3-6 女性騎士様は生真面目すぎる(1/4)
私たちがこのエンテ邸に滞在を始めてから、一か月ほどが経過した。
クラリス様の体調は少しずつだけど改善が見られているみたいで、今朝お会いしたときには顔色がかなりよくなっているように感じた。色白で、頬がぽっと桜色になっていて……ほんとにね、お人形さんみたいに可愛かったなあ……。最近は食事の量も少しずつ増えてきて、咳が止まらなくなったり寝込んだりという頻度も段々と減ってきているみたい。
というのも例の診療所にリーノ様が出向いて、薬学研究院の同僚のレシピを伝えて消化を助けるお茶を煎じてもらったりしているみたいだね。クラリス様は、これまでミルサティーを飲んでいた代わりにそれを飲んでいるんだって。その成果が出ているのかな?
結局何が悪かったのか、というか何かが悪かったのか、それとも例の薬師や商会の悪意から遠ざかって何かしらの悪影響から解放されたからなのか、正直誰にも正確なところはわからないのだけれどね。
クラリス様は元々生まれつきお身体が弱いようだし。この数年の商会と奥様が繋がりを持ち始めた頃よりも、それより以前の幼い時分からよく体調を崩されていたらしいからね。それでもどうかこのままゆっくり療養なさって、いつかもっともっとお元気な姿を見せてくださる日が来るといいなと願う。
小説の中みたいに、超級回復魔法で劇的に完治! とか、もしくは元凶の呪いをかけてる悪者がいてそいつを退治したら完治! とかね。そんな派手な解決ができればいいけど、実際の人間の身体の調子なんて、こんな感じで少しずつよくなったり悪くなったり……っていう感じだもの。だから地味でも、本人も周りも自分たちにできることから少しずつ着実にやっていくしかないんだよ。
クラリス様の体調がこのまま改善に向かうのならば、このエンテ邸を引き上げて王都にあるシュトルヒのタウンハウスへ帰還する話も出始めているみたい。王都にはちゃんとしたお医者さんも家族も近くにいるわけだしね。
そもそもここでの療養は例の怪しい商会担当者の勧めだったわけだから……おそらく故意にクラリス様を王都や領地から引き離すことで、都合の悪いことを隠そうとしてたってことなんだと思う。
さて。クラリス様の帰還にはまだもう少し準備が必要だろうけど、私たちはそこまでの期間ずっと付き合っていられるわけじゃない。私についてはありがたいことに、このエンテ邸の滞在中の期間についても『若様の助手』っていう名目で『アインホルン邸の使用人』としての仕事をしている、という形をとらせてもらってるんだけど、王城文官組のお兄様たち三人は王城でのお仕事があるからなあ。論文の取り寄せや照会なんかもひと段落ついたわけだし、私たちはそろそろこちらを引き上げて王都へ帰るかなという話になっている。
期間としてはたったの一か月くらいだったんだけど、いざ離れるとなると少し寂しいね。普段と違って翻訳の仕事をメインでずっとしたのが、新鮮で結構楽しかったから。もちろん忙しかったし難しいことも色々あったけど、お兄様になんでも聞けて、なんでも教えてもらえたから乗り越えられた。
アインホルン邸に使用人として出仕した経緯が経緯だからすぐに退職ってわけにもいかないとは思うけど、それでもゆくゆくはお兄様を追いかけてお城に文官として勤めて……いや、文官にならなくても、お兄様やティナお義姉様の伝手で依頼を回してもらって個人で翻訳や通訳の仕事をするとか? そんなのも楽しいかもしれないな~。
いや……でも私の場合は、将来って話であればまずとりあえず結婚について考えないといけないんだった……。現実的に考えれば、結婚する相手によっては仕事を続けられるかわかんないもんね。
まあ結局若様たちご兄弟との婚約話も流れそうだし、現状婚約する相手なんていないからどっちにしても先の話だよ。
だよね? イヴァン様との婚約はもう絶対無理だよね? だってあれだけ可愛いクラリス様を溺愛してるところをこうも毎日見せつけられたらね……。
そもそも私ってああいう溺愛とかされるようなキャラじゃないもん……想像できないし。いっそ結婚しないってのもありかなあ。
そんなことを考えながら、バルコニーの手すりに頬杖をついて庭園の向こう側に広がる湖畔を見渡していた。光の粒が水面にキラキラと反射していて綺麗だね……心が落ち着くよ。
ふとカチャリと窓を開ける音がしてそちらに視線を移すと、隣の部屋から同じようにバルコニーへと出てきた人物が一人……フェリシア様だ。彼女も私の視線に気づいて、小さく会釈をしてくださる。彼女は本当に真面目という言葉がぴったりの、きちんとした方だよねえ。
「こんにちは、フェリシア様」
「アリス様、ご苦労様です。今はご休憩なさっているんですか?」
「はい。こちらでの仕事も目途がつきましたし、今は王都へ帰還するための荷造りを少しずつ始めているところです。そちらは?」
「クラリス様が今日は調子がいいということで、イヴァンがついているので任せてきました」
あら、ちょっと意外。そういうこともあるんだね。イメージとしては、イヴァン様に任せるとか承諾しそうにないけど。
「ああ、もちろん侍女のゾフィーさんがいてくださるので二人きりではありませんが。あいつに言われたんです、たまには俺にもクラリスを独占する機会を譲ってくれよって」
もうね、あいつ扱いよ。まあ普段フェリシア様がイヴァン様から受けてる扱いを見ればそう言いたくなるのもわかるけど。でもその表情はいつもイヴァン様を前にしてる時のような険しいものではなくて、どちらかというと……なんだか親しい間柄の相手のことを話しているんだなぁと感じられる、ちょっと柔らかい雰囲気だね。
「まあ、こちらへ……エンテ領へ来てから、私がずっとクラリス様を独占していたのは事実ですから。イヴァン本人に面と向かっては言えませんけど、彼がクラリス様を大切に思ってくれている気持ちは私も共感できますしとても感謝しているんですよ。……ただ、いつも向こうがあの調子で喧嘩腰で突っかかってくるので、ついつい売り言葉に買い言葉になってしまうのですけれど……いつもお恥ずかしいところをお見せしてしまって、申し訳ないです」
うん、それについては仕方がないよ。フェリシア様は悪くない、イヴァン様の方がかなり大人気ないとこある。
というかね、だんだんわかってきたんだけど、あの人って気心が知れれば知れるほどなんか相手の扱いが雑になるよね……? これは私自身の実体験だけどさぁ。
「私も、イヴァンがクラリス様と婚約関係を続けることでどれほどクラリス様のお立場を守られているかということについては、重々承知してはいるんですが」
「お立場……? というのは?」
ん? どういうことかな。ええとつまり……イヴァン様が婚約を解消しちゃうと、クラリス様のお立場が悪くなる?
