006 『急襲』
背中からブロック塀に叩きつけられ、肺から空気が漏れる。
「かはっ――」
全身が痛み、揺れた脳はまともな認識を不可能にしている。
「祐樹ッ!」
鈍い聴覚の中で、霧香の悲痛な叫びが聞こえる。
「に……げ、ろ」
掠れる声でそう言うものの、彼女の元まで言葉は届かない。
「弱くなったものだな、我が宿敵よ」
黒衣の男がつまらなさそうにそう言う。だったら、こんなことは止めて欲しいものだ。
事の起こりは休み明けの放課後。
何時ものように生徒会の書類整理を行い、夏の日が傾き始めた頃に帰宅を開始した。
赤い夕陽に照らされる街並みを血に濡れたようだ、という感想を抱いたのだが、その時点ですでに敵の術中に嵌っていたようだった。
気付けば、何時もは人の通りがある住宅街の道にも関わらず、人っ子一人いない。その違和感を得た頃には奴はそこにいて、
「ぐあっ」
前置きもなく一撃を加えられたのだった。
それから何度も武器を使っての攻撃がなされ、幾度かは避けたものの、全てそういう訳にもいかず、掠った攻撃の一回でかなりのダメージを受けることになった。
引きづり回され、地面や壁に叩きつけられ、脳震盪を起こしている。
ぐらぐらと揺れる視界のなかで、黒衣のそいつは無表情に祐樹を痛め付け続ける。
祐樹はそいつの顔を知っていると思った。
「おま、え、は……」
「なんだ?」
攻撃の手が止み、声が返る。深みのある落ち着いた、だが、その耳に得る情報とは裏腹に精神を揺さぶるような声。
「アーデル、か?」
「そうだとも、オルカ・ナイトウィング」
「俺は、オルカじゃ……ない」
「そうかもな」
彼、アーデルが手にしている武器は槍だ。だが、ただの槍ではなく、表面を機構の部品が飾っている。その石突で祐樹の足を押さえつけ、
「オルカはこんなにも弱くなかった」
「判、断理由が、そこ、かよ」
言葉を出すのも辛い。
「オルカを殺せとの命令だったが――」
塀に背を預けて座る祐樹の肩を蹴りつける。
「お前ではまだオルカの位置にない。だから、殺しても無意味だ」
「だったら……どう、して出てき、た」
「確かめる必要があった。そして、その目的も果たした」
撤退するのか。彼は一方後ろに下がり、しかし唐突に身構えた。
「何者?」
誰何の声に重なるように突風が吹き付ける。
「やあ、過去の亡霊君」
この場にそぐわない軽い口調。その人物は足音も軽くその場に立った。九龍寺風見。先日であったばかりの少女は銀の髪をなびかせてそこにあった。
「ほう? 誰かと思えば、銀の者だったか」
「その呼び名は好きじゃないな」
軽口を叩きながら、その手には刀を構える。
応じて、アーデルも槍を構えるかと思いきや、肩を竦めて、
「今お前らと遣り合うつもりはない」
後ろに下がる。彼の背後に紋章が現れて、体はその中に沈んでいく。
「まあ、いずれまみえるは必然。それまで待ってもらおう」
そんな言葉を残し、体が完全に見えなくなる。
しばらく風見は構えを解かなかったが、やがて危険が去ったのを確認してから刀を下ろす。
「大丈夫かい?」
座り込んだままの祐樹へと空いた左手を差し伸べてくる。祐樹はそれに素直に縋り、身を起こす。
「祐樹……」
心配そうに駆け寄ってくる霧香。彼女に怪我はなさそうで、そのことに安堵した。
「体は痛いが、折れてたりはしてないみたいだな」
「そう。でも、随分と粘着質な痛め付け方だね」
確かに風見の言う通り、致命傷や急所を避けて弄るように攻撃を加えてきていた。
「で――」
祐樹は痛む体に活を入れ、背筋を伸ばす。視線は風見に。
彼女は困ったように左手で頭を掻き、苦笑を見せる。
「どっから説明したものかなぁ……でも、その前にここを離れない?」
「そう、だな」
彼女に敵意はない。そう、直感的に思った。その直感を信じ、提案に従う。
「少し遠いけど、僕の家がある。そこで説明させて貰ってもいいかな? そこなら安全だろうし」
「あの……」
風見の言葉に霧香が遠慮がちに口を挟む。風見は問うような視線を霧香に向け、首を傾げる。
「それ、わたしも行っていい?」
「無論」
風見は即答。それへ付け足すように、
「君にも現状を知っておいてもらいたい」
「そう。うん、じゃあ、風見さんの家に行こうよ」
彼女の急かすような声に風見は頷き、手の中にあった刀を『消した』。正確には、銀色の粒子となって解けた。祐樹と霧香はもちろん驚き、その様子を見た風見は、
「こういうことも含めて、ね」
少し悪戯っぽく笑う。
そして、風見は祐樹と霧香を伴って歩き始めた。