4-1 博士の提案は理詰めがすぎる(2/6)
「……でも、実際に利点は色々とあるんです」
「…………はぁ。利点」
なんとなく居たたまれない気分になってそわそわしていた気持ちが、普段の冷静さを取り戻したリーノ様の言葉を聞いてすっと落ち着いて行く。
ふむ、その利点とやら、聞かせていただこうじゃないの。
「アリスさんは、溺愛とかは勘弁してほしいと仰っていた。僕が夫になれば、そういう暑苦しい関係にはならないと思います」
そうだね。リーノ様の重たい愛情が基本的にバート兄様に向かっているんならね。
「薬学研究院の先輩には成果を認められて一代貴族として名誉男爵になられた方もいらっしゃいます。バート兄様がこのまま子爵家を継ぐことが前提の話ではありますが、次男の僕はそこを目指すつもりでいます。すでに陛下に留学中の論文について表彰していただいていますし、そんなに遠い道のりではないと思っていますよ。……ですから、古くからの家のようなしがらみも少なく、しかし最低限ではありますが、貴族夫人という地位をとりあえずは持ちながら不自由なく暮らせると思います」
ああ、そうか、一代貴族か……確かに、それはかなり気楽な立場かもしれないね。
「僕は忙しい時期には研究院に泊まりこむことも珍しくはありませんし、普段から僕にいらない気を遣わず過ごしていただけると思います。アリスさんは公爵邸での仕事をお続けになっても、別の……それこそ、語学能力を生かして翻訳などのお仕事をなさってもよろしいかと思います」
生活の自由度の高さ的にも、なるほど。むむむ。それは確かに結構、私にとって利点があるかも?
「もちろん、アリスさんが望めばなんでも叶えられるよう努力します。もし可愛い妹を泣かせた、なんてことになったら親友であるクロードに、殴られ……いや、彼はそういうことはしないですね。きっと愛想を尽かされて……縁を切られてしまうでしょう。心優しい彼を傷つけることも、あれほど得難い友を失うことも……僕は避けたいですから……」
「……リーノ様は、うちのお兄様の性質をよくわかってくださっているんですね……」
そうなんだよねえ、怒るというより悲しみそう。殴りかかるところは想像できなくても、がっかりして肩を落としている姿は想像できる。
私だってお兄様のことは大好きだし……あのお兄様を親友と呼んでくれて、大切に思ってくれているリーノ様には好感が持てるんだよ。
「そして、これが一番のセールスポイントなんですけども」
言った瞬間、彼の片眼鏡が一瞬キラリと光った気がした。
「……な、なんでしょう……?」
私も思わず、ごくりと息を呑む。
「僕と結婚すると、ナタリア義姉さんがアリスさん、あなたのお義姉さんになります……!」
「……はっ!!」
そ、そうか……!! 私がリーノ様の妻になれば、バート様が義兄になって、そしてナタリア先輩が、義姉に……!?
「そ……それって……ナタリアお義姉様……って、ことですか……!?」
口に出すと破壊力すごい、ナタリアお義姉様!!
まさかそんな未来が、そんな可能性があるなんて……! うわ……正直、かなり心が揺れるよ、それ。
「どうですか? アリスさんは、ナタリア義姉さんをとてもお慕いしておられるようにお見受けしましたので……」
「そ、そうですね……。それは……本当に大変魅力的なお誘いですね……!」
ほんとにね! かなり心奪われる提案だよ!! どうしよう!!
「……僕の気持ちが伝わったようでなによりです……。正直に申し上げると、僕はクロードの妹君であるあなたのことはとても感じがいいなと思っているんですよ。あなたとなら、利害を一致させながらも穏やかな夫婦関係を築けそうです……。……ああ……、話している間に到着したようですね」
声に視線を上げると、目の前にはシンプルながら落ち着いた雰囲気の東屋があった。背後の木々は紅や黄に色づいていて、まるでその一角が絵画みたい。
さすが王宮の中庭だよね……ランタンにも高級品の蝋燭が灯っているし、贅沢だよね~。
「段差があります、お気をつけください。……どうぞ」
先にステップを上がったリーノ様が少し屈んで手を差し出した。今の話の流れで、こうして彼の手をとるのってちょっとなんかむず痒いな……なんて考えながら顔を上げて、リーノ様と視線が合ったその瞬間。
二人の顔の間、つまり私の目の前にいきなりブンっと羽音を立てて拳ほどの巨大な黒い塊が飛び込んで来た。
「ひっ!?」
私は思わずたたらを踏んで後ずさる。リーノ様の手をとる直前で、骨組みで膨らんだドレスが不安定に揺れる。靴の高いヒールにドレスの裾がひっかかり、そのままバランスを崩した勢いで段差で足を踏み外したらしい。
私の視界が、ぐらりと回った。
「アリスさん!!」
「お…………っと、危機一髪。……大丈夫?」
慌てて差し出されたリーノ様の手を掴めず、絶対後ろに転ぶと衝撃を覚悟した私は、どうも誰かに横向きで後ろから抱き留められたらしい。
耳に飛び込んできたリーノ様ではない男性の声に、私は思わず首を後ろに曲げて振り返る。
「うわっ、す、す、すいません!!」
「いや、俺は大丈夫だから。ちょっと落ち着いて。ね?」
「……どなたかは存じませんが、僕の連れに手を貸していただきありがとうございました。助かりました」
「いやいや、いいんだよ」
「会場警備の騎士様ですか?」
「いや、ただの参加者。で、さっきのは何かなぁ、昆虫?」
「そうですね。近隣の森林には生息していますが、王都では珍しいハチです」
「へえ、ハチかぁ」
「あのハチは、巣のハチミツが大変貴重で高価なんですよね……。特別薬効効果が高いんです。というのも、特定の植物からしか蜜をとらないということがわかっていて。ああ、その植物については最近研究所で研究を始めたばかりで温室で育てているんですが……」
「そうなの? 少し向こうで何匹か見たけどなぁ……もしかしたら、巣でもできてるのかもね」
「本当ですか!? それは調査に行かなければっ価値をわからない人に危険物として処理されてしまう前になんとか研究院で確保したいですね、じゃああの植物の栽培自体も成功したってことかもしれませんしうまくいけば今後専用の温室で養蜂という手もあります、これは夢が広がるな……」
あっ、リーノ様すごく興奮してるな。すっごい早口じゃん。
これ、珍しい本を目の前にしたときのお兄様と全く同じ挙動……この≪オタク仕草≫さぁ……。やっぱり二人って似た者同士だよね、文系と理系っていう違いはあるけど。
「……はっ、すいませんアリスさん。あなたのエスコートという大役を仰せつかった身で全くあなたには関係ないことを……」
正気に戻ったリーノ様は、相変わらず口では謝罪してるんだけど表情はほんとに全然動かないのよね。もう少しすまなさそうな表情をした方がいいんじゃないのかな……まあ私は別に怒ってないけど、ほんとに怒ってる相手の場合ね。
というか……すまなそうにしてるどころか、今にもその巣の調査に行きたいんだろうな~ってそわそわしてるのわかっちゃうんだよ……。全くオタクって生き物はさぁ、これだから仕方ないよね本当に……。見てる分にはおもしろいんだけど。かなりね……。




