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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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530.乗り越えた者




 壁のやや高い位置に、額に入った大きな絵が飾られている。


 古びた女神像の写実画だ。

 月の女神が手にした剣の刃は折れて床に転がり、祈りを捧げる太陽の女神はその指が欠けている。人が来なくなって久しいのか、あるいは来ても手入れがされていないのか。

 床材の隙間から草が伸び、天井は壊れているのか上から日が差し込んでいた。


「見事なもんじゃのう。これ程ありのままに描かれた絵は他に知らぬ。」


 猫目をぱっちりと開いて、エリが呟くように言う。

 まるで空間を切り取って貼り付けたかの如く風景が繊細に再現されていて、人だかりができて当然の出来栄えだった。周囲の客もざわざわと感動を伝え合っている。

 隣にいたイアンが少し身を屈め、エリはそちらに耳を傾けた。


「ガブリエル・ウェイバリー。春頃にはとうとう王家の肖像画も手掛けたという、大変な人気画家だよ。」

「王家……おお、確かにそのような事があったな。」

 ツイーディアの王城に滞在していた頃、エリとヴェンは正装したアベルを見かけた事がある。

 何かの催しかと聞いたところ、肖像画を描かせると言っていたのだ。完成はエリ達が旅立った後だろうという事で、まだ見れていない。


 ――そもそも、気軽に見られる場所にあるかどうかも知らぬが。


「なるほどのう……これほどの腕前なら、ぜひヴェンの肖像画も描かせたいところじゃ。年に、いや、月に一枚ずつ…わらわの部屋に置いていって…」

 真剣な顔で計画を練るエリの声に、後ろにいたキャサリンはちらとヴェンを見上げた。無言で頭を横に振っている。イアンが苦笑して答えた。


「残念だけど、彼に肖像画を描かせるのは大変だよ。交渉窓口は専属の画商一人だと言うし、肖像画の仕事は常に受けてはいないんだ。」

「なんじゃあ……まぁ、これを見せられたら納得はできるのう。仕方あるまい」

「本当に素敵な絵ですわね。わたくし、彼の画集を持っているんです。お気に召されたのでしたら、エリ様もいかがですか?帰りに本屋へ寄っ――きゃあ!」

 次の展示へと歩きかけた途端、エリの方を見ていたキャサリンが躓いて転びかける。

 咄嗟に抱き留めて立たせてやるイアンは慣れた様子だった。


「大丈夫か?気を付けなさい」

「ああ…ごめんなさい、お兄様。」

「そなた、本当にそそっかしいのう。術…魔法は早さも見事なものじゃったが。」

 くるりと腕組みをしてエリが首を傾げる。

 キャサリンは何もないところでよく転びかけるし、その時手に何か持っていようものなら投げてしまうし、一緒に食事した時は紅茶にミルクを入れようとして、あわやサラダ用のオイルドレッシングを流し込むところだった。

 眉をしゅんと下げ、キャサリンは片頬に手を添える。


「わたくし……昨日鞄を投げられた時のような、緊迫した場面では上手くやれるのですが…普段がどうにも駄目なのですわ。」

「む、大体は逆ではないのか?緊張で失敗するならよく聞く話じゃが。」

「キャサリンは何というか、おっとりしてるからな。僕達家族はすっかり慣れているけど……そうと知らない相手だと、悪意を持って失敗したんじゃないかと誤解を生む事もある。」

 幾度か経験があるのだろう、イアンの説明にキャサリン本人も深く頷いた。

 展示された作品たちに向けて転んだりしないよう、十分に距離を取って進んでいく。


「わたくし、もしかしたら自分は緊張すれば上手くやれるのかしらと思っていたのです。けれど昨年、違うと思い知りましたわ。第一王子殿下とダンスをした時ですら、足を踏みかけてしまったので…。」

「…それは、ただ本当に緊張されただけなのでは。」

 ヴェンがもっともな事を言ったが、キャサリンは「どの道同じことです」と首を振った。

 常に気を張った状態でいる事はできず、ふとした気の緩みでドジを踏んでしまう。それが人より遥かに頻繁なのだ。


「試験期間も、《薬学》や《魔法学》では、他の方に水を浴びせてしまったりして。一昨日も受付で転んでパンフレットが……皆様お優しくて許してはくださいましたが、本当に申し訳なくて。」

「うっかり者もそこまでいくと、なかなか難儀じゃのう。」

「咄嗟の危機には強いんだけどね。キャサリンは去年、父の職場に入り込んだ不審者を捕まえた事がある。たまたま来ていた公爵様がそれを見ていて、娘の護衛候補にどうかと申し出てくれた程だよ。」

