第4話:援軍(えんぐん)
「まだ抵抗できるの? どうやら貴方の主は、なかなかの食わせ物みたいね♪」
これほど強大な精神汚染に耐えるのは、もはや精神力の強靭さという次元ではない。何らかの強力な「精神の加護」が働いている証拠だ。
タノシは神力の出力をさらに引き上げた。あと三十秒もあれば、彼の肉体を完全に掌握できる。
「愛と……責任を知らぬ……化け物め……可哀想に……っ!」
絶体絶命の淵に立たされながらも、伯尼達斯の瞳にあるのは悲憫の情だった。
自分の境遇への嘆きではない。目の前にいる人皮を被った獣に対し、心の底から哀れみを感じていたのだ。
それが、タノシをより不快にさせた。
「……本気で叩き潰してあげるわ。深淵邪――」
**ドォォン!**
突如、物陰から放たれたレーザー砲がボニタスの頭部を直撃し、粉々に打ち砕いた。
それだけではない。
**ドンドン、ドォォォンッ!**
ほぼ同時に十発のレーザーが乱射され、周囲に浮かんでいた十個の金属球が次々と爆発する。
そして――。
**バァァンッ!**
レーザーを放った張本人である金属球までもが、自爆を遂げた。
「!」
予期せぬ異変に、タノシは数秒間、虚を突かれた。
今の攻撃は……彼女の血に汚染され、操り人形にしていたはずの金属球の一つだった。
(私の魔血は強力な幻覚作用があるはず。どうやって術を解いたのかしら……。翼人族と同じ神術の仕業?)
「まったく、姑息な連中ね。……それと、遅すぎるわよ!」
タノシが言い放つと同時に、一人の人影が重く地面に着地した。
「ただの下僕が、主人の危機に真っ先に駆けつけないなんて。私が暗殺されたらどうするつもり?」
タノシの詰問に対し、青嵐は動じる様子もなかった。
彼女は衣服に付いた埃を払いながら、淡々と答える。
「あんな雑魚、百体並んでも貴女様の敵ではないでしょうに」
長く苦楽を共にしてきた青嵐には分かっていた。主人が本気など出していないことを。
今の今まで時間を稼いでいたのは、純粋に情報を引き出すためだ。
「……あっち(湯評)はどう?」
「まあ、私の男ですからね。あの程度、やってのけて当然ですよ」
青嵐は誇らしげに胸を張る。タノシはそれを見て露骨に白目を剥いた。
タノシは背後の触手一本を器用に操り、地面に散らばった紙片から一枚を拾い上げる。
一瞥した瞬間、彼女は呆然とした。
『剣角白羊』の皮をなめした羊皮紙。そして『太陽狩鷹』の血に『英霊果』を混ぜ合わせた金色のインク。
これらは高位神族が「神器級」のスクロールを製作する際に用いる最高級の素材だ。
やはり、金属球の背後にいる黒幕は相当な格の持ち主らしい。
続いて、そこに綴られた「神の文字」を解読したタノシは――。
「……こまめに水分を摂ること?」
タノシは絶句した。慌てて別の紙を確認する。そこにも奇妙な内容が書かれていた。
「……夜更かしせず、決まった時間に寝ること?」
タノシは言葉を失った。あまりにも脈絡がない。
核反応炉にも匹敵する神器レベルのスクロールを、これほど一級の素材で作っておきながら、なぜ書かれているのはこんな平凡な内容なのか。
(この神様、絶対に頭がどうかしてるわ……)
タノシはそう確信し、羊皮紙を『水神の印』へと放り込んだ。
「さて……神の領域に土足で踏み込んだネズミ共を、お掃除する時間ね」
タノシは遠くを見据える。そこには火の手が上がる、古びた城がそびえ立っていた。
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湯評は高く跳び、倒れた巨木を飛び越えた。
着地で滑りそうになったが、気にする暇はない。今は彼を邪魔する者は誰もいないのだ。
『海月神行 (くらげしんこう)』の加護を受けた彼の脚力は、五輪の金メダリストを容易く凌駕する。
数百メートルの距離を、わずか二、三分で駆け抜ける。
だが、その表情に歓喜の色はない。あるのは激しい「後悔」だけだ。
(……本当なら、戦場に骨を埋めるべきだった。タノシ様の足を引っ張るくらいなら!)