「ええと……その。クラリス様のお身体が弱いのは生まれつきですので……。博士たちにお世話になってからこちら、最近少しずつ体調は改善されてはいるようですが。かといって、やはり根本的にはお身体がお強くはありません。おそらく、将来にわたってあまり活発に活動するということは難しいかと存じます。それはシュトルヒ公爵令嬢からアインホルン公爵夫人に肩書が変わったとして、急にできるようになるという話ではないと思いますので……」
「……それはそう、ですね……」
幼い頃から体調を崩されてたという話であれば、私もイヴァン様から聞いている。
確かにカロリーナ奥様のあの精力的に社交に臨まれている活動的なお姿を見ていると、素直にすごいなと思うもん。クラリス様がそのままイコールああなるとは考えにくいし、性格や向き不向きがあるんだから別に必ずしもカロリーナ奥様を目指す必要もないとは思うけど。とはいえ、それでも少なからずプレッシャーは感じるだろうねえ。
「社交とかそういうのが体力的に大変だというお話ですか? それなら得意な方を部下として雇ってお任せするとか……」
ねえ。公爵家のお金を使えるんだからさ、方法は色々とあるとは思うけどなあ。
「ええ、ほとんどの仕事は他の者が支援したり肩代わりしたりできます。ただ、その……一番大切なお役目だけが難しいので……」
「一番大切な、お役目……?」
口に出して、数秒考えを巡らせて。…………ああ。ああ~…………そうか。そうだね。
わかった。…………お世継ぎだ。
「なるほど。……それは、確かに……」
それなら、今フェリシア様が少し言い淀んだまま敢えて具体的に口にしないのも納得だわ。それだけは確かに、お金でも権力でも解決できない。
うん……。イヴァン様が婚約を解消しちゃうと、そんなお世継ぎを望めない令嬢なんて次の貰い手がないってことだよね?
それにもしイヴァン様が婚約を解消した後、そのままクラリス様が生涯独身っていうのならまだマシだよ。次に婚約が決まって嫁ぐことになった相手が、クラリス様のお身体なんてどうなってもいいから公爵家の血だけが必要っていうような酷い手合いな可能性だってあるわけだもんね?
うわ……自分で想像しておいてなんだけど、そんなの怖すぎるよ、血の気が引くよ……。嫌な話だけど、実際そういう話は特に王族貴族の界隈では全然聞く話だもんね。奥様がお世継ぎだけ遺して逝く、みたいな……。やだやだ、怖い。
でもね。イヴァン様……我らが若様はそういう価値観に生きてないと思うんだよ。あの性格で、しかもクラリス様をあんな風に溺愛してる人だもんね……可愛いクラリス様に、そのお身体が妊娠や出産で危険に晒されるかもしれないリスクを負わせると思う? 周りがどう言おうが、万が一クラリス様ご自身がそう望んだとしたって、それでも絶対にさせないだろうなぁ……。
貴族として、家を継ぐ者、家を守る義務がある者としてはもしかしたら失格かもしれないんだよ。でもね、どうしてもそっちが好ましいって思ってしまうのは……私も、あんまり貴族らしい考えじゃないんだろうなあ。……うん。一応、自覚はあるんだけどね……。
つまりイヴァン様って、婚約を意地でも解消しないことでクラリス様をそういう世間の悪意から守ってるってことだよね?
えっ……それって、本当に……まさに、純愛ってやつじゃない?
二人の間の雰囲気がいわゆる恋愛感情みたいな感じがしないとか、正直もうそんなの関係ないよ。それは間違いなく、愛だわ。イヴァン様、ちょっと見直したかもしれない。デュフフとか言ってそうとか思って本当にごめんなさい。
更に詳しくフェリシア様が語ることには、クラリス様のお母様であるシュトルヒ夫人エレオノール様ご自身もかなりお身体の弱い方でね。クラリス様の上のお兄様はご健在で優秀な方だからシュトルヒ家自体は安泰なんだけど、二人目のお子様、つまりクラリス様の下のお兄様は幼くして亡くなっているんだって。
クラリス様の次のお子様……無事に生まれていたら弟か妹だったんだろうけど、その子も夫人のお腹の中で天国へ行ってしまったそうで。その影響で、もう以降のお子様は望めないとのこと。
…………存外に重たい事情だったわ……それはまあ、迷信にも走るかもしれないね……。実際に被害をこうむって苦しんだクラリス様のことを考えると仕方ないとは言えないけど、頭ごなしに非難もできないよ……。あと、よりによってそこに付け込んだ例の商人たちはマジで許せないなって気持ちも強くなったよね。




