優しい魔物と普通の食卓
吹雪の夜。とある町の小さな宿に、やたら目を引く四人組がいた。
一人は腹減ったと駄々をこねる黒髪の少女。
一人は「落ち着け! 人様の迷惑になるだろが!」と少女にキレる、赤髪の少年。
一人は「ノアは相変わらず食欲旺盛だね。ところでノアの食欲って『暴食』の異能由来のものだと思うんだけど他の魔物たちに食欲は存在するのかそれとも完全に消失してるのか気になるんだよねそもそも魔物は本来食事を必要としない存在だけどうんたらかんたら」と何やら興奮気味に話し始める、モノクルをかけた青年。
一人は疲れた顔で椅子に座り、ぼーっとどこかを見つめている、緑髪の青年。
彼らがいるのは暖炉のある暖かい食堂。一つのテーブルを囲んで座っていた。ノアと呼ばれた少女だけ落ち着きなく「はーらーへーったー!」とぐわんぐわん椅子ごと左右に揺れている。厨房から漂ってくるシチューの香りにやられているらしい。
「腹減った! もう駄目だ! 私は今日、飢えて死ぬ!」
ノアは頭を抱えて悲壮感たっぷりに叫ぶ。そんな彼女を赤髪の少年……ロドは落ち着かせようとしていた。
「大袈裟なんだよお前は! ほらもうすぐ飯食えるから……っておいこらテーブルを齧るな今すぐやめろお!!」
ロドはノアを必死でテーブルから引き剥がす。その横で青年……スヴァートは、まだ魔物の生態について1人で語り続けていた。それも心なしかうっとりとした顔で。そして緑髪の青年、グロントは、旅仲間たちがギャアギャア騒ぐ声がまるで聞こえていないかのように、ただ天井のランプが揺れるのをぼんやりと眺めていた。
グロントたちはこの日、フィリス神王国からホウシェン国へと続く大陸横断鉄道に乗って、北へ北へと移動していた。列車に揺られて数時間。今日中に国境へかなり近づけるはずだった。しかし夜になり、吹雪で列車が止まってしまったため、急遽この町の宿で一泊することになったのである。
(つかへた……)
グロントは疲れていた。だがそれは長時間列車に揺られたことだけが原因ではない。彼はぼんやりと、朝の出来事を思い出していた。
グロントたちは列車の駅にいた。ノアは「鉄道と言やあ弁当だな! いっぱい食おうぜ! 経費はロド持ちだ!」と言って売店へと走っていってしまい、ロドは「ざけんな! 一人一個までだ!」とキレながらノアの後を追った。スヴァートはそんな二人をにこやかに見送ると、「ちょっと新聞を買ってくるよ」と言って人混みの中へ消えた。残されたグロントはなんだか落ち着かなさそうな面持ちでキョロキョロと人混みを見回した。その時。
「あ」
グロントの目の前を通った少女の鞄から、何かが落ちた。それはふわふわで、リボンのついた、可愛いうさぎのぬいぐるみだった。一緒にお出かけするほど大切なものなのだろう。彼は咄嗟に手を伸ばして拾ってやろうとした。その瞬間、彼の視界がぐわんと歪んだ。
(え?)
