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透けた女

「そういえば、うちの一上家って、家系図はあるのかな?」

 車で家に帰る途中、康一は父にやっと尋ねることが出来た。ところが、「私も知りません」と父は答えるだけで、その存在すらも把握していなかった。家系図を知らないのならば、当然ながら母方の先祖と思われる”芳重”についても父は知らないだろう。

「そうなんだ……」

 康一は落胆しながら、会話を終えた。

 蔵の中で妖怪の巻物を発見したこともあり、もっと中を調べれば良かったと康一は後悔していた。古い文献などから、古い木の手がかりを得られたかもしれない。しかし、父に立ち入りを厳しく禁じられた後だったため、父に叱られることを恐れた康一には、その方法は無理だった。

 調査はあっという間に暗礁に乗り上げた。

 車窓から見える空模様は、康一の心情を表すかのように怪しくなり、一帯に暗く重い雲が広がり始める。家に帰って間もなく雨が降り始めた。その空の雨雲は、翌日も居座り続けていた。

 明日の祭りに影響したらと康一は心配していたが、夜中には雨が止んで晴れの予報らしい。家族との会話で天気を知り、約束通り友達と集まれそうだと一安心だった。

 その日の夜、就寝時間を迎えた康一は、雨音を聞きながら布団へ横になっていた。

 スプレーの効果のお陰で、蜘蛛たちはすっかり家の周りから姿を潜めた。さらに、自分の周囲の怪しい気配も最近は感じなくなっている。体調はずっと良好を保っていて、勉強がはかどる一方だ。

 そう、問題は無くなっている。それなのに何かが引っ掛かり、気持ちがざらざらと落ち着かない。

 やがて眠気が訪れて、康一は休息を迎える。それから、どのくらい時間が過ぎたのだろうか。意識が明確になってきて覚醒へだんだんと近づいていた。

 ところが、目覚めようと思っても、いつもの違和感が発生している。今日もまた意識が浮上しかけているのに、何かに邪魔をされているようだ。

 ――また、あの嫌な感じだ。一体、何が起こっているんだろう? 

 康一の不安は燻し続けられ、いい加減にして欲しいと、募った苛々が我慢の限界を超える。そのため、康一はそれに対して抵抗を試みようと、ついに決意する。

 意識の上に圧し掛かる重苦しい何かを、康一は無我夢中で押し上げる。抗うほど重さが増すような感覚に襲われながら、必死に戦い続けた。すると、目の前で何かが弾けて破れる音がする。そして、次の瞬間、急に無くなった手ごたえ。今までの苦労は一体なんだったのかと思うくらい、難なく康一は目を見開いて覚醒することができた。

 顔の上に何か白く薄いものが載っていて、手で触るとそれは紙のようだ。まだ辺りは薄暗く、夜が明けて間もない時間帯のようで、すぐにはそれの正体が掴めなかった。詳細を確かめようとした矢先、視界の端に映った人の姿――。康一は自分の側に誰かいることに気付き、驚愕と警戒から慌ててそちらを向いた。

 女だ、自分の枕元のすぐ傍に正座をしている女性がいた。見知らぬ人物の存在に、康一は恐怖を感じて飛び起きると、その女性から距離を置くように部屋の隅に移動した。

 その女性は姿が透き通っていて、背景がぼんやりと彼女越しに見えていた。尋常ではない様子に、康一はこの女性は普通の人間ではないと瞬時に理解した。

 一方、女性の方は戸惑った表情をして、何も動く気配もなく、ただ康一を見つめていた。

 康一は息を殺して女性の様子を探る。

 女性は康一より年上の二十歳くらいの年齢ぐらいで、彼女の服装はごく普通にありふれたものだ。可愛いプリントのTシャツと膝丈くらいのズボンを履いている。顔をよく観察してみると、とても整っていて美人の類だ。そして、この女性の一番の特徴は、髪の毛だろう。とても長くて腰までありそうで、直毛で癖が全く無く、見事なほど艶やかなものである。それに加えて、髪の色が不思議な色彩をしていた。一瞬普通の黒髪に見えるのだが、よく観察すると深い緑色をしているのだ。頭の輪郭部分を注視すると、キラキラと翠玉のように光沢を放っていた。

 新しい怪異の出現に、康一はどのように対応すればよいのか、全く見当がつかない。この女性は幽霊の類だろうと思う一方で、いつも寝ている康一を襲う、あの白い靄の化け物の行方も気になった。

 しばらく動向の探り合いといった感じで、お互い沈黙したまま見つめ合い続けた。

 その状況に康一が耐えかねてきた時、その女性は何かを話しているみたいに口を動かし始めていることに気付く。ただ、肝心の声は何も聞こえず、康一には彼女の伝えたい事が全く理解できない。

「何を言っているのか、分からないよ……」

 女性は康一の言葉に驚いたようで、目を大きく見開いた。康一はその彼女の金色に輝く瞳を見て、既視感を覚える。

 ――そういえば、白い靄の女も金色の目をしていなかった?

 その共通点を発見した時、あの化け物と目の前の女性が、同一である可能性を見出していた。さらに、想起したのは、墓石に刻まれた女性の名前。

「もしかして、あなたは……、ミワ?」

 思わず名前が康一の口から出ていた。そして、それを発した途端、女性の態度が急変した。

 彼女は息を呑んだと思ったら、両手で口許を押さえて、小刻みに肩を震わせ始めたのだ。そして、涙ぐみ始める彼女の双眸。

 何故、この女性は泣き出してしまったのか、もしかして自分の発言のせいかと、康一は内心動揺してしまう。焦って何か言おうとした矢先、彼女は涙を流しながら何度も何度も頷いて、先ほどの康一の質問に肯定をしていた。

 女性は両手を下げて、必死に康一へ再び何かを伝えようと口を動かしていた。けれども、やはり彼女の口からは何も言葉は発せられず、康一の耳には何も届かない。康一は首を傾げて、理解不能ということを身振りで伝えようとした。

 その態度の意味を悟った女性は、焦れたように康一の元へ膝を擦りながら移動して近づいてきた。康一は彼女の接近に身構えるが、あっという間に目の前にまで迫られて顔を覗きこまれてしまう。

 康一を食い入るように見つめる女性の若く美しい顔は、歓喜で満ち溢れていた。彼女は嬉しさの余りに涙を流しているのだ。

 相手が化け物の類なのに、康一はその感極まった彼女の様子に思わず目を奪われていた。

 女性は何度も口を動かしている。康一は彼女の訴えを何とか受けとめようと、必死に観察して何を発音しているのか考察した。彼女の気持ちを理解できれば、今までの怪異の解決の糸口を掴むことが出来るかもしれない――、と康一は真剣そのものだった。しかし、読唇術を習得している訳でもない康一には残念なことに全く分からない。

 康一はお手上げ状態になって困惑し始めた時、いきなり康一の頬は彼女の両手で挟みこまれた。彼女の唇ばかりに気を取られていて、彼女の俊敏な動きに対応できなかったせいだ。

 女性の顔が近づいたと思ったら、あっという間に康一の唇は奪われてしまった。柔らかな感触に康一の心臓の鼓動が跳ね上がる。その次の瞬間、意識が再び朦朧とし始める。

 力が抜けて崩れ落ちる康一の身体は、女性の上半身に倒れ込んだ。彼女に抱えられるような形になった後、康一は完全に気を失った。



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