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『推し、隣の席にいます。』~お互いの「もう一つの顔」に恋い焦がれ、その正体にだけは気づかない、世界一すれ違った二人たちの物語  作者: T.T


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第1話 秘密を抱えた二人

 私、柚木愛が株式会社「カネナシ」に新卒で入社して、早いものでもう一年が経った。

 色々と辛いことがあったけれど、最近では仕事の段取りも会社の雰囲気にも慣れ、今は順風満帆と言っていいと思う。

 どこにでもいる、ごく普通の新卒OL。

 ——けれど。

 そんな私には、誰にも言えない、もう一つの顔がある。


YUIゆいちゃーん!今日も可愛いぃー!」

 

 昼休み。広々とした休憩室のいちばん端の席。

 私の教育係兼セクハラ先輩こと神谷さんが、スマホを両手で捧げ持ち、一人で発狂していた。

 私はいつも通りその隣に腰を下ろし、お弁当を机の上に置く。

 重要な話があるから急いで来るようにって言われたから来たんだけど……。

 もしかして、YUIちゃんについて、何てことないよね……。


「神谷さん。またYUIちゃんって子の配信見てるんですか?」

「あぁ。昨夜の配信のアーカイブだ。これで四周目。家に帰ってから、あと二周は見返す予定だ!」


 胸を張って言い切る先輩の横顔を、窓から差し込む昼の光が淡く照らす。

 その目の下には、うっすらとクマが浮かんでいた。


 昨日の配信開始は夜の十一時。

 尺はおよそ二時間。それを、四周。

 ……この人、もしや寝てない。

 心配と嬉しさが同時に来るってあるのだなと思った。


「家で見たらいいじゃないですか。休憩室では静かにしてください。また部長に怒られますよ」

「フッ。YUIちゃんの尊さの前では、部長の小言など春風のごとし、よ」


 確かに季節は四月で時期合っているけれど。

 その春風のような小言に、ついこの前まで頭をペコペコと下げていたのは、一体どこのどちら様でしたっけ。


「はぁ……もう知りませんからね。私はちゃんと忠告しましたから」

「お前は相変わらず可愛げがないなぁ。少しはYUIちゃんを見習ったらどうだ。ほら、見ろ!この可愛い姿を!」


 ずいっ、と。スマホの画面が、私の鼻先に突きつけられる。

 画面の中では、銀色の長い髪をなびかせた女の子が、にっこりと微笑んでいた。

 ——その子のことなら、私はよく知っている。

 小首をかしげる仕草も、手を振るときの角度も、語尾がちょっとだけ跳ねてしまう癖も。


 何もかも、全部。

 だって——。


 (YUIちゃんは……私だから)


 そう。これこそが、誰にも言えない私のもう一つの顔。

 昼間は薄給に耐える、しがない新卒OL。

 そして夜は——イラストを描きながら雑談を回し、時には下手な歌を歌い、ぎこちなく踊ってみせる、駆け出しの新人VTuber。

 それが私。柚木愛こと、YUI。

 ちなみに芸名の由来は、柚木のYUと、愛のI。合わせてYUI。

 我ながら、ひねりというものがまるでない。


「もう先輩から何度も見せてもらってますって。十分です、可愛いですよ。ええ、可愛い可愛い」

「心が籠っておらん。全く、お前は人生の十割を損しているぞ」

「全部じゃないですか」

「そうだ。つまりだな……お前にいつまで経っても彼氏ができんのも、YUIちゃんを見ていないからなんだよ」


 ……ぴくり。

 貼りつけた笑顔の下で、こめかみが小さく跳ねた。


「その、無愛想で可愛げの欠片もないところも」


 ぴくり、ぴくり。

 今度は、頬のあたりまで引きつりはじめる。


「貧相で小さなお前のおっぱいも」


 ぴくり、ぴくり、ぴくり!!!


