545.全てを救う事なんて
とうとうやってきました舞踏会、最初に踊る殿下達のパートナー選び!
わたくしは荒ぶりそうな鼻息を堪えてウィルフレッド殿下と一緒に振り返り、舞台を見上げました。
アベル殿下が一歩踏み出し靴音が鳴る、その瞬間。
この胸にある心臓が同時にドクンと――いえ、いっそのことバクンと――音を立てたのです。
目をカッと見開き、心の中ではもう言葉にならぬ程の祈りが!願いが!もはや祈祷が!!あれってシャロン様を見てる?見てますわよね!!!???
シャロン様の隣で、アベル殿下が、立ち止まる。手を差し出す。
頑張って、わたくし――意識を保つのです!しっかり!!
ゲームでは立ち絵でしか見られなかった場面が、今!目の前に!違う画角でッ!!
逃せない、この機会!記憶に焼き付けるのです!!
ウィルフレッド殿下がカレンちゃんではなくわたくしを選んだという差はありますが、ゲームと状況は違いますが、でも!
来ますわね?例の台詞が。
そう、わたくしすっかり暗記していますから、あのシーンは!さぁどうぞ!
「…アーチャー公爵令嬢。僕と踊って頂けますか」
ゲームと違う台詞!!
叫びながら拍手を贈りたいですがそんな事をして水を差したくない!全力で唇を閉じ息を止めます。アベル殿下、それって。「…僕でいい?」なんて聞くはずの貴方がそれを言うのって!
もしかしなくてもゲームの時より断然そのつもりがあるって事なんじゃありませ――苦しいッ!息苦しい!
ああそうだわ、呼吸を止める必要はないのでした。はぁ、ふぅ、ひぃ……ッキャーーー!!シャロン様が手を!ご自分の手をアベル殿下の手に重ねんふふふえへへへへぇもっと!もっとやってくださいませですわーっ!
「もちろんです、アベル殿下。ぜひ」
…………?
………え……かわ……可愛い………?
えっ……そんな、シャロン様がどれほど元から愛らしくても、その笑顔は、ねぇ?そんな……この賑やかなわたくしの心の声が一瞬吹き飛ぶレベルの可愛さが出てくるって、もう。
それはあなた、「す」の「き」ではなくって?
あえっ、え、アベル殿下?何ですのその、シャロン様に向けたお顔は?信頼と親愛と――愛?そうよね?あんなの絶対ただのお友達じゃなアアァアんッですのその優しい握り方!!
わたくしの王女アイズは捉えています、剣闘大会では一位でとんでもなく強くて敵に冷酷な面もあり将来ツイーディアの皇帝にすらなるような、あの、アベル殿下が!あんなに、ホラ、お優しく手を!
そんな花に触れるような、いえシャロン様はもちろん至高の花でありいつまでも綺麗に可愛く幸せに咲いていてほしいのですがそれは当然としてっ!
悪ぶった感じでもなく、粗雑でもなく、それどころかあの扱い!ねぇラウル!!見えてい――いないのでした、今ここに。
悔しい!この気持ちを共有できる相手がいない事が!!くぅう!!
堪えるのですわたくし、表情筋をできるだけ維持。崩れないように。にんまりしないように!
お二人が並んで歩き出す。
ああ、わたくしは夢を見ているのかしら。いえ現実です現実現実、これは事実うふふふふ。
こうやって結婚式に参列して、お二人が夫婦として歩き出す瞬間を見られるなんて…グッジョブですわ、前世の記憶。
わたくしはやり遂げたのです、ハッピーエンドを見届けるというミッションを。
おめでとうを何億回言っても足りません、お二人ともどうかお幸せに。
学生結婚ってどうなるのでしょう、流石に寮は別れたままですわね。でもでも明日からは?人目を気にせずいちゃいちゃ、ごほんごほん、寄り添うお二人を見られたり眺めまわしたり何なりできてしまったりして?
おめでとう、シャロン様。おめでとう、アベル殿下。おめでとう、わたくし&前世のわたくし。
こんなにフワフワとした心地は初めてですわ。推しカプの絆を見せつけられてダンスホールを高く浮遊しているわたくしは、そう。
新・生・幸・福・ロズリーヌ…
目の前が幸せの光で満ちて、ふらりとよろめいて――……、あら?
