賢い人生とは
美穂が結婚して数年が過ぎた。
私は今、美穂の3人目の子供と家の近くの川原のベンチに座って川を眺めている。
隣の3才になる孫は、遊び疲れてスヤスヤ眠っている。
私は川を眺めながら、昔の事を考えていた。
思えば惨めな思いの連続だった。
昔から良くバカにされ、みんなから軽く見られていた。
今冷静に考えると、もともと私の大人しい、弄られキャラの性格がそうさせていたのかもしれない。
私は中学生位の頃から、良く影口を叩かれていた。
『松葉は少し変な奴だよな。』
『松葉は変わり者だよな。』
『あいつには何をやっても勝てる。』
『松葉は自分の立場が分かっていない。』
それは社会人になっても同じことだった。
常に回りから軽く見られていた。
ネタにされるのは私だし、
嫌な仕事も私だし、
見せしめで注意されるのも私だった。
何かトラブルや失敗があれば私のせいにされたし、
飲み会でネタにされるのも私だった。
みんな、私と云う人間を上手く影で利用して、人生を優雅に生き抜こうとする輩ばかりだった。
しかし、人生なんてそんなものかと私は思っていた。
誰だって、必死にあの手この手で生きているのだと思う。
手段を選ばず生き残るのが、人生なんだと思っていた。
大学の時に、学年で一番のイケメンの同級生がいた。
彼は物理を専攻していて、女にも良くモテていた。
中学、高校とバスケ部で、服もブランドで固めていた。
常にみんなの前では、私を良くネタにして、笑い者にしていた。
影では良く私のモノマネもしていた。
しかし、友達でもあったので、素直にネタにされていた。
自分は怒ったら怖い人だと知らしめるために、私は良く彼に、みんなの前で叱られていた。
自分の就職先や彼女についての触れられたくない場面になると、すぐに私の話を話題に出して、『松葉はすごい人だよ!一番一番!』と話を反らして、自分の話題にならないようにしていた。
そんな彼と卒業式の日に研究室の前の廊下ですれ違った。
彼はすでに地方公務員の就職が決まっていて、私はまだ就職が決まっていなかった。
私が『卒業おめでとう。』と話しかけると、彼はこちらを一瞥して、もうこいつは用済みだなと言わんばかりに、無視して階段を降りていった。
それが彼と出会った最後だった。
こんな目に合うのは彼だけではなかった。
小学校にも、中学校にも、高校にも、社会人になっても、似たような輩は沢山いた。
それが彼らの生き方だったのだ。
社会人になってから、私は結婚を意識して、婚活と云うものを頑張った。
ある時、松葉くん松葉くんと言い寄ってくる同期の女がいた。
『今度二人で一緒に遊びに行こうよ。』
そう言って良く誘ってくれるので、一生懸命デートの約束を取り付けると、
『ごめんなさい、今日用事ができちゃったの。また今度絶対誘ってね。』
とドタキャンされていた。
暫く誘っていると、先輩やら回りの上司から、その子が私にストーカーされて困っていると忠告をされた。
私は会社でその子に付きまとっている男として噂され、その子は既に影で、同じ同期のイケメンとお付き合いしているのが分かった。
何でも出会いのきっかけは、松葉くんにしつこく付きまとわれて困っているという相談かららしい。
秘密にして付き合っているため、噂が流れそうになると、直ぐに私の話題にして話を反らしていた。
私が女にこんな目に合うのも、彼女だけではなかった。
小学校にも、中学校にも、高校にも、大学の時にも、沢山いた。
女も恋のゲームで勝つのには、あの手この手なんだろうと思う。
いい男をゲットしなければ、生きていけない命がけのゲームなんだろう。
何たって、一生を左右することなのだ、女も手段など選んではいられないのだろう。
しかし、人生はそんなに甘くない。
人生は厳しいのだ。
人生が厳しいのは、弱いものが利用され、切り捨てられるからではない。
頭の良い、要領の良い、ステータスの高い人間だけが生き残れるからではない。
片時も手を抜いてはいけないから人生は厳しいのだ。
つまり、軽い気持ちで奢りを抱き、舐めてかかった時点で、人生の振るいにかけられてしまうから、人生は厳しいのだ。
人生は厳しいのだ。
自分はこの厳しい人生を生き残れるのだろうかと、毎日怯えて生きるものなのだ。
人を見下している余裕などないのだ、
常にあの手この手を考えだし、正しい生き方を導き出さなければ、人生で生き残れないのだ。
人生の目的は、
人になめられない事ではない、
人にバカにされないことでもない、
公務員になることでも
運動部にいることでも
高級車に乗ることでも
イケメンをゲットすることでもないのだ。
人生はゲームではない、
負けたらそれは『死』なのである。
私は娘の3人目の子供とベンチに座って、川を眺めながら考えていた。
【賢い人生】とは、
人生の目的を、
①100才まで長生きすること。
②子孫を残し繁栄させること。
③70点位だったと思える人生を歩むこと。
とし、その目的達成に向けて、
一番成功する確率の高い手段を常に探し続け、試行錯誤し続けることにあるのではないかと思う。
私は偶然にも、常にみんなからバカにされ、悔しい思いをし続けてきたことによって、自分だけは絶対生き残ってやるという強い意思を持ち続けることが出来たお陰で、皆からネタにされながらも、あの手この手で常に無難な生き方を選び続け、今こうして三人目の孫を抱っこして、川を眺めながらのんびりできるのだろうと思う。
私をネタにして、利用してきた彼らが、今どこで何をしているのかは知らないが、この厳しい世の中で、国公立大学の合格通知を6つも持ち、会社を65歳まで勤め上げ、市内に住宅ローンの無い家を3軒も所有し、3人の孫にも囲まれ、こうして川を眺めながら人生を振り返ることができる人は、果たして何人いるのだろうと私は思うのであった。




