3-7 参考にするには特殊すぎる(1/3)
「今回の滞在、なんだか楽しかったからちょっと名残惜しいねえ」
「そう、だね……。いつもと違う場所でというのももちろんだけど、お兄様と一緒にお仕事をできるだなんて、私にとってはすごく得難い機会だったよ」
「きっかけがクラリス様の体調不良だから……こんな言い方は不謹慎かもしれないけど」
「あっ、それはそうかもしれないですね! フェリシア様申し訳ありません」
「いえ、お二人とも気を遣っていただかなくても結構ですよ。きっかけこそそうだったわけですが、主の体調が快方に向かっているのはみなさんがイヴァンと一緒に来てくださったおかげですから……」
私たち兄妹の言葉に優しく微笑んでうなずいたのは、馬車で私の隣に座っているフェリシア様だ。私たちは予定通りエンテ邸から引き上げて、馬車で王都へと向かっている。ただし乗っているメンバーが往路とは違って、イヴァン様の替わりに乗っているのがフェリシア様なんだけどね。
ちなみに往路もそうだったんだけど、今回の復路にもシモンさんが同行してくださっている。あの論文会議の日に王城へとついてきてくれた壮年の護衛騎士さんだね。馬車外で御者さんの隣に座っているみたい。彼はエンテ伯爵領に隣接する子爵領が出身地で、こちらへ来る前に故郷に顔を見せて来たと嬉しそうに仰っていた。
「結果論ではありますが、クラリス様のご体調が改善に向かっていること、本当によかったです」
「博士たちには本当にお世話になりました。クラリス様もイヴァンも、もちろん私たちシュトルヒの人間も皆感謝しています。だからこそ、今後このような……奥様にあんな不審な輩が近づくことを許してはいけないと思っているんです」
フェリシア様は私たちと一緒にクラリス様よりも一足早く王都に帰還して、クラリス様のお母様であるシュトルヒ夫人エレオノール様のところへ向かう予定らしい。夫人は例の信頼していた商会担当者がいきなり音信不通になったことで一時期はかなり動揺していたようだね。だからリュード夫人イルムガルト様……つまりフェリシア様のお母様が様子を気にしてかなり頻繁に訪ねて行っていらっしゃるようだ。フェリシア様がイルムガルト様から手紙で連絡をもらった内容によれば、最近はやっと少しずつ落ち着いて来たところなんだって。
今回の件はフェリシア様からイルムガルト様に概ね情報が共有されているので、今後はエレオノール様へどういうアプローチで接して行くかを少しずつ相談しているところみたい。もちろん最終的な目的はさっきフェリシア様もご自分で仰っていたけれど、今後今回のようなことが起こらないようにすること。そのためには危険な人物をエレオノール様ご自身が跳ねのけられるようにご自覚を持っていただかないといけないんだけどね。それはクラリス様のためにもエレオノール様のためにも、それからシュトルヒ公爵家のためにも必要なことだと思う。
そのためにフェリシア様は、クロードお兄様が取り寄せた本でこれまでの国内や近隣諸国の類似トラブルについてすごく真面目に学んでいらした。エレオノール様に一度や二度会いに行くだけで解決する話じゃなくて、何度も根気よく説得して意識を変えていただいて……すごく長期戦になるとは思うけれど。どうかがんばっていただきたいよ。私には応援するしかできないのが歯がゆいけどさ。
フェリシア様がエンテ邸を後にすることになった理由についてはね、まあざっとそんな感じなわけなんだけど、なんとその代わりにイヴァン様がエンテ邸に残ることになってね。
フェリシア様みたいに護衛としては役には立たないけど純粋に武力としての護衛なら他のシュトルヒの護衛騎士もいるし、アインホルン公爵家子息が滞在してると知られていれば十分に魔除けになるだろ? と、本人は言っていたけど。多分実際はクラリス様とゆっくりしたいだけだと思うけどね……。
いいけどね、だって職場の法務局が長期休みを許してくれるってことは、それくらい普段は真面目にお仕事に取り組んでいらっしゃるんだろうし。クラリス様のおそばで、ゆっくりなさったらいいと思う。クラリス様の体調の改善は更に進んでいて帰還も当初の想定よりもスムーズに行きそうで、イヴァン様は可能な限り王都への帰還タイミングを彼女と合わせたいみたいなんだよね。
ほんとに、本当に、イヴァン様はクラリス様のことが好きすぎるよなあ……。
「でも私、フェリシア様がクラリス様とそんなに長期離れるご決断をするとは予想してませんでした」
「それもイヴァン様にお任せになって、ですからね。お二人のご様子やクラリス様とのご関係を見ていてなんとなくわかってはいましたが、やはりフェリシア様はイヴァン様のことをとても信頼なさっておいでですね」
「まあ、ええ……。そうです、ね……」
お兄様の言葉に、フェリシア様も少しはにかみながら頷く。
「本人を前にすると素直にそう言いにくいですが。どうも、顔を合わせると言い合いになってしまうんですよね」
二人の言い合いも、最初は驚いたもんだけどさ。慣れてくればあれも幼馴染だからこその距離感というか、仲がいい故にお互い遠慮がないって感じなんだなって思えてくるんだよね。そうとわかればあの口喧嘩も見てて段々微笑ましくなってくるんだけど。
あと、フェリシア様って基本が育ちがいいから罵倒の言葉のボキャブラリーが少なくて、そこが可愛い……。言い合ってるのを見て笑うなんていくらなんでも失礼だと思うから、笑わないように結構必死で堪えてるんだけどさ?