「ええ、嬉しそうなお父様から言われた時は、わたくしもう、どうしようかと……!絶対に無理ですわ、普段はこんなにダメですもの。」

「確かに、イマイチ頼りにならぬのう。」

 あちこちでちょっと躓き過ぎじゃと言われ、キャサリンは「ううっ」と小さく嘆いた。

 改善できるならしたいものだが、こればかりは難しい。


「せめてもの抵抗に、ちょっとしたチケットが手に入りそうな時は必ず入手するようにしています。」

「チケット?何の話じゃ。」

「いつ何時わたくしが()()()()かわかりませんから。お詫びやお礼の時用に、鞄に忍ばせていますわ。鞄が持てない状況でも袖に仕込めたりと、とても便利で…」

「まだそうしていたのか?去年は善意で渡したチケットのせいで、騎士団からあらぬ疑いをかけられたじゃないか。」

 イアンが心配そうにキャサリンを見つめたが、やめる気はなさそうだ。

 オークションがどうのと話し始める兄妹をそっとしておき、エリはヴェンの手を引いて展示を見て回った。




「この一年である程度見慣れはしたが、わらわ達の国に《あぶらえ》は無いからのう。」


 展示をあらかた見終えた一行は、エリとキャサリンを先頭に歩いている。

 少し早めの昼食に向けて階段を下り、やって来たのは中庭だ。美味しい匂いがあちこちから漂っている。


「オモチャはあっても《からくり》ほどの仕組みもないし、楽器も知らぬ種類ばかりじゃ。一気に色々と見れて楽しかったぞ。」

「それは良かったです!反対にわたくし達は、お二人の故郷のことをあまり知らないので……いつか機会あれば、伺ってみたいものですわ。」

「ふむ?そなたらであれば構わんぞ。わらわの客として来るがよい」

「まぁ!本当ですか。」

 ぱっと顔を輝かせたキャサリンを見て、エリは「ふふん」と得意げな笑みを浮かべる。

 任せるがよいとばかりに平らな胸をぽんと叩いた。


「ウィルフレッドや――…まぁ、なんとかなるじゃろう。アベルと、シャロン達も連れてきてよいぞ。」

「卒業後にはなってしまうと思いますが、ぜひ。ああでも、霧はどうしたらよいのでしょう?」

 君影国と言えば、山間部にあって霧に囲まれた秘境だ。

 霧の先へ迷わず行く事が難しいからこそ、帝国に侵略される事もなく長い歴史を歩む国なのである。


「ふもとの村とは多少の取引がある。行き来している者もいるのでな、言付けてもらえればどうとでも…」


 そこまで言ったところで、エリの言葉は途切れた。

 足も勝手に止まっていて、一緒に歩いていたキャサリンも、後ろにいたヴェンとイアンも自然と立ち止まる。

 視線の先には、たった今南校舎から出てきたのであろう女子生徒がいた。


「貴族かどうかって、やっぱり判断材料の一つではあるんだね……。」


 どうしても目を引く、その若さとは釣り合わない真っ白な髪。

 幾度か話に聞いていた少女だろうか。エリの視線を辿り、ヴェンやイアン達も彼女に気付いた。


「あんま気にすんなよ、うちのオヤジだって騎士団に入れてんだぜ?使用人とか事務とかまでそんな厳しいわけないって。」

「生まれとは教養の保証よ。だったら、この学園で優秀な成績を残せば良いだけのこと。あと三年ちょっともあるのだから――…カレン。あの子、知り合い?」

「えっ?」

 瞬いて、彼女がエリの方を見る。

 素直そうな少女だった。他の二人より背が低く、腕っぷしも強くなさそうで、少し肩を落としていて。


 その瞳は確かに、赤かった。


「まぁ、デイジー様!」

 ぱちりと両手を合わせ、キャサリンが微笑んでそちらへ向かう。

 兄から、エリ達がヴェンと同じ瞳を持つカレンを気にしていた事は聞いていた。加えてエリがじっと見ていたので、どの道ここから接触せずに離れるとエリを「失礼な人」にしてしまう。