薄暗い部屋の天井が見えます。いつの間に仰向けになったのかしら。
ぱちくりと瞬きして、わたくし、見覚えのあるこの部屋が学園の医務室だと気付きました。
瞬きをもう一度、二度。シャロン様とアベル殿下の夫婦初めての共同作業、もといダンスは?そういえば結婚の宣誓とか指輪とかは?ブーケトスは、どうなったんですの?
ベッドを仕切るカーテンの向こうには、ランプだろうぼんやりした明かりと、椅子に座っている誰かの影。
わたくしは唇を開き、そっと息を吸いました。シルエット的に、あれは…。
「ラウル…」
「…お目覚めですか?」
「夢オチって……こと、ですの?」
「落ちてましたね、意識は。」
開けますよと言われて許可したものの、カーテンを引かれると少しだけ眩しい。
燕尾服を着たラウルは、身を起こすわたくしを黙って見ている。不機嫌なのか呆れているのか困っているのか、どれなのかしら。全部かもしれませんわね。
ゆっくり記憶を辿って、大変おしいところで意識を手放したのだと気付く。どうしてこんな事に。
「……平気ですか?殿下はまた、倒れたんですけど。」
「体は元気いっぱいですわ。もしかして、舞踏会は終わり?」
「まだです。けど、あの二人のダンスは終わりましたよ。」
「ぐうぅっ!!」
不覚!わたくし一生の不覚!!
シャロン様とアベル殿下のダンスを見られなかった?推しカプのダンスを?何でですのーッ!わたくしが気絶したからですわーっ!!
というコール&レスポンスを、心の中でしておいて。
「ううっ…行きますわよ、ラウル!まだ終わりません、二度目三度目のダンスなら見られるかもっ!」
「ツイーディアですよ、ここ。明確に関係がないと駄目なんでしょ。」
「ヘデラだったら絶対ありますのにーっ!!それでも行きますわよラウル、シャロン様がまだ会場にいらっしゃるかどうかを確認しないと!」
なにせきっと、今夜こそはきっと、占い師が言っていた「着飾る夜」!
シャロン様が裏庭へ行くタイミングがあるはずなのです。
そこで何か、ゲームには無かった出来事――あるいはカレンちゃん視点のゲームだからこそ収録されなかった、シャロン様のときめきイベント――が起きるはず!
どうにかこうにか目の撃をしないといけませんわ。
いそいそとベッドを下りて、幸いにもあまり乱れていなかったプラチナブロンドをさっと整えて、いざ!
ぐぅぅうう……。
「…腹ごしらえをしつつ!行きますわよラウルっ!!」
「はい、殿下。ウィルフレッド殿下に謝罪と、ダンスの誘いもした方がいいですね。」
「確かにっ!!」
わたくしったら忙しい乙女!
心おきなくイベントを見届けるためにも、王女としてウィルフレッド殿下にごめんなさいと、仕切り直しのダンスと…その時お腹がぐうと鳴らないために、そそくさと食事を!
ドレスの裾をむんずと掴み、わたくしは会場へ急ぐのでした。
《護身術》の授業で地道に鍛えた体力と脚力がモノを言いますわ。いざいざいざっ!
◇
「綺麗なもんじゃのう…」
むぐむぐと食事を頬張りながら、子供姿のエリはテーブルの下で足を揺らしている。
吹き抜けの二階からは、一階で踊る生徒達の様子がよく見えた。少女達が纏う色とりどりのドレスがくるり、裾が少し広がったように見えてはパートナーのもとへ戻っていく。
向かいの席にいるヴェンが軽く頷いた。
「自分は詳しくありませんが、布地や色合いが君影には無い物のように思えます。」
「うむ、服の形だけ真似ても違う結果になろうな。」
エリもキャサリンが見繕った子供サイズのドレスを着ているが、一階で行われているダンスは君影国の文化にはないものだ。
ヴェンも見惚れるほど魅力的な大人姿の自分が、シャロンのように見事な仕立てで着飾った姿を思い浮かべる。
堂々とした余裕の笑みを湛え、ヴェンからの焦がれるような眼差しを当然のものとして受け入れて踊るのだ。
「むふっ…むふふふ……」
「顔がだらしなくなっているよ、エリ姫。」
「ふぬ!?イアン、おぬしいつの間に戻ってきたのじゃ。」
キャサリンと踊りに行ったのではなかったかと、エリは慌てて今の自分の姿勢や食事のマナーを確認する。