「YUIちゃんを見て、尊さってやつを学べば、全部まるっと解決するんだよ。分かったか?この、ありがたーい先輩の忠告をな」


 ……はいはい。どうもすみませんねぇ。

 彼氏もいなけりゃ、胸も慎ましくて、可愛げもなくて!

 心の中で吠えながら、私はふと、机の下で自分の胸にそっと手をやる。

 だいたい見習うも何も——本人だっての……!

 確かに正体がバレないようにYUIちゃんは少しだけ胸を盛っているけれども!そこまで言う必要ないでしょ!

 ついでに言えば。

 YUIちゃんを眺めただけで彼氏も性格も体型も全部解決すると本気で信じてるなら、おめでたいにも程がある。

 ええ、ええ。私がバカでしたよ。

 こんなセクハラ先輩を、ちょっとでも心配した私が。


「はーい。ありがたく、肝に銘じておきまーす」


 私は先輩を適当にあしらいながら、お弁当の蓋を開ける。

 ——うん。今日も、バレてないよね。

 毎日こうしてすぐ隣にいるというのに、神谷さんは一度だって気づいたことがない。

 熱弁される度に「本当に私の推しですか?」と問いかけそうになる。

 ……というか、先輩の理屈でいくなら。

 憧れのYUIちゃんが隣にいるのに気づけない神谷さんの方こそ、人生の十割を損していると思うのだけれど。

 なんて、いつも心の中で思うだけにしている。

 理由はたった一つ!

 

 どうせ気づかれるなら、向こうから気づいてほしい!


 そう。先輩が自力でたどり着くまで、決して教えてなんかやるものか。

 だって、こっちから明かしてしまったら——こんな最高の未来が訪れる可能性まで、潰れてしまうのだから。


 ぽわん〜、ぽわん〜、ぽわん〜。


「ま、まさかお前が……あの、YUIちゃん、だったのか……っ!?そ、そんな馬鹿なぁーー!!」


 ピシャーン!ゴロゴロゴロ…ドォンッ!

 (※神谷氏の脳天に、特大の雷が直撃した音)


 ガクリ、と膝から崩れ落ちる先輩。


「お、俺が今まで本当に悪かったッ!お前の体を触ったことも!数々のセクハラも!お前に浴びせてきた数々の失言も何もかも全部ァッ!」


 両手を床につき、ゴリゴリと額を擦りつける。

 それはそれは見事な土下座。


「だから頼む、許してくれぇ——ッ!このとおりだぁーーーッ!!!」


 ……うん。絶対、こうなるに決まってる。

 ふふっ、と。込み上げてきた笑みを、私は卵焼きと一緒に噛み殺した。

 いいでしょう、神谷先輩。

 その日が来るまで、せいぜい私を馬鹿にしていて下さい。

 後悔するのは、あなたですから!