彼の手の中で、うさぎのぬいぐるみが無惨にも握り潰されている。首や手足が千切れ、中の綿が飛び出した姿は悲惨そのものだ。
「……え、あ、」
どうしよう。どうしよう。またぼくは、化け物に。
グロントの頭が真っ白になり、視界が暗転しかける。その時。
「君。大切なもの、落としたよ」
聞き馴染みのある声がして、グロントはハッと我にかえった。自分の手を見つめる。そこに無惨な姿のぬいぐるみは無い。グロントが顔を上げると、そこには見慣れたスヴァートの後ろ姿があった。
「はい。次は落とさないように気をつけてね。君と離れ離れになったらこの子も寂しいだろうから」
「うん! ありがとう! おにいちゃん!」
少女は笑顔でぬいぐるみを受け取り、両親の元へ駆けて行った。スヴァートは少女に小さく手を振った。そして、くるりとグロントの方を振り返る。
「やあお待たせ、新聞買えたよ。ええと何々……? うわ、蛇神教の司教がまた殺されたんだって。おまけに犯人もわからない。最近物騒だね」
「……」
スヴァートは新聞の一面を見て眉を顰めた。グロントは状況についていけず、目を見開いて固まっている。
(ぼく、あの子のぬいぐるみを、壊したはずじゃ)
「グロント?」
スヴァートの声。彼は真面目な顔でグロントを見ていた。グロントはびくりと肩を震わせる。
「また衝動に襲われたのかい」
「っ……」
責める口調ではない。しかしグロントは罪を糾弾された罪人のように萎縮してしまう。
「……君はまだ魔物に変異したばかりで、精神が不安定だ。精神が不安定だと、魔物本来の破壊衝動が表に出てきやすい。だから変異したての魔物は大抵破壊衝動に飲まれて自我や理性を失い、命尽きるまで暴れるだけの存在なってしまう」
グロントは想像してしまう。破壊衝動だけで動き、全てを破壊し尽くす怪物と成り果てた己の姿を。
「でも君は、衝動に襲われても行動に移さず帰って来れる。何より、人を傷つけることをひどく恐れている。優しい魔物だ。君は自分のことを化け物だと思っているかもしれないけど、少なくとも僕はそう思わないよ」
スヴァートはそう言って笑う。しかしグロントの気分は晴れなかった。
そんなことがあったので、彼はその日はずっと落ち込んだ。自分がロドたちを、あのぬいぐるみのようにぐちゃぐちゃにしてしまう光景が浮かんで離れなかった。
「はい、温かいシチューだよ。たんと食べな」
その時自分の目の前に何かが置かれた気がして、グロントは現実に戻ってきた。視線をテーブルの上にやると、そこには木の器に入った湯気の立ち上るシチューと黒パンが置かれていた。
「うひょー! うまそー!」
「ああもう、だから落ち着けって……」
「女将さん、ありがとうございます。いただきます」
どうやら宿の女将が夕食を運んできてくれたらしい。女将は「ふふ、元気だねえ。おかわりもあるよ」と皺だらけの顔に嬉しそうな笑顔を浮かべると厨房へ去って行った。
「はい、グロント。スプーン」
スヴァートはグロントにスプーンを差し出す。グロントは「……あ……ありがと……」と元気のない声で礼を言い、スプーンを受け取った。
「よし、じゃあ食べよう」
スヴァートがスプーンを片手に笑う。その右隣ではノアがすでにパンを貪り食っていた。「あー、これのために今日一日頑張った」などとほざく彼女にロドは「列車乗っただけだろ」と呆れたように返す。
「いただきます」
外は吹雪の夜。でも食堂は明るく、暖かい。暖炉の火の爆ぜる音。厨房から聞こえてくる食器の音。人々の談笑。温かいシチュー。そしてやかましい旅仲間たち。とても穏やかで、平和な日常だ。でも唯一、グロントだけがその日常に混ざれていない。
「ああ、美味しい。体の芯からあったまる」
「美味い! 美味い!」
スヴァートとノアは美味しいシチューに舌鼓を打っている。しかしグロントはスプーンを右手に持ったまま、ぼんやりと自分の分のシチューを見つめるだけだった。
「……兄貴?」