自分が力を浪費したせいで、彼女が苦しまなければならなかった。その光景を思い出すたびに、胸が締め付けられる。
気づけば、湯評は城に辿り着いていた。
彼は足を止めない。この城がどこから現れたのか、中に誰がいるのか、そんなことは重要ではない。
安全な部屋を見つけ、タノシが迎えに来るまで潜伏する。それが今の自分にできる、最善の「戦い」だ。これ以上、彼女の重荷になるわけにはいかない!
高い城壁を抜けた瞬間、湯評の目に凄惨な光景が飛び込んできた。
芝生の上に、灰色のマントを羽織った人物が倒れ込んでいる。転んだらしい。
そして彼女の背後には、巨大な黒甲冑の兵士が立ちはだかっていた。
兵士は長剣を振り上げ、今まさに彼女を切り裂こうとしている。
湯評の思考が追いつくより早く、腕が動いた。
「海月斬 (くらげざん)!」
蔚藍の斬撃が空を裂き、一瞬で黒甲冑の兵士を真っ二つに両断した。
マントの人物が驚愕に目を見開く。
彼女が身を起こし、月明かりの下で助け主の顔を確認しようとした時、湯評はすでにその場を離れていた。
彼の視界の端に映ったのは、微かに灯るオイルランプと、フードの隙間からこぼれた二筋の金髪だけだった。
湯評はそのまま建物の中へと突き進む。
……だが、彼は即座に後悔した。
今の一撃に、残っていた魔力のすべてを込めてしまったからだ。
『海月神行 (くらげしんこう)』の輝きが消えていく。もはや神術は使えない。
ここからは、ただの「人間」として切り抜けなければならないのだ。一本のナイフでさえ、彼の命を奪う脅威となる。
(……早く、安全な場所を見つけないと!)
大広間を抜け、中庭へと飛び出した瞬間。
湯評は、前方から来た黒髪の屈強な男と正面衝突した。
二人はもつれ合い、地面に倒れ込む。
男は血だろけの古い皮鎧を纏い、酷い酒の臭いをさせていた。
湯評は吐き気を催すようなその臭いに、顔を歪めた。
湯評は屈強な男を突き飛ばし、震える足で立ち上がった。
地面に尻餅をついた男は、湯評の身なりを一瞥すると、即座に彼を指さして大声でわめき散らした。
それは地球のどの国家とも違う、奇妙な言語だった。
どこかで聞いたことがある――湯評はそう感じたが、今は思考を巡らせる余裕などない。
男は仲間を呼んでいるようだ。早くここを離れなければ!
その時、彼はようやく現場の惨状を目の当たりにした。
広大な庭園の中央にある噴水、あるいは壁際の木陰。いたるところで人々が血みどろの死闘を繰り広げていた。
長剣を交え斬り結ぶ者、杖を掲げて魔法の光弾を放つ者。
男たちは異様な意匠の鎧を纏い、凄惨な面持ちで殺意を剥き出しにしている。
対して女たちは、質素な白い服やドレスに身を包み、怯えた表情で必死に防衛魔法を展開していた。
(……二つの陣営が争っているのか!?)
「?!」
一体何が起きているというのか。
**ガチャン、ガチャン!**
周囲から不気味な足音が響き渡る。
湯評が振り向くと、いつの間にか左右を革鎧の兵士たちに囲まれていた。
彼らはシミター(曲刀)を構え、凶悪な笑みを浮かべて湯評を切り刻もうとしている。
もはや逃げ場はない。
「くそったれ……!!!」
湯評は奥歯を噛み締めた。
神術さえ使えれば、こんな雑魚共など敵ではない。
だが、今の自分には……。
「しゃがみなさい!」
上空から声が降ってきた。
モニカだ。
湯評は反射的に頭を抱え、その場にうずくまった。
ふと疑問がよぎる。先ほどの戦闘で、端末であるエーテリス(Aetheris)は砕け散ったはずだ。なぜ彼女の声が聞こえる?