*神谷視点


 お弁当を開け、急にニヤけ始めたのは、俺の直属の部下。

 クール系塩対応後輩こと、柚木愛。

 正直、初めての部下は巨乳のお姉さんを期待していなかったと言えば嘘になる。

 だが——細身でいて、纏う雰囲気はどこかYUIちゃんを思わせる。

 まぁ、YUIちゃんの方が百億倍可愛いがな。

 ともかく、後輩は絶対に女がいい、それも飛び切りの上玉を、と魂を込めて祈った。その甲斐あって遣わされたのが、こいつだ。

 可愛げは皆無。だが、美女。これは断言できる。

 日頃からYUIちゃんへ赤スパを投じ、徳を積んできたこの俺への、天からの褒美に違いない。

 なのに、悲しいかな。

 どれほど熱を込めてYUIちゃんの尊さを説いても、こいつときたら全くもって興味を示さないのだ。

 しかし、怒るに怒れん、というのが現状だ。

 俺は、その”元凶”へびしりと指を突きつけた。


「それにしても、今日は一段と凄いな。何だそのキラキラとした弁当は」


 柚木の弁当箱は、おかずの一つ一つが、まるで宝石みたいに丁寧に詰め込まれていた。

 そして、その真ん中に——デカデカと居座る、一人の男。


「えへへ〜。これはですねぇ、カムロ様のキャラ弁ですよぉ〜」


 柚木がデレデレの顔で、弁当箱の縁に頬をすりすりと擦りつける。


「あぁ〜カムロ様ぁ〜。お顔がお弁当になっても、こんなにカッコいいだなんて……ほんと、罪なお人ですぅ〜」


 ——これだ。

 こいつがYUIちゃんに興味を持たない元凶。

 柚木愛には、既に身も心も捧げ尽くした「推し」がいる。

 その名を、カムロ様という。

 主にゲームと歌枠で配信を続ける、とある男性VTuberの——名で。

 俺はこの男を誰よりも知っている。

 ファンどうこうではない。

 ……つまり、その、なんだ。要するに。


 (カムロ様は……俺だ)


 この俺、神谷樹こそが、カムロ様その人なのである。

 では、どうして隣にいるこのファンに正体を明かさないのか?

 VTuberという立場もあるが、一番の理由は……。


 どうせ気づかれるなら、向こうから気づいてほしい!


 柚木が自力でそこにたどり着くまで、こちらから明かしてやる気はさらさらない。

 教えてなるものか。こんな最高の未来が待っているかもしれないんだからな——!


 ぽわん〜、ぽわん〜、ぽわん〜。


「か、神谷さんが……あの、カムロ様、だったんですか……?」


 キュ、キュ……キュンッ♡

 頬を朱に染め、潤んだ瞳で、柚木が俺を見上げる。


「ごめんなさい、神谷さん……いえ、カムロ様。あなたを、ただのセクハラ製造機だと侮っていた私を、どうか……どうかお許しください……」


 柚木がそっと俺の胸へと身を寄せてくる。


「お詫びと言ってはなんですけど……今度はわ・た・し・か・ら♡いっぱい、せ・く・は・ら、しても……いいですか♡♡♡」


 ——なんて。

 そんな夢のような未来が、この俺を待っているかもしれないのだ。

 ぐふ、ぐふふ……と、だらしなく緩みかける頬を、俺は寸前で引き締めた。

 ……せいぜい今のうちだ、柚木。

 お前がそうやって頬ずりしているキャラ弁、その本人が——すぐ隣で、しれっと焼き鮭をほぐしているとも知らずにな。


「ふふふ……」


 俺が様々なことを想像していると隣から声が聞こえてきた。


「あっ。そうだ神谷さん、聞いてください!」


 ふいに、柚木がキャラ弁から顔を上げた。


「今夜はですねぇ、カムロ様の歌枠なんですよぉ〜」


 ……知っている。当たり前だ。

 配信するのは、他でもないこの俺なんだからな。

 俺はさも初耳といった顔で、焼き鮭をつつく。


「ふぅん。そりゃまた、楽しみだな」

「そうなんですぅ〜。あぁ、最初の一曲目、なんになるのかなぁ〜。今からそわそわしちゃってぇ〜」


 うっとりと頬に手を当て、柚木が宙を見つめる。

 ふっ。可愛いやつめ。そんなに俺の歌が待ち遠しいか。


「それはもちろん、『馬鹿なお前たちめッ!キュン死しろ☆』だろう」

「……えっ?」


 ——沈黙。

 目の前で、柚木が石像のように固まっていた。

 箸の先につまみ上げた卵焼きを宙に浮かせたまま、ぴくりとも動かない。瞬きすら忘れたみたいに、その大きな瞳が、まじまじと俺を見据えている。

 俺は、何か不味いことでも口走ったか?

 いや。ただ今夜の歌枠の話をして、一曲目はあれだろう、と教えてやっただけで——。


 ハッ。


 (曲名、ガッツリ伝えてたーーーッ!!!)


 全身から、血の気がさあっと音を立てて引いていく。

 不味い。これは、相当に不味いことになったぞ。

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