その時ロドの声がして、グロントは左隣に座っているロドを見た。
「食わねえの?」
ロドは心配そうな顔で兄を見ている。グロントは弟に心配をかけぬよう笑おうとした。
「ごめん……ちょっと、ぼーっとしてた……」
ロドはますます不安げな顔になった。ああどうしよう、ぼく今うまく笑えてなかったかな。
「……もしかして、朝のことまだ引きずってんのか?」
ロドとノアも、朝の出来事は知っていた。
「……ごめん……心配かけて……」
グロントは視線を自分の分のシチューに落とした。食卓に沈黙が訪れる。
「んぁ? 食欲ねーのかよ。食わねーなら私が代わりに食ってやろうか?」
その時、早々に自分のシチューを平らげたノアが口を開いた。そして口の周りについた食べかすをぺろりと舐め取る。ロドはむっとした顔でノアを見た。
「お前な……今はそんな話する時じゃねえだろ。あと人の食い物を取るな」
「だってよー、食欲ねーなら無理して食べねー方がいいだろ? それに食べ物を粗末にするのは私の倫理的にナシだ」
そう言ってノアは、グロントのシチューの器をひょいと自分の方に移動させる。ロドは「おい」と止めようとしたが時すでに遅し。ノアはシチューをもぐもぐ食べ始めた。ロドは怒りの眼差しでノアを睨む。
「……兄貴は魔物になって、こんなに苦しんでるのに、お前はいつもこうだ。勝手気ままに周りを振り回して、楽しく生きてる。同じ魔物なのに、なんでだよ」
ロドの言葉には静かな怒気が満ちている。だが同時に、悲しみや羨望など、色々な感情も混ざっている気がした。
ノアはシチューを口に運ぶ手を止めずに「んー」と考えた。
「さあ? なんでだろーな。グロントが『優しい魔物』だからじゃねーの。スヴァートの言葉を借りると。優しいから、傷つけたくない。でも魔物の本能は破壊。二つの心がぶつかってる。だから苦しい。いやー、面倒くせー奴。あはは!」
「てめえ……っ」
ロドは今にもノアに掴みかかりそうだ。先ほどの穏やかさから一転、険悪な空気。スヴァートは落ち着いた声で「ロド、抑えて」と制した。グロントは今にも喧嘩になりそうなロドとノアを交互に見て、「どうしよう」と呟いた。
(どうしよう、ぼくのせいだ……このままだと2人、喧嘩しちゃう)
「わー! 怒るなよ。悪口のつもりで言ったわけじゃねーんだ」
そう言ってけらけら笑うノアを見てロドは拳を握り締めた。スヴァートは「ロド、暴力は駄目だよ」とたしなめる。ロドはギリ、と唇を噛むと、握り締めていた拳からだらんと力を抜いて、座り直した。
「……すまねえ、空気悪くなった」
「いいよ……君が暴力を踏みとどまれてよかった」
スヴァートは困ったように、ほっとしたように笑う。その隣でノアが「うめうめ」とシチューを頬張っている。グロントは喧嘩にならなかったことに胸を撫で下ろしたが、心の暗雲は全く晴れていない。
「ぼくもごめん……。ぼく、壊すことしかできない化け物だから……普通の食卓を壊しちゃった」
そう言うグロントの声は震えていた。ロドは「ちがっ……兄貴のせいじゃ……!」と悲しそうな顔をした。
グロントはゆっくりと首を横に振る。
「違うよ……ぼくが悪い。ぼくがいるせいで、物も、人も、時間すらも、壊れちゃう。……今朝だってぼく、女の子のぬいぐるみを壊しかけた」
スプーンを持つ彼の手は震えている。綿の飛び出たうさぎのぬいぐるみがまだ目の奥に焼き付いて離れなかった。
「……ぼくなんて……ぼくなんていない方がよかったんだ……ごめん、生きてて……ごめん……」
グロントの目からとうとう一粒の涙がこぼれ落ちた。そのまま彼は声を押し殺して泣き始める。ロドは兄を元気づける言葉をかけてやりたかったが、何を言っても兄を傷つけそうな気がして口を閉ざした。その目は悲しみに揺れていた。スヴァートもどこか険しい顔で腕を組み、目線を下に落とす。そんな中、ノアはシチューに入った大きな鹿肉を嬉しそうに口に放り込んだ。そして咀嚼し、飲み込む。
