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言えない


 美咲は、その夜、田中の部屋にいた。


 ソファに座っているのに、落ち着かなかった。


 テレビはついているが、内容は頭に入らない。


 さっきから、何度も同じところを見てしまう。


 カーテンの向こう。


 ベランダの向こう。


 誰かがいるような気がする。


「……大丈夫か」


 キッチンから、田中が声をかけた。


「うん」


 反射的に答える。


 でも、自分でもわかっていた。


 大丈夫じゃない。


 田中が隣に座る。


「何かあっただろ」


 静かな声だった。


 責めているわけじゃない。


 でも、逃がさない言い方だった。


 美咲は少し迷ってから、口を開いた。


「……前から、ちょっと変だった」


「変って?」


「誰かに見られてる感じがしてた」


 言葉にした瞬間、自分でも現実味がなくなる。


 でも。


「気のせいじゃないと思う」


 田中はすぐには何も言わなかった。


 代わりに、部屋の中を見渡す。


「いつからだ」


「わかんない。でも、最近」


 少し間が空く。


「部屋も……前に変だと思ったことあって」


「今日が初めてじゃないのか」


「うん」


 小さく頷く。


 空気が重くなる。


 そのときだった。


「なあ」


 田中が言った。


「この前、加藤のこと聞いてきたよな」


 美咲の動きが止まる。


「……うん」


「何か知ってるのか」


 間が空く。


 視線が、わずかに逸れる。


「別に……」


「嘘だろ」


 強くはない。


 でも、逃がさない声だった。


「なんであいつの行動なんて聞いた」


 沈黙。


 数秒。


 やがて、美咲が小さく息を吐いた。


「……ちょっと、気になって」


「何が」


 もう一度、間。


「……おかしいと思ったの」


 田中の表情が変わる。


「香帆ちゃんの彼氏だぞ」


「わかってる」


 即答だった。


 それでも、美咲は目を逸らさなかった。


「でも、あの日」


「……あの日?」


「拓海が事故に遭った日」


 言葉を選ぶように続ける。


「あの日、どこにいたか誰も知らないのに、駅で見たって話があって」


 田中の眉がわずかに動く。


 そこで、何かが繋がる。


 同じ時間。


 同じ場所。


 ありえないはずの重なり。


「それで、俺に聞いたのか」


「うん」


「……で、何も言わなかった」


「確信なかったから」


 美咲の声は小さかった。


「でも、今日のことがあって」


 視線が、カーテンの方へ向く。


「やっぱり、おかしい気がして」


 そのとき。


 カーテンが、わずかに揺れた。


 風は、入っていなかった。


 二人とも、同時にそちらを見る。


 風かもしれない。


 でも。


「……さっきから、同じ人がいる気がする」


 美咲が小さく言う。


 田中は立ち上がった。


 ゆっくりとカーテンに近づく。


 一気に開ける。


 夜だった。


 ベランダには、誰もいない。


 街灯の光だけが、床を照らしている。


「……いないな」


 当然の答え。


 でも、それで終わらなかった。


 田中は窓に手をかけた。


「これ、さっき閉めたよな」


「……うん」


 ほんのわずかに、隙間が空いていた。


 さっきまでの会話と、綺麗に繋がりすぎている。


 田中はゆっくりと窓を閉め、鍵をかけた。


「今日はここにいろ」


「うん」


「しばらく一人になるな」


 その言葉に、迷いはなかった。


 美咲は頷いた。


 ――


 その夜、四人で通話を繋いだ。


 美咲と、田中と、香帆と、絵里。


「それ、やばいよ」


 絵里が言った。


 いつもより少し強い声だった。


「やばいっていうか、普通じゃない」


「警察、行く?」


 田中が言う。


「証拠が……」


 香帆が言いかけて、止まる。


 自分でも弱いと思った。


「でもさ」


 美咲が言う。


「香帆も、あったよね」


 空気が止まる。


「ホームで」


 その言葉で、背中の感覚が蘇る。


 押された、あの一瞬。


「……うん」


 小さく答える。


「わたしも、見られてた感じがして」


「部屋も入られて」


「タイミング、おかしくない?」


 絵里が言う。


 静かに。


 でも確実に。


「偶然じゃないでしょ、これ」


 誰も答えなかった。


 でも、誰も否定もしなかった。


 沈黙が落ちる。


 誰も、名前を口にしなかった。


 でも、全員が同じ顔を思い浮かべていた。


「……同じ人じゃない?」


 美咲が言う。


 小さな声だった。


 でも、はっきりしていた。


 香帆は何も言えなかった。


 喉の奥で、何かが固まった。


 否定できなかった。


 駅。


 ホーム。


 押された感触。


 美咲の部屋。


 視線。


 全部が、繋がりかけている。


 でも、名前が出てこない。


 出したくなかった。


「とにかく」


 田中が言う。


「しばらく一人で動くな」


「送り迎えもする」


「……ありがとう」


 美咲の声が少しだけ落ち着く。


 通話を切ったあと、香帆は一人になった。


 部屋の静けさが、やけに重かった。


 スマートフォンを見る。


 優斗の名前がある。


 連絡しようとして、止まる。


 そのとき。


 スマートフォンが震えた。


 画面が光る。


 優斗だった。


『今、大丈夫?』


 四人で、優斗の話をしていた直後だった。


 香帆の指が止まる。


 返事ができない。


 数秒。


 そのまま見つめる。


 もう一通届く。


『どうした?』


 短い言葉。


 いつも通り。


 でも。


 さっきまでの会話と、重なりすぎていた。


 偶然だと、思いたかった。


 でも。


 胸の奥で、何かが小さく音を立てた。


 香帆は返信しなかった。


 ただ、画面を閉じた。


 そして、初めて思った。


 ――もう、すぐ近くまで来ている。


 それでも、名前だけは言えなかった。

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