 数歩進んで、イアンが止めてこないならエリ達も後に続いているという事だ。

 橋渡しをするべく、三人のもとに着いたキャサリンはスカートの裾を摘まんで僅かに首を傾げる。


「レベッカ様とカレン様も、ご機嫌よう」

「ご機嫌ようございます、キャサリン様。」

「こ、こんにちは。」

「よう、あんたか。痛っ」

 デイジーが胸に片手をあてて頭を下げ、それを見たカレンも慌てて頭を下げ、頭を下げなかったレベッカがデイジーに背中を叩かれた。

 大体、いつもの流れである。

 そして三人は自然と、普段キャサリンが連れていない人々に目を向けた。


「キャサリン。お友達かな?」

「はい、お兄様。紹介致しますわ」

 レベッカが「あたし達ってお友達なのか?」という顔で頭を掻いているが、兄を振り返っているキャサリンには見えていない。

 デイジーがほとんど唇を動かさないようにして呟いた。


「二人とも、丁寧に。次期侯爵様とその客人という事よ」

 中庭は呼び込みや談笑する客の声で賑わっている。

 ほんの小さな囁きはキャサリン達までは届かず、目を丸くしてぱちぱち瞬くカレンの横で、レベッカは「うげ」と心の中で呟いた。そんなもの、自分達のところに連れてこないでほしい。


「こちらデイジー・ターラント男爵令嬢、レベッカ・ギャレット様、カレン・フルード様ですわ。」

「初めまして、僕はイアン・マグレガーだ。妹が世話になっているね」

「初めまして、お会いできて光栄です。こちらこそ、キャサリン様にはお世話になっております」

 代表してデイジーが話す間、カレンは、どうして少女がこちらを見ていたのかを理解した。

 大きい人だなと見上げた先に、自分と同じ赤い瞳があったからだ。大男もまた、きっと同じ理由で、カレンを見ている。


「こちらは僕達の友人で、女神祭を案内していたところだ。」

「そなた。」

 イアンの言葉に誰が返すよりも早く、エリが声をかけた。

 自分より十センチほど背の高いカレンを真っすぐに見上げている。


『生まれつき髪が白く、瞳が赤い女子(おなご)がおろう。そなたから見て、その者は何か変わった事はないのか。』

『何も。ただの一年生です』


 ホワイトはそう言っていた。

 確かに、目の前の少女には何も脅威を感じない。

 ただ、色が該当しているだけだ。

 伝承と同じ色をしている、それだけの事だった。


「いきなり何かと思うやもしれぬが、その髪は完全に生まれつきか?」

「…はい、そうです。ちょっと珍しいですよね!」

 おさげに軽く手を触れ、カレンは()()()そう言った。

 それが最初から何も気にせず生きてきた者ではなく、乗り越えた者の笑顔である事は、エリにもすぐにわかった。ヴェンを見上げて、カレンが続ける。


「髪だけじゃなくて、目の色も……あまり見かけないから、同じ色の方に会えて嬉しいです。」

「…自分も、お会いできてよかったです。」

「えっと…初めて会う人だと、ちょっと怖がられちゃったりとか。ありますよね。」

「はい。自分はこのがたいなので、余計にかもしれませんが…」

 どうやらカレンが目当てだったらしいと察して、デイジーはちらりとキャサリンを見やった。

 気付いて目が合ったところで口元に手を添え、耳を近付けた彼女に聞く。


「ホワイト先生には…」

「ええ、もう会われていますわ。」

「そうでしたか。すみません、余計でした」

「いいえ、お気遣いありがとうございます。」

 エリ達がなぜ赤い瞳を気にするのか、キャサリンは聞いていない。

 君影国においては何か意味があるのだろうとは、それもあまり良い意味ではないのだろうとは、察しているけれど。


 ――だって、普段あんなに明るく笑われるエリ様が、この話の時は心苦しそうに眉を顰めるんですもの。


「私、尊敬してる友達がたくさんいて……まだどうするって決められないけど、将来皆に会う時、恥ずかしくない大人になりたいんです。支えられたらとも思うし……そのために、勉強も頑張るつもりです。」

「とても良い事だと思います。その気持ちを忘れなければ…貴女なら、きっとできる。」

「…ありがとうございます!」

 心から嬉しそうなカレンにつられたのか、ヴェンも緩く笑みを浮かべた。

 エリが雷に打たれたかのように目を(みは)る。


「う゛っ……ヴェンが、笑っておる…じゃと……!」

「そりゃ、笑う事もあるだろう。彼も人なんだから。」

「わ、わらわだってあんまり見た事がないのに!せっかくなら正面から見たかったのに、あの小娘……!」

「エリ嬢。ヴェンに、自分以外には笑顔を見せるなと言うつもりかい?」

「そんなつもりはない!ないが、くぅ……」

 ぺこりと頭を下げて、カレン達は去っていった。

 自分の主が涙目になっている事に気付き、ヴェンが瞬く。


「エリ様…」

「ヴェンっ!絶対絶対絶対に、おぬしはわらわと結婚するのじゃ!笑い皺が取れなくなるぐらい幸せにしてやるから、覚悟しておけい!!」




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