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05 読書ついでに談笑してみました。

8月7日火曜日 


 あ、起きないと。


 意識が次第に覚醒する中、俺はまっさきにそう感じた。

 俺が起きなければ、玲乃は起き上がることもできない。そんな状況で彼女を放置しておくわけにはいかない。


 重い瞼を何とか持ち上げ、同時に周囲の確認。そこらに見えるのは大小の段ボール箱と埃をかぶったガラクタたち。

 あれ、俺なんで物置なんかに……。


 そう頭の中を検索して思い出す。

 あの不思議な光と、『何か』の声。そして、それが言った『交換の機会』という言葉。


 あれはいったい何だったのだろう。夢? それにしてははっきりしすぎていた気がする。


「まぁ、疲れて幻覚でも見たんだろ」


 俺はそう結論付けて起き上がる。

 そして階段をテンポよく下って脱衣所へ。そこの手洗い場で顔を洗った後、玲乃の部屋へ向かった。


「玲乃? 起きてるか?」


 コンコン、と二回ノックしてから俺はそう声をかけた。

 中から返ってきたのは「えぇ」という小さな声。それを入室の許可と受け取って、俺は扉を開いた。


「おはよう。ごめん、遅くなった」


「いいわよ。起きた後、なにも考えずにぼーっとするのは好きだから」


「変な趣味だな。まぁ、わからないこともないけど」


 ベッドに横たわる「自暴女」は実に穏やかな表情で俺に言葉を返した。

 確かに、まどろみの中ただひたすらに天井を見つめるのが心地いいときもある。


 しかし、ずっとそうしているわけにはいかない。


「起きるか?」


「えぇ」


「俺が起こさないといけないんだよな……」


「もちろん」


 彼女に一言確認してから俺はベッドの横に車いすを寄せる。この「自暴女」をベッドから車いすへ移動させるのだ。


 介護関係の人がやってそうな感じで俺は彼女の脇の下に自分の両手を通す。そして、そのまま持ち上げて、彼女の体勢を起こしてあげた。

 ふわりとシャンプーの匂いがする。

 

「えらく慣れているわね。いつもこうして女の子を抱いているの?」


「んなわけあるか」


 できるだけ目の前の彼女と触れる表面積は小さくしようとしているのだが、やはり不可抗力である程度は触れてしまう。

 その部分から伝わってくる温かさがなんともくすぐったく、さらに動きは不自然になっていく。

 

 そんな感じでどぎまぎしながら俺は何とか彼女を車いすに乗せた。


「着替えは……」


「今日は体の調子が幾分かいいわ。だから、着るものだけとってくれない?」


「了解。助かる」


 また、あの脱衣所の悲劇が繰り返されるのかと思ったが、そうはならなかったようだ。

 俺は部屋の端のクローゼットへ歩み寄り、その引き出しを開く。


 どんな服を着るのか、そう訊こうかと思ったが、なんとなく気恥ずかしかったので適当に自分で選んだ。

 ちなみに、どんな服かというと白いフリルのついたトップスと、大きめの黒いスカートだ。

 

「本当に大丈夫か?」


「えぇ、たぶん」


 俺は彼女に服を渡してから再度尋ねる。それに彼女は即答したので、一応安心し俺は部屋を出た。


 さて、次なる課題は朝食のメニューだ。

 この『森の洋館』に来て初めての朝。どんなブレークファストを作ったものか。 


 こうして、穏やかに管理人生活二日目はスタートしたのだった。





 実に、穏やかな時間が過ぎていた。

 日本の夏らしからぬ湿り気の全くない心地よい暑さ。さらに窓からはさわやかな風が吹き込み頬を撫でる。


 もし俺が老後を過ごすとしたら、こんな森の中の洋館で生涯を終えたい。

 本気でそう考えるほど、昼下がりの『森の洋館』は心地よかった。


 午前中のうちに掃除洗濯、庭の手入れを終わらせた俺は、彼女とともに再び読書にいそしんでいた。


 控えめな蝉の音の隙間でページをめくる音が室内に響く。


 出会って二日目の女の子と一緒なのに、ここまで心が落ち着くのはひとえにこの『森の洋館』と紙に綴られた文字列のおかげだろう。


 しかし、昼食をとってからまだ一言も彼女と会話をしていない。

 別に、そういう義務があるわけではないが、何かしら話をするべきかと判断し、俺は彼女の読む本に目を向けた。


「なに読んでるんだ?」


「ショートショートよ」


「あぁ、星新一か」


 俺は心の中で彼女の趣味の良さを称賛した。と、いうより自分の好きな作家を目の前の彼女も好きだということが少しうれしかった。

 

