時空の三連星 第1章 第16話
第十六話
:虚空の調律
静寂が、高層ビルの屋上を完全に支配していた。
先ほどまで響いていた激突の風音すら、今はもうない。
御子柴 駿の展開する『絶対知覚圏』は、いまや周囲のノイズを完全に削ぎ落とし
ただ一点、目の前の「女性」の存在確率だけに集中していた。
駿の網膜が捉えているのは、もはや一人の人間の姿ではなかった。
シズという器を中心にして、世界の因果が三層にねじれ、融解している。
彼女が静かに息を吸うだけで、大気の中に「精緻な数理の並び」がまたたき、彼女が指先をかすかに揺らすだけで、空間の重力バランスが物理法則を無視して書き換えられる。
内なる声が囁くのではない。彼女の輪郭そのものが、言葉以上に雄弁に
彼女たちの「これまで」を語っていた。
天上の平穏を自ら引き千切り、夜の暗闇の中でたった一つの光だけを凝視し、朝の光の中で己のすべてを削り、鍛え上げてきた魂の層。それが、駿の知覚圏を激しく侵食し始めている。
「……世界を書き換えにきたか、シズ」
駿はバーボンの残香が漂う夜気の中で、歓喜に胸を震わせながらも、その肉体は凍りつくほど冷徹に次の瞬間を「観測」していた。
シズが、ゆっくりと歩みを進める。
その一歩は、物理的な移動ではなかった。
『絶対知覚圏』が捉えた彼女の未来位置が、一瞬にして「三つ」に分裂する。
右から迫る、空間を寸断するような苛烈な断絶の理。
左から滑り込む、因果の先をあらかじめ塞ぐ冷徹な数理の網。
そして正面から、すべてを優しく包み込みながら、ただ真っ直ぐに己の破滅すら厭わず突き進んでくる――純白の光。
かつてベッドの上で祈った無垢な少女が、時空の果てから手繰り寄せた、天をも堕とす「聖愛」の具現。
(面白い。俺の予測の、そのさらに外側を跳ぶというのか)
駿の脳内演算が、かつてない速度で火花を散らす。
分が悪いなどという次元は、彼女たちが踏み出した瞬間に瓦解していた。彼女たちは、勝つためにここに来たのではない。駿という絶対の存在と「一つに溶け合う」ために、世界の理から逸脱してきたのだ。
駿は、避けることをやめた。
王としての絶対的な力を、その手のひらに物質化させるかのように握りしめる。
「来い。お前たちの、その真っ直ぐな世界のすべてを――俺がここで、完全に固定(観測)してやる」
世界が静止したかのような錯覚の中、堕天使の純光が、絶対知覚圏の核へと突き刺さる。
魂の格闘は、言葉を置き去りにしたまま、臨界点を突破した。