少し前のめりになって手元にこぼした食べかすを己の身体で隠し、サッと床に落とした。
「今しがたね。一曲限りで、他のお嬢さんの誘いや話は断ってきたから。」
「意外にもモテる男じゃのう。余計な誘いを避けるには、そなたの嫁も来られればよかったんじゃが。」
「婚約者だよ。次に君と会う時は、妻になっているだろうけれど。」
「その時には、むふん、わらわ達も夫婦で会う事になろうなっ!」
にやけたエリはちらちらとヴェンを見ながら胸を張ったが、彼はちょうど、エリが食べ終えた皿をウエイターに渡している。
きゅむっと唇を尖らせて見つめるも、ヴェンは戻ってきたイアンに「何にされますか」と注文を確認し始めた。
着席したイアンは状況をわかっているだろうに、拗ねたエリを放って「それでは…」と希望を伝えている。君影の姫に対して礼儀がなっていない。
「イアン。そなたもう少~し、わらわを尊敬してもよいのじゃぞ。」
「そうだな……食べこぼしをしなくなったらね。」
「ぬぐっ……し、しておらぬわ、たわけっ!」
挙動不審に揺れる目を皿にある魚のソテーに固定し、ぷすりとフォークを刺す。
はむっと口に含んで咀嚼しながら、エリはまったく平気な顔をして一階に視線を移した。
――…君影に戻れば、イアンもキャサリンも、アベル達も、会えぬ期間は長かろうな。
今日が終わってもエリ達はもう少しだけリラに滞在するが、親しくなった彼らを君影に連れ帰る事はできないし、そう軽々と会いに来られる距離でもない。
君影に残してきた面々を思い浮かべながら、エリはふと、これまでの旅路を思う。
長かった。
藁にも縋る思いで、あるいは自分が現実から逃げるために、兄を探して国を飛び出した。
ひとまず王都を目指し、アベルに遭遇して悲鳴を上げた。
そんな出会いながらも彼は協力者になり、兄から返事を得た。騎士ロイ・ダルトンに護衛されて神殿都市へ移り、宿が謎の襲撃を受ける事もありつつ、また兄を探す旅に出て。
ブルーノに出会い、センツベリー伯爵邸を訪れた。兄がどう過ごしていたかを知った。
戻る道中でイアンと知り合い、彼と共に連れ去られてしばしの監禁生活を送る。ロイとヴェンに助けられ、イアンの助力で学園都市リラへやってきた。
――世界は広く、わらわは小さく。人の助けがなければ、ヴェンとわらわだけでは到底たどり着けなかった。
一階には生徒達に囲まれて談笑するシャロンの姿や、複数人に話しかけられている、あの白髪の少女の姿もあった。
勝気そうな赤髪の少女が庇うように割り込んで、浅葱色の髪の背の低い男子が宥めている。
離れた場所には、大人同士で話している学園長シビル・ドレーク。
かつて君影に居た「アンジェ」の子孫。
「……人生、何が起きるかわからぬものじゃな……。」
ぽつりとこぼした声は、この夜の賑やかさに潜んで誰の耳にも届かない。
いずれ倒れる次兄の事も後継となる自分の事も、本当にヴェンを夫として認めさせられるかという不安も、何もかも。
未来を覗き見する能力を持つ者がいたとして、実際に起きる事を確定できはしない。
それでも人間は、僅かな手掛かりとせずにはいられない。何もわからないよりずっといいから。ただの可能性であるそれを、少なくとも一つの可能性ではあるそれを。
――…《凶星の双子には決して近付くな》。
故郷で聞いた言葉を思い返した。
いつか時が来たら、アベルはどうなるのか。
長兄が彼を殺す事になるのか、自決が先か。シャロンが泣く結果にはなるのだろうけれど、ウィルフレッドはどうするのだろう。
――《その命を失いたくないのなら》。
アベルはどちらにも、誰にも、言う気がない。
信じてもらえるかどうか、そして信じたとて、希望はないのだとわかってもらう難しさ。心配をかけまいとする心。
もちろん理解できるが、黙ったまま去られた方はどんな気持ちになるだろうか。
かと言って部外者が伝えるのはあまりに勝手で、傲慢で、無責任だ。
「…エリ姫?食べ過ぎたかい?」
「んや……何でもない。大丈夫じゃ」
遠くで微笑むシャロンから目をそらす。
この目に映る全てを救う事などできはしないのだと、エリにはよくわかっていた。