 ちなみに、ショートショートとは普通の短編小説よりさらに短い超短編小説のことだ。最後の一文で物語をひっくり返してくるあの感じがたまらなく俺は好きだ。


 しかし、彼女の表情はなぜか曇っていた。というより、こちらをにらんでいるというほうが正しいかもしれない。


「違うわ。都筑道夫よ。ショートショート=《イコール》星新一なんて浅はかすぎるわ」


「はぁ? お前、よくそんなこと言えるな。日本でショートショートと言えば星新一だろ」


 なんというか、気づいたらそう反論していた。作家同士を比べるなんてことは無意味なことなんて理解してはいたのだが、つい。


「いいえ、都筑道夫のほうが勝っているわ」


 しかも、「自暴女」は胸を張り、重ねてそう主張するではないか。これは星新一の素晴らしさをとくと説いてやらねばならない。


「お前、星新一読んだことあるのか?」


「……ないけれど」


「ないのによく偉そうなこと言えたな」


 その一言で玲乃の顔は怒りに染まった。意外と短気なのだろうか。 

 

「そ、そこまで言うのなら、今すぐ読ませてみなさいよ。その素晴らしい星新一とやらを」


「え、あ、今は持ってないんだけど……」


「黙って。早く持ってきなさい」


 あー、ダメだ。もう完全にこちらの話は聞いてない。

 その証拠に、彼女は両手を組んで視線を斜め上の一点から動かさない。

 「もう知らない!」の体勢とでも言おうか。


 こんなことなら、「人間失格」ではなく「星新一のショートショート」を持ってきていればよかった。どちらも家にあったのに。

 そんな意味のない後悔をしつつ、両手におさまっている本を見遣る。


 ……あれ?


 そこで、俺は違和感を抱いた。

 これ、さっきまで読んでいた本じゃない。



 ――「星新一のショートショート」だ。


「……なぁ、玲乃。星新一、読むか?」


「え? ……じゃあ、読ませてもらおうかしら」


 一瞬戸惑った表情を見せた彼女だったが、俺の手の本を見て、納得したように頷いた。

 

 俺は彼女にその本を渡し、考えこむ。

 なぜだ。俺は確実に「人間失格」を読んでいた。なのに、いま玲乃の手にあるのは「星新一のショートショート」だ。こんな話があり得るのか?


 いつの間にか俺が別の本を取っていた? いやありえない。俺が持ってきたのはただ一冊だけだったはずだ。

 なら、どうして。


 ……『交換の機会』、〈犠牲〉と〈対価〉。


 気づいたら、脳裏にその言葉が浮かんでいた。

 あの夢の中で聞いた言葉。もしそれが本当だとしたら?


 〈犠牲〉は、「人間失格」という先ほどまで俺が読んでいた本。

 〈対価〉は「星新一のショートショート」という俺が存在を望んだ本。


 そして、それらが『交換の機会』によって取り換えられたとしたら? もし、本当にそんなことがあるとしたら……。


「……面白い」


「えっ?」


 ふいに、玲乃がそうつぶやいた。


「面白いわ、この小説。ごめんなさい、読みもしないのに批判したりなんかして」

 

「え、あぁ、そうだろ?」


 俺が思考の海に沈み込んでいる間に、彼女は一篇ショートショートを読み終えたのだろう。「自暴女」の瞳は輝いていた。

 しかし、彼女は突然なにかに気づいたような仕草を見せると、伏し目がちに言葉を紡ぎだす。


「……あの、お詫び、というわけではないし、むしろあなたは不快に思うかもしれないけれど……」


 そう言いながら、彼女はもともと手元にあった本をこちらに差し出した。


「よかったら、都筑道夫も読んでみてくれないかしら?」


 そして、ちらとこちらを窺うように彼女は視線を送ってきた。

 あぁ、そうか。彼女は俺が勧めた小説を読む前から拒否したことを気にしているのだろう。


「わかった。読ませてもらう。……あと、俺も都筑道夫は読みもしないで批判してたぞ?」


「えっ? ……あなた……自分も読んだことないのにわたしにはあんなこと言ったの?」


「うっ……まぁ、そうなるな。そこは、俺も読むからお互い様、ということで……」


「まったく……」


 呆れた、というように息を吐く彼女。それに苦笑いを返して、俺は彼女から受け取った本を開いた。


 『交換の機会』の謎は残ったままだが、きっと俺の勘違いだろう。それにもし神隠し的な超常現象であったとしても、今回はどちらかと言えば感謝すべきだと思う。


 だって、こうして互いの好きなものを認め合い、それを共に楽しむ時間なんてなかなか味わえっこないはずだから。


 小さな奇跡に感謝を抱きながら、俺はまた、ページを一つめくった。

読んでいただいてありがとうございます。

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