エピローグ
1週間後、604号室に来ると、既に怜司が中で待っていた。
部屋の中なのに相変わらずサングラスを掛けている。
「すごい! びっくりするぐらい綺麗になりましたね」
満月の日にボロボロになった部屋の中は、綺麗に修復されていた。しかし、家具は何一つ無く、フローリングの床が明るく太陽の光を反射している。
「ああ、芳一に全部直してもらったからな。さすが仕事が早いぜ」
「羽川さん、本当に内装の仕事もできるんですね……」
「も、じゃなくて本業はこっちだよ、表向きにはな。真面目にやってりゃ、内装業だけで十分稼げるのにな」
怜司はそう言って笑った。
「でも、あんなにたくさんあった家具は全部捨てちゃったんですか?」
「ああ、猿のせいで使い物にならねえ。それに、家具は全部処分してから引き渡すもんだ、普通はな」
「何だかもったいない気がしますね。あのソファー、座り心地が良かったから気に入ってたんですけど。直せばまだ使えそうだったのに……」
「……お前、物が捨てられないタイプだろ。まあいいから、書斎も見てみろよ」
怜司の後をついて書斎に向かった。寝室の札は当然、残っていない。
書斎にあった『コレクション』や、本棚、机も綺麗に無くなっていた。床の隠し金庫も外して床板を張り直したようだ。不浄な気配は、微塵も残っていない。
「この部屋、こんなに広かったんですね。……それにしても、あんな気味が悪い『コレクション』やらを、どうして取っておいたんですか? 家主さんの意向だと言っても、意味わかりませんよ」
「……これもあの後、いろいろ聞いてわかったんだけどな。この部屋のオーナーの息子が、元々この部屋に住んでいたらしい。それが、例の集団自殺した5人の中の1人だったんだと」
「え……」
「悲しんだオーナーの婆さんは、息子の思い出を残しておきたくて、森へ行って遺品を拾ってあの部屋に保管していたそうだ。余程、思い入れがあったんだろうな。結局、他人に貸し出すことになったわけだが……あの部屋だけはそのまま残して欲しいという条件を付けた」
怜司はポケットのタバコを取り出したが、思い出したように吸うのをやめた。
「そのお婆さんの気持ちもわからないわけじゃありませんけど。後から部屋を借りた人には迷惑な話ですね」
乃亜は眉を顰めた。
「それにそのお婆さん、この部屋に住んでいた人が立て続けに死んだのに、変だと思わなかったんですか? 家賃も安くなっちゃうんでしょう?」
「……多分、その婆さんもおかしくなってたんだろう。息子が死んでショックだったんだろうが、その頃には既に『森』の影響を受けていたんじゃねーか? その後の住人が拾ってきたものまで取っておくなんて、善意でやってるとは思えねえ。息子の仲間を増やそうとしていたのかもな」
乃亜は身震いしたが、息子の自殺をきっかけに正気を失った母親の事を考えると、哀しい気持ちになった。
「そのお婆さんも、ある意味では被害者って事ですよね……」
「同情する義理は無え。その後の住人は、何も知らないまま命を落としたんだからな。この部屋に来なければ、そんな目に遭うこともなかったろうに」
怜司は頬を流れる汗を拭った。電気が止まっているせいで、部屋の中はかなり高温になっている。
「行方不明だった最後の住人の郷田も見つかったよ。例の森で、骨だけになってな」
「そう……ですか」
怜司はベランダの窓を開け放った。遠くから蝉の声が聞こえる。
「それと、お前がこの部屋にいた時に来訪者が来てたろ? あいつら、この部屋に招き入れられなかったらそのまま帰ってくれりゃいいのに、他の部屋に行く場合もあったんだと。迷惑な話だよな」
「……それじゃあ、部屋に殴り込んできたおばさんが言っていた事も、出鱈目じゃ無かったって事ですか?」
「ああ。それに来訪者はこの部屋の住人を狙っていたから、誰かが住んでいる時しか来なかった。だから、そいつが言ってたのも間違いじゃなかったってわけだな」
「そんな……」
「おっと、お前のせいじゃねえよ。お前もこのマンションの住人が雇った呪術師に殺されそうになったんだから、気にすんな」
怜司は乃亜の肩を叩いた。
「それにこの部屋の怪異を祓うことができたんだから、むしろ感謝されるべきだぜ」
「もう変な事は起きてないんですよね……?」
「ああ、俺も猿がどうなったか覚えていないから半信半疑だったが、一週間定期的に様子を見に来ても何も無い。他の部屋もな」
「だから、あの猿は私がやっつけたんですって! もっと褒めてくださいよ!」
怜司は、黙って乃亜を見つめた。
「あ……やっぱり信じてない」
乃亜は唇を尖らせた。
「状況的に無いとも言い切れないんだよな……」
怜司は小さく呟いた。
「もういいです! 約束のバイト代ください!」
乃亜は手の平を差し出した。
「おう、そうだったな。……ほらよ」
怜司が懐から厚みのある封筒を取り出して、乃亜に渡した。
ずしりとした重みを感じる。中を見ると、新札の一万円札がぎっしり入っていた。
乃亜は信じられないという目で中身を取り出すと、一枚ずつ数えた。このお金があれば、当面の生活に困らない。
「やったー! ありがとうございました!」
乃亜は満面の笑みで頭を下げた。
「少し色をつけといてやったぜ。オーナーの報酬以外にもこのマンションの他の部屋をいくつか安く買い上げたから、思ったより儲けが出そうだ。《《実害さえなければ》》、このマンションなら高く売れるさ」
怜司はサングラスを外すと満足そうに笑った。
「へー、よくわかりませんが良かったですね。それじゃ、私はこれで……」