だが次の瞬間、天から降り注いだ「答え」がその疑問をかき消した。
**ドォォォンッ!!!**
七基の巨大なミサイルが天を裂いて着弾し、猛烈な土煙を巻き上げた。地面は蜘蛛の巣状に砕け散る。
その中央にいた湯評だけが、まるで精密な計算に基づいたかのように無傷で守られていた。
**プシューッ!**
ミサイルではない。それは「育成ポッド」のハッチだった。
エメラルド色の輝きが薄暗い城内を照らし出し、大量の白煙が噴き出す。
そこから、七つの人影がしめやかに姿を現した。
その場の全員が、言葉を失い凝固した。
兵士たちも、神官たちも、戦うことすら忘れて庭園の中央に釘付けになった。
「……あれが、モニカがドックで秘密裏に進めていた、実験の成果か……」
湯評は呆然と呟いた。
七人の女性が同時に一歩を踏み出し、土を踏みしめる。その動きは機械のように一糸乱れぬものだった。
豊満な者、しなやかな者、体格は様々だ。
だが彼女たちには共通の「装束」があった。
深い紺色のハイレグ・ボディスーツに、胸元と四肢を包む消光白の外骨格アーマー。そして顔には、異質なVRディスプレイが装着されている。
**シュンッ!**
彼女たちの姿がかき消えた。
次の瞬間――。
**ヴンッ、ヴンッ、ヴンッ――!**
湯評を包囲していた革鎧の兵士たちが、突如として崩れ落ちた。
否、彼らは一瞬で「肉塊」へと変わったのだ。
立ち込めるのは強烈な焦げ臭。一滴の鮮血すら流れる暇を与えない、超高熱の断裁。
彼女たちが同時にレーザーブレードを鞘に収め、湯評を護るフォーメーションをとった時、ようやく衆人は何が起きたかを理解した。
わずか七人で、一瞬にして二十七人の兵士を殲滅したのだ。
男の兵士たちは戦慄し、目の前の敵を放置して中央へと集結し始めた。彼女たちを優先排除すべき脅威と見なしたのだ。
対して、白衣の女たちは安堵の吐息を漏らした。
正体も目的も不明だが、敵兵の反応を見る限り、彼女たちは「味方」であると判断したからだ。
(……よかった、ブラウアー帝国(Blauer Empire)はまだ滅びていない!)
「エルース叔母様!」
角から灰色のマントを羽織った少女が飛び出し、戦っていた女神官のもとへ駆け寄る。女神官も驚喜の声を上げた。
「ジェナ! 無事だったのね!」
二人は固く抱き合った。少女がフードを脱ぐと、砂金のようなブロンドの髪が月光に輝く。
「うん、クーパーリック王国(Couperic Kingdom)の兵士に絡まれて危なかったんだけど、通りすがりの人に助けられたの……ねえ、あのアジア系の彼らは誰? 私たちの援軍?」
ジェナが湯評たちを指して尋ねる。
イルズは首を振った。
「分からないわ。けれど、彼女たちが敵国兵を倒してくれたのは事実よ。今は彼女たちと共闘して、六国連軍を追い払いましょう!」
一方――。
ボディスーツの美女たちは六角形の陣形を組み、湯評を背後に隠した。一人が彼の傍らにぴたりと寄り添い、ガードを固める。
「モニカ、助けてくれたのは嬉しいけど……たった七人じゃ少なすぎないか?」
黒圧々と押し寄せる筋肉隆々の男たちに対し、こちらは七人の「か弱そうな」美女と、神術を使えない非力な文書官。どう見ても絶望的な戦力差だ。
『……少し前まで、地下ドックで「人体実験なんて非人道的だ! こんな恥ずべきことには関わらない!」って大声で罵っていたのはどこのどなたかしら?』
湯評の隣に立つ美女のVRデバイスから、モニカの声が響いた。
『あら? 今度は心変わりしたの? さすがは男ね! 口では綺麗事を並べても、体は正直なんだから。七人じゃ足りない? 貴方の性欲は一体どれほど強欲なのよ!』
「…………」
湯評の頭上に無数の黒い線が浮かぶ。
モニカは人間ではないはずだが、こういう嫌味なところは女以上に女らしい。
彼は焦って周囲を見回した。
「今は下ネタを言ってる場合じゃないだろ! なんとかしてくれ、囲まれてるんだぞ!」
押し寄せる兵士の数は、刻一刻と増え続けていた。
ローブを纏った数人の男たちが、その手にタイヤほどの大きさの魔法光球を凝縮させていた。
機が熟せば、彼らは躊躇なくそれを放つだろう。湯評は確信した。このままでは全滅する――。
「大丈夫よ。あの方が来たわ」
「……え?」
**ドォォンッ!**
一筋の人影が、砲弾のごとき勢いで降り立った。
彼女の足元にいた四人の兵士は、一瞬にして鮮紅の肉片へと成り果てた。
