547.だから彼は来たのだと
ディアナが気絶した時、アベルは咄嗟にその体を支えた。
一目見てそれが演技でない事は察したからだ。今宵二度目となる王子の眼前での気絶、周囲は当然どよめいた。
「なに…!?」
「え?あの方、気を失ったの?」
「殿下に声をかけておいて…フリでしょう?」
「どうなっているの、今夜は」
「ディアナ嬢っ!失礼、道を空けてくれ」
自分を引っ張る令嬢の手をなんとか剥がし、人を掻き分けてロビンが戻ってくる。
意識のないディアナをアベルが抱えているのを見て、彼は顔色を悪くした。
「申し訳ありません、殿下。彼女具合が悪そうだったのに、俺が強引に――」
「見え透いた嘘はいい、どきなよ。医務室に連れて行く」
「殿下にお手間をかけるわけには…!」
舞踏会の流れを止めることなく、次の曲が始まった。騒ぎを見守っていた者もその多くは視線を戻し、パートナーとのダンスや友人との会話に戻る。
それでも一部の人々は、さっさと歩き出したアベルとそれを追うロビンを見ていた。
「殿下自ら運ぶとは随分な特別扱いだな。どこの娘だ?」
「聴取のためでは?第二王子殿下は無礼者に容赦がないと聞いたよ」
「そもそも何があって……ひょっとして、何かされたのでは?」
「おいあんた、滅多な事言うもんじゃない。」
気絶した令嬢を運ぶ王子の姿に、進む先に居た者達は困惑しながらも素直に道を譲っていく。
しかし反対に、廊下へ出る扉の前へ進み出た男女がいた。アベルが見やると、二人は揃った動きで丁重に一礼し顔を上げる。
ダン・ラドフォードとメリル・カーソン。
「殿下、よろしければ自分がお運びしましょう。」
「頼む。ダン」
アベルがディアナを渡す間に、彼らの主人であるシャロンも到着した。
その顔に微笑みはなく、心配そうにディアナの様子を近くで窺ってから口を開く。
「メリル、先に医務室へ連絡をお願い。」
「承知致しました。」
手振りを交えて指示し、ダンと目を合わせて頷いた。傍から見ても彼らがアーチャー家の者だとわかるように。
彼女は自らが焦って駆け付けるのではなく、対応する使用人を先に行かせ、自分は話し相手に断りを入れてから現れた。
眉間に皺を寄せた第二王子殿下と目が合い、シャロンは控えめに短く淑女の礼をする。
――用がなければ、とうにディアナ様に背を向けているはず。何があったのかしら…
「殿下。私も同行致します」
「君は――…いや、いい。わかった」
残ればいい、と言うつもりだったが、アベルは大人しく飲み込んで歩き出した。
メリルが開けた扉は警備担当が押さえてくれている。
ディアナをダンに渡した以上、同行の意思を示した主人を置いてアベルだけ行くのは不自然だ。
人は下世話な噂を好む。アーチャー家とはいえ、使用人の立場で王子に「お前達はもういい」とでも言われたら、果たして逆らえただろうか…などと勘繰られては、面倒な噂が立つだろう。
もしそうなってもアベルはさして気にしないが、そんな噂にアーチャー家を巻き込む気はない。
そして今、シャロンが「当家で預かります」と言っていたなら、アベルを会場へ残していく事ができた。そう言われてなおも食い下がるのは、何か思惑があって強引に同行したがっている、と示すようなものだからだ。
シャロンが「同行」と言ったのは、アベルの意図を汲んでのものである。
――あまり俺に付き合わせるような姿は見せたくないが、やむを得ないか。
「オルコット、君は来なくていい。」
「…はい。お二人にご面倒をおかけし、申し訳ありません。」
「別に。君がした事じゃない」
人数的にも、ディアナに付き添って当然の関係かどうかという点でも、相手が王子と公爵令嬢である事から言っても。ロビンがここで強引に同行を願う事はできなかった。
扉から出て行くアベル達の背中に向けて、ロビンは深く礼をする。
離れた位置にいるウィルフレッドやチェスターは、何かあったらしいとは察しているのだろう、騒ぎが大きくならないようにそれとなく周囲の注目を自分に集めていた。
サディアスはヴァルターの様子を見るため二階へ上がっており、フェリシア達も遠い。アベルがディアナを連れて出る前に到着できる距離にいたのは、シャロン達のみだった。
アベル達が出て行って数十秒、同じ扉がガチャリと開く。
周囲の視線が一気に集中し、ただトイレから戻っただけのフェル・インスはサングラスの向こうで瞬いた。
視線はすぐに全て外れ、人々は何もなかったように舞踏会を楽しんでいる。何かあったんですかァ、と聞ける相手もそこにはおらず、フェルは首を傾げながら入室した。
「それで、何があったの?」
北校舎のダンスホールを出て、南東校舎の医務室へ。
人気のない廊下を歩きながら、シャロンはアベルに尋ねた。
「わからない。どういうつもりか、ダンスに誘われてね。いい度胸だと手に触れた途端に倒れた。」
「手に毒でも持ってんのかよ…」
「ダン。真面目な話をしてるのよ」
「へいへい、失礼しました。」
大人しく口を閉じたダンから視線を外し、シャロンは少し眉根を寄せる。
アベルが「どういうつもりか」と思うのも無理はないだろう、ディアナ・クロスリーは彼を誘えるような関係を構築していないし、性格からして本人の意思とも思えない。
「オルコットが言うには体調が優れなかったらしい。確かに元から震えていたけど、主に僕を恐れての事だと思っていた。」
「それでも貴方から見て、気絶に陥るほどではなかったのね。」
