか様子がおかしいな。あれ程僕達に牙をむいていたヒュドラは姫になついてるし、リュウタはヒュドラをまるで友人のように話している。この理由は、次のリュウタの言葉で分かった。
「え、なんで? ヒュドラはオラのしんゆうだぞ?」
「しんゆう……親、友……? え、ええっ!?」
ギンはリュウタとヒュドラを交互に指差す。指が自分に向けられる度にリュウタは素直に頷いた。そうか、この小さな少年が、ギンとヒュドラの親友か。
「ギンもおいでよ。こうみえても、すっげぇいいやつなんだぞ!」
「え、い、いやでも、さっきおじさんが手食われて……」
ギンの言葉を聞かず、リュウタはギンの手を引いて走り出す。隣にいるアランの、「おじさん、か……」と肩を落としていた。
リュウタに連れられ、ギンは恐る恐るヒュドラに手を振れる。それに気づいたヒュドラが口を大きく開けると、震え上がるギンを後ろから姫が捕まえて逃げられないようにした。ヒュドラは大きく口を開けたあと、また口を閉じて笑顔でギンに頬ずりをした。ギンは、ぽかんと口を開けている。
「な、いいやつだろ?」
「じゃろ?」
リュウタと姫に聞かれると、ギンは口を閉じた後、笑顔で答えた。
「うん!」
そこへ、もう一つの足音が扉の方から近づいてくる。誰か来たのか。用心して僕は見ると、そこからやって来たのは、長老だった。
「じぃさま!」
「見させてもらったぞ、アズキ。ヒュドラの様子も見ようとせんでいきなり戦うとは、ジジイは情けないぞ」
長老はわざとらしく目元に手を添えて言った。
「ご、ごめんなさい……まさか、話が通じる相手だと思わなかったし、竜太がさらわれたと聞いてたから、てっきり悪い奴だと」
「人もドラゴンも、見た目や周囲の声だけで判断しちゃいかん。笑わない奴だって本当は面白いことが大好きだったりするように、悪そうに見える奴だって、本当は心の優しい者だったりするのだから」
「はい」
「それとな、青年」
長老は、アズキに向けていた視線を僕に移して言う。
「お前さんが思っている程、人間は冷たかないよ。きっとな」
長老の言葉に、僕は微笑で答えた。
「そうかもしれませんね」
… … …
結局、この日は僕の怪我の療養も兼ねて此処で泊まることとなった。こりゃ、帰ったらエロス様にグチグチ言われるな。でも、アズキはミヨさんやリュウタ、長老と会話してるみたいだし、悪いことじゃ無かったかな。
アズキやアランが長老宅の食卓の間で談笑しているその隣の部屋で、僕は和室の中央に座り、隣に座る姫に傷口を消毒してもらっていた。
「痛がらないんだのう。このような怪我で辛く無いのか?」
「痛いですよ? でも、叫びたくなる程では」
「ほう。我慢強いのだな。もう少しの辛抱じゃ、頑張れよ」
消毒を終えると、姫は包帯を僕の腕に巻く。意外にも、その手つきは手慣れた感じだ。兵士から彼女に手当をしてもらったような話は聞いていなかったのだが、予想外の才能だな。
「よし、出来たぞ」
「有難う御座います。それじゃあ戻りますか」
「うむ」
僕は電気を消し、縁側へと出る。その際、空を見上げる。もう空は真っ暗で、その中に点々と星が光っていた。
「星は綺麗だな」
「そうですね」
「お主も、あれくらいの関係をお気に入りか?」
「え?」
姫の方を振り返る。すると、姫は星を見つめながら話し始めた。
「星って、此処から見たらとても近いが、実際はどれも遠い存在なのだ。あんなに星が美しいのも、ある程度他の星との距離を取っているから。なのかもしれぬな」
「そうですね」
「ただな、それだけじゃああまりにも寂しいのだ」
「……そうですか?」
「あんな真っ暗な場所に、ずっと独りぼっちは、寂しくなると思わないか? だから星は、時に流れて他の星や生物達に会いに行くのだ。そうなのじゃ無いか?」
そう言って、姫は僕の方を見ると、ニヤリと笑った。まるで、星と僕の心をリンクさせるかのように。
僕も姫同様にニヤリと笑ってみせると、その問いに答える。
「そうかもしれません」
「星と親友になれたら、きっと楽しいじゃろうなぁ!!」
姫は両手を広げ、無邪気な笑顔で言った。それに対して僕は、「僕はそうは思わないですけどね」と答えて隣の部屋へと歩き出した。