「それに少しの間離れたからといって、私とクラリス様の絆が切れるということはないと信じています。私たちは本当に、これまでずっと一緒にいましたから……。私としては、クラリス様は主であり私はその従者だと思っているんですが……おそらく世間一般の人からは、幼馴染の関係という風に見えると思っています」
「幼い頃からの縁を大切になさって途切れさせず、いい関係が続いていること、それはとても素晴らしいことですよ。かく言う僕の婚約者も、元々は僕とアリスの幼馴染なんです」
「あら、そうなんですね。ご親戚のご令嬢なんですか?」
まあ、貴族社会で幼馴染っていえば普通は貴族社会で親同士が親類だとか身分が近くて親しくて……みたいな感じだよね、そう、普通は。フェリシア様は多分ご自分と従兄で幼馴染のゼノン様のこととかを思い出していらっしゃるんだろうな。
「……クロードの婚約者は、確か隣国の……商会長の娘さんですよね? あの小柄で、よくしゃべる……。留学先にも度々会いにきていたので覚えていますよ」
「商会長……? 商会を運営なさっている貴族のご令嬢ですか?」
「いえ、彼女は身分としては平民ですよ」
「えっ、平民の方……あっ、その……申し訳ありません! 失礼な物言いをしてしまいましたよね!」
「いえいえ。ご存じでなければ、驚かれるのも無理はないと思いますよ」
そうだねえ……私も何も知らなかったら普通に驚くと思う、フェリシア様のリアクションも無理はないよ。男爵とか、あんまり儲かってない子爵くらいまでだったらねえ、平民との婚姻もそれなりに聞く話ではあるけど。例えば持参金目当てで平民の富豪からお嫁さんもらうとか、逆に次女とか三女とかの跡取り婿取りしない女子が富豪のところへ嫁いで富豪がステイタスを得るとかね。
ただうちは伯爵家で、しかもただの伯爵家でなくて辺境伯で、さらにお兄様は跡継ぎの嫡男でしょ。ちょっと身分差が大きいし予想し難いとは思うよ。
「平民ではあるんですけど、かなり規模が大きい商会の会長の娘なんです。エングリーンに本拠地があって、ユルンベルクはもちろん近隣諸国にもたくさんの支店がある海洋貿易商会なんですよ」
「ああ、母体が大国のエングリーンなんですね……」
エングリーン王国は、確かに領土も大きくて王都も都会だからなあ。向こうの国で活躍してると聞けば、こっちの国の人は無条件にそりゃすごいと思うくらいには国力に差がある。しかもその国で商売で成功してるわけだからまあ、普通の人ならそのすごさはなんとなくでもわかるんだと思う。
実際ほんとにすごいんだけどね、うちのティナお義姉様も、お義姉様のとこのイロンデル商会もね。
「海洋貿易商会ですので、ユルンベルク王国へ来る際には必ずうちのフィッシャー伯領の港を経由するんです。ティナさんも毎回家族と一緒に領主邸に寄って行ってくださっていて。僕たち兄妹は子供時代はほとんど伯爵領で過ごしましたから、その度に顔を合わせていたんですよ」
……そう。今こそ、お兄様の婚約者だから『お義姉様』と呼んでいるけど、子供の頃は『ティナちゃん』と呼んでいたくらいに私と彼女は親しい間柄だったの。それに、昔から私はティナお義姉様のことが大好きだった。いつも甘い香りがして、見たこともない綺麗で美味しいお菓子をくれた。
育った環境からユルンベルクの王都や王城に行くことが少なくて、もし機会があっても本物のお姫様なんて直接見たり会ったりできるはずもなくて、だからティナお義姉様のことを本物のお姫様だと思ってたくらい。幼い私がそう口にした時に侍女がものすごく困ったような顔で曖昧に微笑んでいたのをなんとなく覚えているんだけど、今ならわかる、そりゃそういう表情にもなるよね。逆だよ逆。私が貴族令嬢でどっちかいうとお姫様寄り、お義姉様が平民なんだもんなぁ。
本当に大好きで大好きでたまらないのに、ティナちゃんはいつも自分を置いて遠い国に帰ってしまう……。ずっと一緒にいたくて、だったら家族になろうって……子供の頭で必死に考えて、それで遂にプロポーズしたんだよね。
「なるほど、それで」
「ああ、違う、違うよ。僕じゃなくて、アリスですよ。プロポーズしたんです。アリスが、ティナさんに」
「……?」
「…………?」
リーノ様とフェリシア様が二人そろって、どういうこと? って言いたげにしている。
「……あの、訂正というか補足をさせてほしいんですけど……その頃の私、言葉がやっと喋れたくらいの子どもだったんですよ……。とりあえず、結婚って大好きな人とずっと一緒にいること、くらいの認識でしたから……」
「だねえ。その前後に僕や父上にも結婚してって言ってたからね。多分アリスの中でプロポーズがブームだったんだろうね!」
「んっ……それはまあ……とても……微笑ましいお話ですね……!」
フェリシア様……口元を手で押さえてるけど、肩がすっごく揺れてる。
「確かに、小さくて可愛らしいアリス様にそんなこと言われたらと想像しただけで……頬がゆるんでしまいます」
「ええもう。僕も両親もティナさんも、目に入れても構わないってくらいに可愛がっていましたよ」
「…………」
あの、さすがに恥ずかしい。なんで私だけ身内にこんな恥を晒されてるの?
私は思わず無言で正面に座るお兄様の膝をぺしっとはたいた。