「ああ、あまりに唐突過ぎた。君がどう思ってるか知らないが、その娘は割と豪胆だよ。僕が触れたくらいで気を失うほど貧弱じゃない」
かつて王城で会った際にアベルが何を言われたかなど、彼女に声をかけたロビンが魔法で追い払われた事など、わざわざシャロンに教える事はしなかった。
しかしいずれも感情の起伏なく、まるで作業をこなすような顔をしていた女である。
精神的な理由だというのは、アベルには到底信じ難かった。
――だからこそ。らしくもない震えながらの申し出を妙に思って、受けようとしたんだけどね。
「もしかして、遅効性の毒を疑っている?」
「あるいは飛び道具か何らかの魔法で、誰かにやられたかだ。」
「貴方に気付かれずに?」
「…不可能とは言い切れないからね。そのあたりの痕跡の有無を調べさせた方がいい。」
「なるほど……」
だからアベルは同行したのだと、シャロンは理解する。
注目を集めてしまったあの場では、ダンに医師への言伝をするのは難しかった。
それにアベルの性格なら、できる限りは自分で伝えるようにし、その場に誰がいたのか、医師の誰が診たのかも把握しておきたいだろう。
医務室前で待っているメリルが見えてくると、三人は自然と足を早めた。
まずディアナを抱えたダンが先に入り、既に用意されていたベッドへ寝かせる。その間に、アベルが中にいた医師ローリーに外傷の有無などの確認を依頼した。
「メリル、念のためについていてくれる?目が覚めたら、ロビン・オルコット様が心配していた事も伝えてあげて。」
「畏まりました。」
メリルを残した三人は退室したが、ダンは廊下へ一歩出ただけで足を止める。
アベルとシャロンが彼を見上げ、後方でメリルも不思議そうに瞬いた。
「俺も残る。野次馬が来るかもしれねぇしな」
「いえ、私だけで充分――」
「廊下で見張っとくわ。」
ばたん。
メリルの言葉を遮って扉を閉め、ダンは少しばかり声を潜める。と言っても、そこにいるアベルにも余裕で聞き取れる声量だった。
「舞踏会は堅苦しくて気詰まりしたろ、お嬢。戻る前に、王子サマに散歩でも付き合ってもらえよ。」
「散歩って…」
「じゃ、こっちは任せとけ。後で報告するわ」
ひらひらと手を振るダンに見送られ、アベルとシャロンは来た道を引き返す。
曲がり角でダンの視界から消える頃にようやく、アベルはちらとシャロンを見やった。
「…気詰まりしたのか?」
「えっ、と…」
どう返せばいいかしらと、シャロンは焦りを滲ませる。
ダンが言った事については、「急に何を」とすら思っていた。
――それなりに気を遣う場だったのは確かだけど、アベルの時間を取ってもらう程じゃない。公爵令嬢として、あれくらいの会話もダンスもどうという事はない……けれど。
ダンに言われた時も、アベルに尋ねられた今も、シャロンは即答できなかった。
大丈夫、戻りましょうと言う事ができなかった。
なぜなら。
――頷けばきっと、アベルはもう少し一緒にいてくれる。
心臓がどくりと鳴った。
彼の優しさを利用するのはずるい事なのではないか、まだ一緒にいてほしいなんて、稚拙ではないのか。やめておいた方がいい。自分のためにも、これ以上は。
「シャロン」
正直に言え、という催促が来た。
じろりと見下ろしてくる彼は、要は「疲れているなら隠すな」と気遣ってくれているのだ。シャロンは躊躇いながらも口を開いた。
「…あのね、アベル」
「うん」
「気詰まりしたと言うほどでは、ないのよ。そこはいいの。でも、それは関係なしに……もう少し一緒にいられたら、嬉しい…とは、思っていて。」
表情を変えないまま、アベルは瞬いた。
シャロンは、自分が頬を赤らめ、恥じらうように目をそらして言ったという事実には気付いていない。
数秒、アベルは考える。
彼女の言葉の意味を、「つまりどういう事か」と。アベルは幾度か、この兄の婚約者(内定)について同じように考えた事があるので、さして時間はかからなかった。
――深刻ではないが、俺さえ構わなければ気分転換したいと。
ダンが残った以上、こんな姿のシャロンが今から一人でふらふら散歩に行くのはナシだ。
医務室にいたのがノア・ネルソンではなくローリーだった事で、万一を考えたのだろうダンが「残る」と言ったのも理解できる。
そんな状況の中だ。
シャロンが「用事が終わったら速やかに戻るべき」と真面目に考えたがゆえに目をそらしたのも、我儘ではと思って恥じているのだろう事も、理解した。
「お前がそうしたいなら、少しくらい構わない。」
「…ありがとう。ごめんなさい、我儘を言って。」
「謝るほどの事じゃないだろう。どこに行く?空き教室は施錠されてるから…」
「裏庭はどうかしら?ダンスホールにも近いし」
ゲームのシナリオでは、舞踏会の雰囲気に疲れたカレンが抜け出してホワイトに会う場所だ。
そのホワイトは舞踏会に出ているため、裏庭にはいないはずである。
「わかった、行こう。」
北校舎の端に着いて、二人は人気のない外通路へ出た。ひやりとした外気が頬を撫でる。
アベルはほんの一瞬だけ視界の端に金色が見えた気がしたが、そちらを見ても誰もいなかった。裏庭には舗装された道もあり、そこは足元を照らしてくれる照明がある。その光だったか。
アベルが手を差し出すと、薄赤く頬を染めたシャロンは微笑んで手を重ねた。
道には時折、枝葉が横から突き出している箇所がある。彼女を飾るドレスがそんな物に引っ掛からないよう、それとなく気を付けてやらねばならない。