窒息するほどの強大な「神威」が爆発し、城中の窓ガラスが粉々に砕け散る。
半径一キロメートル以内にいた全生命体は、湯評と七人の護衛を除き、ことごとく意識を失い崩れ落ちた。
大邪神――タノシは衣の袖を払い、こびりついた返り血を無造作に振り落とした。
彼女は倒れた群衆に一瞥もくれず、平然と言い放つ。
「全員、殺しなさい」
その言葉が終わるや否や、七人の女護衛たちが同時にレーザーブレードを掲げた。
**ヴォォォォ――!**
鼓膜を刺すような重低音の唸りが響き渡る。
高周波のプラズマエネルギーが収束し、蛍光灯ほどの太さだった潔白の刃が、見る間に五、六倍へと膨張した。長さ三メートルに及ぶ「究極の兵器」の完成だ。
刃の縁には淡紫色の光が激しく明滅し、その超高温が周囲の空気を歪ませ、地上の礫が強烈な電磁力によって音もなく浮上する。
この巨剣が振り下ろせば、鋼鉄の航空母艦ですら一刀両断される。湯評は本能で悟った。
だから、彼は動いた。
「待ってくれ!」
蔚藍の防護障壁を展開し、数人の白衣の女性たちの前に立ちはだかる。
それは体内に残された、最後の一滴の力だった。
蝉の羽のように薄く、指先で突けば壊れてしまいそうなほど脆弱な盾。それでも、彼はそれを使った。
「?」
目の前の「青色」に、タノシの思考が一瞬止まった。
彼女は手を挙げ、部下たちの動きを制すると、不可解そうにその海月の盾を見つめた。
七本の巨剣が宙で止まる。耳を裂くような唸りに、湯評は冷や汗を流した。
「あの……もっといい考えがあるんだ。だから、今は彼女たちを殺さないでくれないか?」
マントの少女たちの前で、湯評は必死に懇願した。
……嘘だ。
名案などない。ただ、頭に血が上って飛び出しただけだった。
湯評がこの絶望的な状況を打破する言い訳を必死に絞り出そうとした時、タノシが奇妙な問いを投げかけた。
「……どうして、青色なの?」
「え?」
湯評の思考が真っ白になる。問いの意図が理解できない。
「貴方の契約は他の眷属とは違う、唯一無二のもの。貴方の体へ流れ込む神力の純度は百パーセントのはずよ。なら、普通は私と同じ『緑色』になるはずなのだけれど」
タノシが右手をかざすと、その掌の上に海月の盾が浮かび上がった。
だが、湯評のそれとは決定的に違う――それは毒々しいまでの「緑色」だった。
湯評は呆然とした。色の違いなんて、知るはずもない。
ガソリンスタンドへ行って、ガソリンの色の違いを気にする人間がいるだろうか?
「最後の戦いで……貴方は、何を見たの?」
銀髪の女神が微笑む。
その深淵な紫の双眸は、湯評の偽りを見透かし、魂の最深部まで暴き出そうとしていた。
湯評はありのままを答えるしかなかった。自分でも何を言っているのか分からぬまま。
「……果てしない蔚藍。それと……その先にある、黄金の光です」
斬撃と彗星が衝突した刹那、彼は確かにその光景を目にしていた。
「ふふっ」
タノシは興味深げな表情を浮かべた。
絶滅したマンモスでも観察するかのように、湯評の周りをゆっくりと歩き回る。
「貴方……!」
不意にタノシの表情が強張った。何かの声を聴いたかのようだ。
湯評には分からなかった。モニカからの戦況報告だろうか、と推測するしかなかった。
「……彼らの処分は、貴方に任せるわ。私が指示を出すまで、生かしておくことを許しましょう」
そう言い残すと、タノシは背を向けて立ち去った。
後に残されたのは、意識を失い転がる群衆を前にした、湯評一人だった。
---
城外の広大な草原。緑髪の龍姫――青嵐がそこに佇んでいた。
「重要な用件とは、何のことかしら?」
タノシが幽霊のように青嵐の背後に現れた。
青嵐は驚く風もなく、『水神の印』から一枚の黒い石板を取り出し、主へと差し出した。
「世界の意志からメッセージが届きました。貴女と『交渉』したいようです」
「フン! 放した野良犬どもを片付けられた途端に交渉だなんて。厚かましいにも程があるわね」
タノシは不屑そうに鼻を鳴らした。
彼女は黒石板を受け取り、その滑らかな表面をなぞる。
十三インチのタブレットほどの大きさで、見た目の重厚さに反して驚くほど軽い。
漆黒の石材。黒曜石のようでありながら不純物が一切ない。この星の特産物だろうか。
タノシがゆっくりと神力を注ぎ込む。
石板が起動し、その表面に三つの奇妙な意匠の古代文字が浮かび上がった。
それは神々にのみ解読を許された「神文」。
タノシは無意識に、その名を口にしていた。
「……封神榜?」