「あーうめえ……しあわせだあ……生きててよかったあ……」
ヘンテコな空気になる。一人は声を押し殺して泣き、一人は幸せそうに飯を食う。そして残りの二人は黙り込んでいる。もし、この四人の様子を第三者が見たらこう思うだろう。どういう状況なんだ、と。ロドは再び怒気を込めて「……お前マジで空気読めよ」と低い声で凄んだ。
「悪いな、『空気を読む』? って単語、私の脳内辞書に書いてねーんだ」
ノアは再び笑う。そして泣き続けるグロントを見た。
「つーかさっきから話を聞いてりゃ、『生きててごめん』だあ? オマエ、生きるのには人の許可がいるとでも思ってんのか?」
空気が凍りついた。ロドは再び握り拳に力を込める。スヴァートは手を伸ばしてロドを制止しつつ、この状況を静観している。グロントは顔を上げて正面に座るノアを見た。彼女は心底不思議そうな顔をしている。ノアは続けた。
「生きるのに許可なんかいらねーだろ? 勝手に生きて、勝手に飯食って、寝て、遊んで、また飯食って、それで死ぬ時死ねばいい」
「っ……でも……」
グロントは反論しようとする。でも、できない。それは自分の心が限界まですり減っていることだけが理由ではないのだろう。
「……君の言うことは正しいよ。でも、この世界には、誰かに『生きてていいよ』って言われなきゃ生きていけない人も、少なからずいる。……君にはまだ理解できないことかもしれないけどね」
静観していたスヴァートが口を開く。その口調は子供に言い聞かせるように、優しかった。そしてグロントに向き直って言う。
「グロント。君の優しさは宝物だ。でも、それが君を苦しめているのなら、少し自分を縛り付ける鎖を緩めてあげてもいいんじゃないかって思うんだ。あ、自分は魔物だからって開き直って、破壊することを正当化しろって意味じゃないよ?」
スヴァートは困ったように笑う。
「今は難しいかもしれないけど……魔物である自分を許してあげてもいいんじゃないかな。それでノアみたいに、『勝手に生きる』をちょっとだけやってみるんだ。大丈夫。もし君が暴れそうになったら、僕とノアが止めてみせる」
スヴァートの隣でノアが「ええ……私もかよ」と不服そうな顔をした。ここでロドが口を開く。
「兄貴……さっき、生きててごめんって言ったよな。でも俺、兄貴がいて迷惑だとか、一回も思ったことねえよ? 人間だった時も、魔物になってからも。……まあ全然怖くねえって言ったら嘘になっちまうけどよ……」
グロントはちょっと傷ついた顔をした。ロドは慌てて「わ、悪い!」と謝る。
「でも、俺は兄貴に生きててほしいんだ。魔物でもいい。怖くたっていい。兄貴は兄貴だから。だからさ、兄貴……頼む、生きてくれ」
ロドは今にも泣き出しそうな顔をしていた。グロントの目から一筋の涙が流れ落ちる。
「あ、女将さんすみません。シチューおかわりください……はい、ありがとうございます。グロント、一口でもいいから食べてみない? 美味しいよ」
スヴァートはそう言って、シチューのおかわりが入った器をグロントの前に置いた。グロントは恐る恐るスプーンでシチューを掬い、そして一口、口に運んだ。
「……おいしい」
グロントは再び両目からボロボロ涙をこぼす。でも、もうさっきまでの悲しい涙ではない。グロントは泣きながら微笑んでいた。それを見たロドとスヴァートがお互い顔を見合わせて、安心したように笑った。
「私も! 私もおかわりほしい! おーい! ばあちゃーん! シチューおかわり! 大盛りで!」
ノアは空っぽになった器を持って椅子から立ち上がり、女将におかわりを要求する。ロドは「どんだけ食うんだよ!」と、どこか楽しそうに叫ぶ。
(ああ……あったかい)
自分は魔物で、人を傷つけてしまうかもしれない。全てを壊してしまうかもしれない。いない方がいいのかもしれない。現実は何も変わっていない。何も解決していない。でも今は、今だけは、この温かい場所にみんなといたいと思った。窓の外では吹雪が止んでいた。