乃亜はそそくさと鞄に封筒をしまうと、怜司に背を向けた。
「待てよ」
怜司は不意に乃亜の手を掴んだ。乃亜は驚いて振り返る。
「まだ何か……あ、お金なら返しませんよ? 今更、値切ろうったって……」
乃亜はもう一方の手で鞄を押さえた。
「あのさ……お前、俺と付き合えよ」
真剣な顔で乃亜の目を見つめる。長いまつ毛が夏の夕日に照らされていた。
乃亜の心臓が高鳴った。あの満月の夜でも、こんなに緊張していない。
「え……? いやちょっと、それは……」
本気で言ってるのか? 思ったより悪い奴ではないし、格好良いけど……。
乃亜は唾を飲んで次の言葉を待った。
「次の事故物件を見て欲しいんだよ。うち、人手が足りなくてな」
「……は?」
「お前の見る能力を買ってんだよ、俺。金のためなら逃げ出さない根性もあるしな」
「えーと、柊木さんの会社の仕事のスカウト、の話ですか?」
「そうだよ。他に何かあるか? 何なら将来、正社員として……」
「お断りします!!」
怜司はその後もしつこく勧誘して来たが、乃亜はさっさと荷物をしまうと玄関で靴を履いた。
「今すぐ返事しなくていいから! もう少し考えて返事くれよ」
怜司は玄関まで追い縋って来る。
「しつこいですよ! 他を当たってください!」
「まあまあ、そう言わずにさ……」
玄関のドアを開けようとした時、一つ疑問が浮かんだ。
「そういえば。書斎の物を捨てちゃって良かったんですか? オーナーのお婆さんが捨てるな、って言ってたんでしょ?」
「ん? その婆さん、最近死んじまったんだよ。マンションの所有権は親戚に移ったから、そっちに話聞いたらもう捨てていいって」
「亡くなったんですか……」
「その婆さん、このマンションの別な部屋に住んでてな。元社長で、他にもいくつか物件を持ってたらしい。ウチに売ってくれないか交渉してる所だ」
「元社長?」
ゴミ捨て場であった老婆も、そんな事を言ってたような。
「その人の名前って……」
「里中、って名前だよ」
「やっぱり! 私、そのお婆さんと話したことありますよ! ゴミ捨て場で!」
「は? いや、それは人違いだろ」
怜司は不思議そうに言った。
「いえいえ! 里中って名前で元社長でこのマンションに住んでるなんて、他にいませんよ! いつ亡くなったんですか?」
「いや、だからそれは無理だって」
「何が無理だって言うんですか!」
怜司は一呼吸ついて言った。
「だってその婆さんが死んだの、一ヶ月前だぜ?」
今日の最高気温は35℃を超えた。蝉の声が頭をくらくらさせる。
乃亜は、狐につままれたような気分でマンションを後にした。
世の中、不思議なことはあるものだ。このマンションで一週間過ごして改めて思う。色んな人と会って、珍しい経験ができた。
……二度と経験したくないが。
乃亜は、マンションを振り返って心の中で叫んだ。
『さよなら、604号室! もう二度と来ねーよ!』
604号室の窓を見上げると、恐ろしい形相をした老婆がこちらを睨んでいた。
乃亜は気付かない振りをして踵を返すと、駅に向かって歩いて行った。
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あの日以来、危ない幽霊は見ていないし、沙羅や小春も家で怖い事は起きていない。杏奈とも仲直りしたし、私は元通りの学校生活を送れている。
……相変わらず母さんは帰ってこないし、沙羅は家に籠もっているけれど。
家で数えてみると、封筒には80万円入っていた。当然だけど、今まで見たこともない金額に手が震えた。
バイト代をもらった次の日、沙羅を連れて高級なイタリアレストランと回転しない寿司屋と、普段は手が出せないケーキ屋に行って、人生初めてというぐらい、服や家電を買いまくった。
あれだけ怖い思いをしたんだから、少しはこんな生活をしても罰は当たるまい。お金は十分あるんだから……。
その2週間後。
「お姉ちゃん、もうお米無いんだけど!」
沙羅が、ソファーで横になっている乃亜に大声を上げる。
「わかったよ。ネットスーパーで注文するから、ちょっと待ってな」
乃亜は、思い出したように銀行口座の残高を確認した。
「は? 嘘でしょ……?」
気が付くと、貯金残高は1万円を切っていた。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「お金……もう無い」
先週に督促状が来るまで知らなかったが、母は家賃を半年程滞納していたのだ。更に家賃を2ヶ月分先払いしないと強制退去させると言われ、乃亜は慌てて支払った。約70万円が一瞬で消えた。
「ええ!? どうするのよ!?」
「うるさいなあ。沙羅が無駄遣いするからじゃん! そうだ、あんたが買った服、返品してくるから出して!」
「もう無理だよ! レシートも捨てちゃったし、洗濯機で洗っちゃってるもん!」
……どうしよう。今月の電気代が払えないかもしれない。乃亜は青ざめた。
その時、スマホに着信があった。
柊木怜司、と画面に表示されている。あれから何度連絡が来ても無視してきた名前だ。
乃亜は溜め息をついて、応答ボタンを押した。
「ようやく出てくれたな。ちょうど今、お前にぴったりな仕事があるんだけど……」
<了>
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
面白いと思っていただけたら評価いただけると嬉しいです!
ちなみに本作の続編を現在カクヨムにて連載中です。
機を見て、小説名になろうにも載せる予定ですのでよろしくお願いします。




